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ミスター麻雀

JUGEMテーマ:ニュース

私はパン屋で生まれ、家には従業員が泊まり込みで働いていた。

従業員の部屋では、時折麻雀牌をかき混ぜる音がしていた。
幼い頃ルールも知らないのに、私は従業員のうしろでよく麻雀を見ていた。

「黙って見てるんやで」と従業員に言われていたのに、發の牌を見て「お茶の字が2枚そろっている」と声を出して、怒られたことがあった。

 

麻雀のルールを覚えたのは高校3年生の頃だ。

何がきっかけだったか思い出せないが、一部の学生の間で麻雀が流行りだしていた。
友達の家を渡り歩いては、麻雀に興じる日々だった。
高校生なのに、徹マンも頻繁だった。

市内で一番の受験校だったが、落ちこぼれの私は麻雀を覚えてからというもの、学業の成績はさらに下降していった。

大学では2回生の時に麻雀友達と知り合い、授業そっちのけでアルバイトと麻雀が中心の生活を送っていた。

麻雀友達が麻雀友達を呼び、いろんな場所へ出かけては卓を囲んだ。

アルバイト先で知り合った人を相手にすることもあった。

 

社会人になっても、麻雀生活は変わらない。

会社の上司、先輩、同僚に加えて、盆と正月には高校や大学の友達と麻雀に興じた。

時には、得意先だったうなぎ屋さんの社長や学習塾の支社長さんとも。


特に回数が多かったのは、デザイナーのT氏が入社してからだった。
とにかく、T氏は麻雀が好きだった。

 

T氏と仕事をしていると、「今夜はどうや?」と私の耳もとで囁くのだ。

私はほとんど断ることがなかった。

メンツをかき集めて、近くの雀荘で終電近くまで過ごした。

言葉を覚え始めたばかりの長女は「パパ、マージャン」と言うようになっていた。

その頃T氏の発案で、参加者にしこ名を付けて、毎月の番付表を作っていた。

今もその一部が残っていた。

 

 

私は横綱で、「金額」のしこ名だった。

私が強かったというより、マージャン経験の少ない社員や好きでもないのにメンツ不足で引っ張り込まれていた社員も混じっていたので、好成績が続いていたのだろう。

 

T氏が言い出して、1年間の集計(昭和62年)をした記録が残っていた。

この年、私は出場回数が94回で、獲得賞金も圧倒的なトップだった。

94回というのは毎週2日は雀荘に通っていたことになる。

それでも、出場回数トップのT氏は私を上回る99回だった。

今から思うと、何とも無為な時間を送っていたものだ。

 

そんなマージャン生活で、印象に残っている場面がたくさんある。

日航機事故で亡くなったNさんが親の役萬「天和」を上がったこともそのひとつだ。

これだけ長くマージャンしているのだから、役萬もたくさん上がった。

 

ひとつ、忘れられない役萬の上がりがある。

労働組合の執行委員をしている時のことだ。

春闘のため通常の業務から離職して、組合事務所に詰めていた。

妥結まで時間が掛りそうなので、執行委員のひとりがマージャンをしようと誘ってきた。

このメンバーはレートが高いので、今まで参加したことが無かった。

一旦断ったが強く誘われたので、仕方なく近くの雀荘へ出かけた。

 

始まってすぐのことだった。

配牌を見ると一九字牌が多く、場を流すことも出来る状態だった。

国士無双が頭をかすめた。

最初のツモを見ると、国士無双に必要な字牌がきた。

国士無双に向かう決心をすると、次々と必要な牌が入ってきた。

なんと五巡目でテンパイし、「中」待ちで国士無双が完成した。

リーチするかどうか迷った。

中が場に1枚出ていたこともあり、リーチするほうが出やすいだろうと思い、リーチをした。

すると、その二巡目であっさりと出上がった。

この日はこの勢いで大勝したことを覚えている。

 

先週、ミスター麻雀小島武夫が亡くなった。

私たちの青春時代は阿佐田哲也と並んで、麻雀の劇画に良く登場していた。

最近Youtubeで、小島武夫が登場する麻雀動画を見ていた。

特に、九蓮宝燈を上がった動画は劇的だ。

 

持って生まれた勝負勘と強運はミスター麻雀にふさわしい。
author:金ブン, category:社会ネタ, 09:34
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口が渇く

JUGEMテーマ:日記・一般

 

その異常を感じたのは、会社の朝礼が始まってからのことだ。

 

50代半ばの頃、会社で月曜日の朝礼が始まった。

当番の社員が3分間スピーチをすることになった。

当時私は京都営業所に所属していて、3ヵ月に一度スピーチの当番が回ってきた。

その頃は多少緊張するものの、その異常は感じなかった。

おそらく、営業所の人数が10人程度だったからだろう。

 

数年後大阪本社に異動となり、やがてスピーチの当番がやってきた。

自分自身、人前で話すことが苦手だと思っていなかった。

中学生の頃は生徒会の副会長で司会したりしていたし、大学卒業後もコンサートに参加して人前で歌ったりしゃべったりもしていた。

その時どんなに緊張しても、普通に話すことができた。

それに、朝礼の話題もたくさん持っていたし…。

 

大阪本社の社員約30名の前でスピーチした時、初めて異常を感じた。

話しだすと、急激に口が渇くのだ。

すると、口がスムーズに動かなくなり、滑舌(かつぜつ)が悪くなってしまう。

話しにくいし、それが気になって話す内容もチグハグになった。

 

水がそばにあれば良いのだが、朝礼で水を持って話す訳にはいかない。

そこで、酸っぱいアメを口の奥に忍ばせることにした。

すると、その症状は解消されて、問題なく話すことが出来るようになった。

その後もうっかりとアメを用意するのを忘れていると、やはりその異常は続くのだった。

 

退職してからというもの、多くの人の前で話す事がなくなった。

文化財のボランティアガイドを始めたといえ、ガイドする相手の人数は2,3人の少人数から、多くて15人程度だ。

何度か、ガイドしたが、その異常は現れなかった。

 

ところが…。

先週、ボランティアの会が主催する歴史ウォーキングがあった。

8つのガイドポイントの内、私は2番目にガイドをすることになった。

9時の集合時間には30人近くの参加者が集まっていた。

 

今回のガイドは自分にとって話しやすい内容だったので、自信があった。

だが、参加者を目の前にして、急激に緊張感が高まってきた。

私は自意識が強いために、物事に対して緊張しやすい性格なのだ。

べつに仕事でもないのだから、失敗しても誰からも咎められることは無い。

そんなことは重々分かっているのだが、上手くやろうとすることが頭の中を駆け巡って、気持ちが高ぶっていく。

 

ガイドするポイントに近づくにつれ、口が渇いてくるのだ。

手持ちの水を何度も飲んだ。

しかし、すぐに口が渇いてしまう。

アメは持ってこなかったことに、後悔した。

 

ガイドポイントに着いて話し始めると、渇いているために口が思うように動かない。

話す順番がバラバラになり、頭の中が混乱していた。

滑舌(かつぜつ)の悪さから、参加者には内容が聞きづらかっただろう。

何度も口を拭い、間合いを取りしながら、ガイドを終えた。

 

スマホで写真を撮ってもらうように頼んでいたメンバーの人が言う。

「資料に隠れて、顔全体が写ってないよ」

 

 

カラカラに乾いて動きが悪い口元を資料で隠していたので、顔の下半分が隠れた写真になっていた。

 

ガイドが終わって、80歳のSさん(大阪のオバちゃん風)から「お疲れさん」と、アメを貰った。
ガイドする前に欲しかったのにと思ったが、後の祭りである。

 

緊張して口腔乾燥症(ドライマウス)になるのは一種の精神疾患のひとつのようだ。

「緊張しにくい体質をつくるには『セロトニン』を十分に分泌させることが大切」なんだとか。

 

酸っぱいアメを口に含んでおくだけで解消するのだから、精神疾患というほど大袈裟なことではない。

ただ、緊張する場面でもジタバタせず、泰然自若の姿勢で臨みたいと思う。

だが、どんなに歳を重ねても、それは無理なような気がする。

author:金ブン, category:日常の出来事, 09:18
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スポーツマンの騒動

JUGEMテーマ:ニュース

 

息子は少年バレーボールをしていた。

小学5年の時、女性の監督から男性のHさんに監督が代わった。
Hさんは実業団をチームの監督をしていた人だった。

チームは徐々に強くなり、Hさんの指導にも熱が入った。

練習する中で、小学生の息子たちに体罰を加えるようになった。

そこで保護者たちが集まって、体罰を止めるようにHさんに申し入れた。

 

体罰とは別に、Hさんにはもうひとつ問題があった。

試合中、対戦相手の子供に威嚇する態度をしたり、相手がミスすると拍手して喜んだりした。

ある大会では、主催者側から態度が悪いと注意を受けたことがあったほど、それは目立った。

監督に就任した当初、少年バレーは教育の一環ですからと公言していた。

ところが、チームが強くなってくると、Hさんは自制心が無くなってしまうようだった。

少年バレーは勝ち負けより、子どもたちの健全な育成が目的なのだ。
Hさんはスポーツに対して純粋な熱意を持っていたようだが、熱くなると見境が付かなくなるのだった。

 

最近、スポーツ界での不祥事が相次いでいる。

大相撲の暴力事件、レスリングのパワハラ、

そして、今世間を賑わせているアメフトの悪質タックル事件。

 

元来、スポーツを始めた頃はみんなその素晴らしさに魅せられ、純粋にスポーツと向き合っていたはずなのだが…。

強くなりたい、チームを強くしたいという気持ちが大きくなって、物事があらぬ方向へ進んでしまう。

 

何度もテレビ画面に映し出されるタックルの映像を見ながら、「これは余りにも酷い行為」だ」と誰もが感じたに違いない。

映像が衝撃的なだけに、冷静に見ている視聴者はふつふつと怒りが込み上げてきただろう。

 

被害者の保護者や加害者の記者会見、そして余りにも情けない監督とコーチの記者会見。

歯切れの悪い答弁に、イライラが募って寝付きが悪かった。

おまけに、大学側の司会者がとんでもない態度の悪さだった。

大学には危機管理学部があるそうだが、この記者会見は最も良い教材だ。
マネしてはいけない悪例として。

 

悪質タックルが発生した構図が見えてくる。

 

何年も優勝から遠ざかっていたチームが、昨年監督が代わったとたんに優勝してしまった。

以前その監督はチームを指導してきたが、良い結果が出なかった。

それで指導法を変え、かなり厳しい鍛え方をした。

すると、突然成果が出てしまった。

 

自分の指導法に自信を持ったことだし、周囲も監督を持ち上げたのだろう。

監督はさらに大きな権力を握って、暴走してしまった。

もう誰も監督のやり過ぎを止めることが出来なかった。

 

マンモス大学は教育機関とはいえ、大企業と同じだ。

上層部が大きな権力を持って、その下で働く人たちは上司に逆らえない。

<忖度>して行動する。

 

監督とコーチの記者会見での司会者は共同通信の元記者で、論説委員長も務めていたという。

監督の気持ちを忖度して、会見を切り上げようとしたのだろう。

あのまま記者の質問を受け続けたら、会見を取り仕切る責任者として叱責を受けるからだ。

 

かなり以前からこの大学にはそんな体質が根付いていたのだろう。

author:金ブン, category:社会ネタ, 09:42
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薬嫌い

JUGEMテーマ:日記・一般

 

西城秀樹が5月16日に亡くなったニュースが報道された。

40歳代後半で脳梗塞に罹り、長く闘病生活を送っていたという。

 

翌日の5月17日は世界高血圧デーだった。

高血圧への自覚を高めるために、制定されたという。

高血圧は脳梗塞や心筋梗塞を引き起こす、恐ろしい症状なのだと、医者はいう。

60歳過ぎてから、私も高血圧症になった。

 

昨年末から、アムロジンという血圧の薬を飲み始めた。

途端に、150〜160だった血圧が120前後に下がった。

早い効き目に、恐ろしささえ感じた。

 

薬というのは副作用が付きものだ。

効き目の良い薬ほど、副作用が強いのだろう。

 

私は元来薬嫌いで、出来るだけ服用を避けてきた。

歳を取ると、薬に頼らざるおえない状況になってくる。

 

数年前から首の根元が腫れて、甲状腺の病気橋本病と診断された。

数値はそれほど悪くなかったので、薬の服用は無かった。

昨年血液検査で、甲状腺ホルモンの数値が悪く、服用することになった。

チラージンという薬を半年服用して、数値は改善したので飲まなくなった。

 

血圧も改善したら、服用しなくても良いのだろうと思っていた。

医者が言うには、血圧の場合飲まなくて良くなる人は10%以下だと。

飲まないと、数値が高くなってしまう人がほとんどなのだ。

飲み始めると、ずっと飲み続けなければならないようだ。

 

朝1回、小粒の錠剤を飲むだけだから、負担は無い。

でも、ずっと飲み続けるというだけで、気持ちが悪い。

 

高齢者の知人たちに血圧の話をすると、ほとんどの人が「下げる薬は飲んでますよ」という。

50歳頃から服用していると言う人も何人かいた。

みんな、服用するのが当然のようにいう。

 

血圧が高くなる原因は塩気の多い食べ物を摂取するからだときいた。

だから、塩気の多い漬物や塩しゃけは避けるようにしている。

また、手ぬぐいを1日10分握るだけで血圧が下がるというトレーニングをテレビで紹介していたので、早速実行している。

何とか薬を止められるようにと努力している。

 

ところが…。

血液検査をしたら、今度は悪玉コレステロール値が高いと言われた。

「そろそろ、薬を飲まれたほうが良いですよ」と、医者はいう。

動脈硬化や脳梗塞などの病気を並べて、医者は脅すように警告する。

「1ヵ月後の血液検査で数値が悪かったら、薬を飲みます」と、私は医者に応えた。

 

1ヵ月間、毎日青汁を飲んだ。

コレステロールが高いという卵料理を避けた。

そして、血液検査の前日は断食して、血液検査に臨んだ。

 

血液検査の結果は、168だったLDLコレステロール値が166と、わずかに下がっただけだった。

結局、血液中のコレステロールを下げるロスバスタチンOD錠を処方された。

 

朝に血圧の薬とともに、2錠の小さな錠剤を飲むだけだから、そんなに苦痛ではない。

もう、歳なのだと自覚することにした。

そこで、過度に塩分やコレステロールに神経を使って過ごすことを止めた。

つまり、大切なのはQOL(クオリティ・オブ・ライフ)だ。

 

好きな漬物や卵料理を、気にせずに食べることにした。

要は、健康志向のタガが外れてしまった。

 

すると、…。

先日、英会話の先生が卵料理の話をしていた。

私が「卵はコレステロール値を上げますよ」と言った。

すると、先生は「卵がコレステロールを上げるという考えは間違っている」と言い、「コレステロールを下げるにはシナモンと蜂蜜を食べたら良い」と。

 

先生の旦那は私と同年だ。

旦那がコレステロール値や血糖値が高かったので、シナモンと蜂蜜をパンに付けて毎日食べさせたという。

すると、すぐに効果が表れたらしい。

「絶対、シナモンと蜂蜜を試しなさい」と、先生は念押しする。

 

こういう話を聞くと、すぐに試そうとする。

早速、シナモンと蜂蜜を買ってきて、シナモンティーを飲み、食パンにシナモンを付けて食べ始めた。

 

世の中には「健康」の情報があふれている。

誰もが「健康」というフレーズに、すばやく反応してしまう。

間違いなく、私もそのひとりだ。

 

薬嫌いであるがゆえに、私はすぐに試してしまう。

「健康」に関する情報はいい加減なものが多いとは思うが…。

author:金ブン, category:日常の出来事, 07:06
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会報を作る

JUGEMテーマ:日記・一般

 

私はボランティアの会のホームページを作成や更新の作業をしている。

気軽に引き受けたものの、結構手間が掛る。

日々ルーチンワークのようになり、生活の中に入りこんでいる。

 

現在、シルバー人材センターでパソコンを使った仕事をするようになった。

少しでも収入が入ってくると、ボランティアでする作業がどうも面倒に感じられてくる。

金銭欲はどこまでも付いてくる。

でも、会員からの「ホームページはいつも見ていますよ」という声を聞くと、放り出すことも出来ない。

 

そのボランティアの会で、2年ごとの担当変えがあった。

会では情報誌を発行しているのだが、これまで担当していた編集責任者が辞めたいという。

その人は80歳を超えている。

 

幹事が集まる会議で、次の編集責任者を打診されるが、「ホームページが忙しいので、無理です」をお断りした。

しかし、誰もするものがいないので、仕方なく引き受けることになってしまった。

 

情報誌といっても、3ヵ月ごとの発行。

そんなに手間が掛らないと思っていた。

主に会員のための記事なので、適当にやれば良いと安易に考えていた。

 

早速5月発行があり、格闘することになった。

掲載する内容は、会が主催する「歴史ウォーキング」でのガイドの様子を紹介したり、定期総会の結果報告だったり。

今年度は新入会員が6名いたので、その自己紹介も掲載した。

 

それぞれの原稿を集めて、ワードに入力していく。

班ごとに編集委員がいて、執筆担当者の原稿を送信してくれることになっている。

送られてくるデータを、ワードで整える作業をする。

最小4ページから、原稿の量によって6、8、10ページまでに収めないといけない。

今回、編集してみると、7ページになった。

それを6ページに縮小するか、8ページに増やすかしなければならない。

縮小できる記事が無いので8ページで発行することにしたが、足らない1ページを埋める記事が無い。

写真を大きくすればページを増やせるが、限度がある。

 

私的で気ままな文章なら書くことは出来るが、文化財に関係する記事が書くとなると、私にはそんな知識がない。

結局、先輩の会員さんに頼んで、ガイドの豆知識を1ページ書いてもらった。

 

出来上がったワードのデータを編集委員にメールで送り、校正してもらう。

10日後その校正を持ち寄って、訂正箇所をまとめる。

データを修正して3日後、編集委員が再度集まって、公民館の輪転機で印刷する。

出来上がって、ホッとした。

 

 

ところが、翌日出来あがった印刷物を見ていて、早速間違いに気付いた。

沿線観光歩きの記事のタイトルで、一文字が抜けているのだ。

「老松酒造」が「老酒造」になっていた。

ワードの作業で、文字を大きくしたり位置を変えたりしているうちに、文字を打ち損じしてしまったのだろう。

編集委員の4人に校正してもらったのだが、細かいところは目に付くが、とかく大きなタイトル部分は見逃してしまうものだ。

 

情報誌の編集をしていたころのことを思い出した。

「比叡山スタンプラリー」というタイトルの記事を掲載していた。

文字校正や色校正が終わり、最終の訂正確認していた時、顧客の担当者が間違いを見つけた。

「スタンプラリー」が「スランプラリー」になっていたのだ。

何人もが何度も校正しているのに、タとラの間違いを見逃していた。

 

現役時代、校正ミスは何度も経験した。

当時、印刷物が出来上がるたびに、ドキドキしながら出来上がった印刷物を確認したものだ。

何度か、刷り直しを経験した。

 

編集を安易に引き受けてしまったため、再び校正ミスの恐怖に縛られることになった。

author:金ブン, category:日常の出来事, 09:18
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