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警察官

JUGEMテーマ:日記・一般

 

2年前、ツタヤの前で警察から職務質問を受けた。

パトカーに呼び止められた時、さすがにドキッとした。

自転車に乗っていたので、何か交通違反でもしたのかと思った。

ひとりの警官がパトカーから降りてきて、私の自転車をジロジロと見る。

警官は自転車が盗難車じゃないかと疑っていたのだ。

年格好の割に、私が若者向けの自転車に乗っていたからだ。

自転車は息子の形見で、息子が中学に入学した時に買ったものだった。

私がそのことを警官に告げたのだが、「一様、調べさせてください」と言い、警官は自転車番号をメモし、盗難の登録がされていないか電話で確認していた。

そうでないことが判ると、警官は丁寧に頭を下げて立ち去った。

警官も仕事だからと思うのだが、疑われるというのは気分が良いものではない。

 

一昨年、妻が自動車免許を取得して初めての違反切符を切られた。

レストラン「さと」の駐車場に入る時、右折禁止の道路を横切って、巡査に呼び止められた。

巡査は建物の陰に隠れるように、引っかかるネズミを待っていた。

いつもその道路を右折していたので、妻は右折禁止とは全く認識が無かった。

妻の運転は慎重すぎるほどに慎重だ。

レストランに入る手段はいくつかあるのだが、そこを右折するのが一番安全だと思われた。

右折禁止の道路標識が全く目立たない場所にあった。

違反切符を切られた妻は40年近く守り続けていたゴールド免許を手放さなければならないことを悔しがり、その矛先はしばらく警察に向けられていた。

 

まともな暮らしをしている者にとって、警察のお世話になることはほとんど無い。

一番身近に関係するのは交通巡査だろう。

私も何度かお世話になっているし、罰金を提供している。

 

最近、大事件に関わる警察官の姿を描いた小説を読んだ。

門田隆将の「狼の牙を折れ」。

 

1970年代、左翼過激派による爆弾テロが多発した。

その中でも最大のテロ事件は、1974年に起きた「丸の内の三菱重工爆破事件」だった。

海外の観光客が急増している現在では信じられないだろうが、その頃東京は爆弾テロが頻発していて、世界でも最も危険な都市と云われていた。

「狼」を名乗る東アジア反日武装戦線が犯行声明を出していた。

<日本の労働者=帝国主義労働者>という単純な思考から、全く罪の無い人たちを犠牲にしていた。

 

警視庁は多くの警察官を動員し、8か月の捜査で4人の容疑者(大道寺将司、大道寺あや子、佐々木規夫、片岡利明)を逮捕する。

だが、その後の日本赤軍によるクアラルンプール事件とダッカ日航機ハイジャック事件によって超法規的措置で佐々木規夫、大道寺あや子が釈放され、今も国際手配されている。

大道寺将司、片岡利明は裁判で死刑が確定し、死刑囚として収監されていたが、昨年大道寺将司は獄中で死亡した。

著書は警視庁公安部の刑事たちがいかに無差別テロと闘い追い詰めていったかを、指揮官や捜査官の目線で克明に描いている。

都会の闇で行われる犯罪を徐々にあぶり出していくという捜査官の執念に、圧倒されてしまう。

そして、<名を知られることもなく、手柄を誇ることもない 陰で人びとの暮らしを支える>と、事件に携わった警察官たちを讃える。

 

今週、友人に薦められた帚木 蓬生の「悲素」を読んだ。

題材は和歌山毒カレー事件だ。

化学専門の大学教授が和歌山警察から求められて被害者たちを診察し検証して、犯行が毒物の「ヒ素」によって行われたことを解明していく。

巧妙に企んでいる保険金殺人を、毒物の知識や過去の経験を駆使しながら、犯人を追い詰めていく。

著書は化学事件に立ち向かう医師の姿にスポットを当てているが、被害者の無念を晴らそうと警察官たちの涙ぐましい努力も見逃せない。

 

学生運動が盛んな頃、左翼系の学生たちが警察を「国家権力の犬」とか言って、罵倒の対象にしていた。

若者たちが左翼革命を信じていた時代で、公安が市民生活に入りこんで、学生たちの行動を細かく監視していた。

活動する学生たちは、警官を見下げることで権力と対峙しているという勇敢さを演出しているように映った。

 

警察官は市民の秩序を守るために、監視しなければならない。

取り締まられた人は警察に不信感や嫌悪感を覚えたりするようだ。

 

姪っ子が警察官と結婚し、最近二人目の子供が産まれた。

とにかく警察の仕事は忙しいようで、子守りもままならないという。

 

世の中には(私のような)良い人間ばかりではない。

悪い人間が多いのだ。

 

だから、違反切符や職務質問を受けたぐらいで、腹立てていたらイカンと思うのである。

author:金ブン, category:社会ネタ, 14:22
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わが家の住宅事情

JUGEMテーマ:家庭

 

一生の中で、最も高価な買い物は<家>だ。

土地と建物を含めた買い物を、現金で買える人はほとんどいない。

長い人生の大半、ローンという重石を背負わないといけない。

 

わが家は阪神大震災の時、半壊の指定を受けた。

その頃、尼崎でパン屋をしていた両親はすでに70歳を過ぎていた。

もうそろそろ隠居させて、一緒に住もうと思っていた矢先だった。

 

二世帯住宅を建て、両親はパン屋を引退して同居した。

3階建にしたので、建築費がかなり高くなった。

当時の私の安月給では全額住宅ローンを背負うのは厳しい。

当時ローンの利率は4.3%だった。

所有権を分割して、同居する父親から3分の1の援助をもらった。

 

元々土地は昭和45年に父親が購入している。

昭和45年、私はまだ高校生だった。

その頃土地の周辺は田畑に囲まれていた。

やがて、この辺りもベッドタウン化が進み、分譲が始まっていた。

当時、坪約8万円程度だったという。

 

6年間、その土地は家を建てること無く、放置してあった。

昭和51年に父親がその土地に家を建てた。

私が社会人になって2年目だった。

周辺には住宅がぎっしりと建ち、近くにイズミヤがオープンしていた。

 

両親が尼崎でパン屋を続けたので、新築の家は私が結婚するまでひとりで暮らしていた。

近所の家庭では私の家より狭いのに、家族4、5人が住んでいた。

一軒家にひとり住んでいたのだから、贅沢なことだ。

友達を招いてドンチャン騒ぎしていた私は、近隣の人たちから道楽息子と見られ、冷たい視線を浴びていた。

 

社会人になってから6年目に結婚して、二人の子供が生まれた。

そして、神戸大震災で半壊するまで、その家で暮らしていた。

 

震災後3階建を建て、私の両親と私の家族4人の暮らしが始まった。

しかし、しばらくして母親が認知症に罹り、両親は岐阜に住む姉の家へ引っ越していった。

私たち4人家族の暮らしになった。

 

将来、娘は結婚してこの家を出ていく。

そして、息子が結婚して所帯を構えることになるだろう。

いずれ、息子夫婦は私たちと同居するかもしれない。

いろいろと青写真を描いてみるが、人生は何が起こるかわからない。

 

息子が15歳で亡くなった。

娘がこの家に住まないかぎり、将来この3階建に住む人は居なくなってしまう。

3年後、娘は高校時代の同級生と結婚し、家を出た。

 

息子の死から6年後、岐阜で暮らしていた母親が亡くなり、父親がわが家に戻ってきた。

それ以後、92歳の父親と私たち夫婦との3人暮しが続いている。

 

娘婿の会社は外資系で、異動が多い。

転勤族だ。

最初広島勤務だったが、1年も経たないうちに福岡に異動し、その1年後に現在の宮崎勤務になった。

3年の間に3回も転勤している。

転勤が多いと、子供たちが今後何度も学校を変わらなければならない。

そこで、娘たち夫婦は関西に帰ってくる決心をした。

娘婿が単身赴任することに決めたのだ。

 

娘婿の会社では、家族から離れて単身赴任を選択している社員が多い。

会社は単身赴任する社員ための福祉が行きとどいているという。

たとえば、月に数回の帰宅に対して旅費を負担するとか。

 

娘が孫たちを連れて関西へ戻ってくるとなると、住宅をどうするかが問題になる。

私たち夫婦と父親が暮すわが家で、3世帯が住むのは少し無理がある。

当面、賃貸マンションで暮らしたらどうかと勧めたのだが…。

 

日本人の根底には不動産神話があるようだ。

不動産さえを持っていると、安心できるような…。

 

娘たち夫婦は若いだけに、勢いがある。

いろいろと考えたあげく、結局、分譲住宅を買うことを決めた。

伊丹、宝塚、吹田、池田あたりの土地を探し、万博公園近くの土地を取得した。

土地が決まると、若者夫婦の行動は早い。

工務店を決めて、新築住宅建設に向かって突き進んでいく。

高額の借金を背負うことになるのだが、一生に一度の買い物を目の前にして、夢は膨らんでいくばかりだった。

 

3月末に家は完成し、娘たちは宮崎から移り住む。

すると、幸いにも娘婿が大阪に転勤になった。

関西への転勤願いを出していたのだが、会社が認めてくれたのだ。

 

先週の土日を利用して、娘たち家族が帰ってきた。

家族が揃って、家の壁塗りをするためだ。

そんな儀式があると、工務店がいう。

 

娘婿の両親と私たち夫婦も参加して、壁塗りをした。

 

 

新居を前にして、娘たち夫婦と孫たちは楽しそうだった。

やがて、新居は娘たちの安住の地になっていくのだろう。

人生で一番幸せな時間なのかもしれない。

 

 

最近、私たちの自治会内に空き家が増えた。

子供たちが家を出て、やがて夫婦が亡くなり、住む人が居なくなってしまったのだ。

現在、全国に800万戸の空き家があるという。

そして、15年後には3戸に1戸が中古の空き家になるといわれている。

わが家もその運命をたどるかもしれない。

 

 

 

author:金ブン, category:家庭の話題, 09:48
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安もの食い

JUGEMテーマ:グルメ

 

私の身体は高価な食べ物を受け付けないように出来ている。

 

若かった頃の話だが、下請けの事業所の開所式に招待された。

料亭で懇親会があり、珍味といわれる高級な食べ物が出された。

私は魚卵系の食べ物は好まないのだが、珍しさもあって、少しずつ口に運んだ。

すると、帰りの電車の中で急に下腹が痛くなり、慌ててトイレに駆け込んだ。

 

その後も何度か高価な食べ物が出される宴席に出る機会があったが、そのたびにトイレへ直行することを経験した。

 

数年前、娘の嫁ぎ先の両親と、香住へ解禁になったばかりのカニを食べに行った。

ひとり2万円以上するカニのフルコースだった。

カニの刺身から始まり、焼きガニ、カニ茹で、カニ鍋、カニ雑炊と続く。

ところが、刺身を食べたあたりから急に腹の調子が悪くなり、何度もトイレに駆け込んだ。

他のメンバーたちは、私のような症状も無く、「美味しい、美味しい」と食べ続けていた。

 

昨年10月、嫁さんが還暦を迎えた。

親戚の人から、還暦祝いをいただいた。

ホテルやレストランで食事が楽しめるチケットだ。

「上質な時間の贈り物」と書いてあった。

 

年末年始を挟んで、なかなか利用する時間が取れなかった。

贈っていただいた親戚の人から、「どうだった?」とのメールが届く。

チケットの有効期限が近付いていた。

急いでインターネットから予約して、日曜日神戸ハーバーランドオリエンタルホテルへランチを食べに出かけた。

 

 

ホテルの1階にある「ピア」というレストラン。

ホテルの横は遊覧船ルミナス神戸の発着場で、席の窓から遊覧船が行き交うのが見える。

 

 

フレンチのコース料理になっている。

 

最初にウェイトレスがメニューを持って来て、「飲み物はいかがですか」と訊く。

メニューの料金を見て、びっくり。

やはり、高い。

チケットに飲み物代は含まれていない。

最近昼のアルコールは控えているので別に水だけでも良かったのだが、こういう場面ではいつも見栄と気の弱さが作用する。

ノンアルコールビールと烏龍茶を注文した。

これだけで、清算時に2千円ちかく支払った。

 

 

前菜はズワイガニのサラダ。

家で食べれば2口で食べてしまうものを、フォークとナイフで何度も切り分けて食べる。

カニの風味が口に広がる。

 

 

珍しい「ごぼうのスープ」の後に、魚料理。

ブリの照り焼きをアレンジしていて、器の底にリゾットをあしらってある。

ブリ照りと家庭の味と似ているような…。

 

 

次はメインの肉料理なのだが、その前にお口直しのかき氷。

大葉を細かくして氷と混ぜたもので、さっぱりすっきり。

嫁さんが気に入った様子で、「家でも出来そう」と。

 

 

メインの肉料理。

黒毛和牛のステーキに、レンコンや玉ねぎ(嫁さんに食べてもらう)が添えてある。

肉料理に気持ちが高ぶり、写真撮影を忘れていたので、食べ掛けの写真になった。

 

 

最後はチョコケーキにバニラのアイスクリームが乗ったデザート。

 

窓の外を優雅に通り過ぎる遊覧船を見ながらの昼食は、確かに<上質な時間>の贈り物だった。

幸い、食後にトイレに駆け込むことも無かったし…。

 

その3日後、ボランティアのお友達Sさん(72歳)から昼ごはんに誘われた。

近くの「ステーキガスト」で落ち合った。

Sさんはカットしたステーキの定食、私はおろしハンバーグを注文した。

どちらもサラダバーとドリンクバーを付けた。

 

Sさんは味にうるさく、よく料理に注文を付けたりする。

その時も、ステーキが固いという。

千円程度のステーキだから、固いのも仕方がないだろう。

Sさんは私の皿にステーキをふた切れ置いたので、私はそれを食べた。

私には柔らかく感じられた。

 

サラダバーで3回お代りをし、ドリンクバーでジュースとコーヒーを4杯飲み、クーポン券を使って支払うと、千円ちょっとで納まった。

十分満足感を味わった。

 

ホテルのコース料理もファミレスの定食も、満足感はさほど変わらなかった。

やはり、私の味覚と胃袋は安もの向けに出来ているのだろう。

author:金ブン, category:グルメ, 09:24
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孤独を楽しむ

JUGEMテーマ:日記・一般

 

今週のテレビはどのチャンネルもフィギアやスピードスケートのニュース一色だった。

勝者の美談に涙したが、さすがに腹いっぱいになった。

 

先週英会話教室はちょうど男子フィギアスケートのフリー演技が行われている時間だった。

授業中、ひとりの男性がスマホでメダル獲得のニュースを見て、「日本は金銀のメダルを獲得しましたよ」という。

生徒の「老老男女」たちは拍手で反応する。

先生は授業を中断されたことを怒ることもなく、オリンピックの話題を授業に取り上げていた。

 

授業が終わって、老女たちとスーパーの休憩所を陣取って、いつもの井戸端会議をする。

話題は爽やかなオリンピックの美談ではない。

ひたすら、老いから起こる体験談だ。

 

80歳過ぎの老女が入歯を失くした話をするのだった。

その女性は家で入歯を失くし、以前していた古い入歯を引っ張り出して、付けていた。

明石家さんまのような出っ歯を見て、私は思わず笑いそうになった。

その歯でカラオケの発表会に出て、飛び出しそうになる入歯を押さえながら唄っていたら、観客席から笑い声が聞こえたと楽しそうに話す。

笑われようが、そんなことを気にしない。

 

老女5人の内3人は旦那に先立たれて、一人暮らしだ。

後期高齢者になっても英会話教室に通うくらいだから、みんな前向きで明るい。

むしろ、独居であることを楽しんでいるかのようだ。

旦那の束縛から解放されて、自由を満喫している様子。

近くに子供や孫が暮しているから、安心している向きもあるが…。

 

今年の1月、イギリスでは新たに「孤独担当大臣」を任命したという。

孤独という個人的な課題に、なんで大臣がいるのだろう。

なんでも、多くの人が直面している「現代の暮らしの悲しい現実」に対処するためとのこと。

報道によれば、メイ首相は「わが国の社会、そしてわれわれ全員が抱える孤独という問題に向き合い、高齢者や介護者、愛する人を失った人々──話をする相手や自分の思いや体験を分かち合う相手がいない人々が直面している孤独に対し、行動を起こしていきたい」と述べたという。

英国の人口6560万人のうち900万人以上が常に、もしくはしばしば、孤独を感じている。

人間、孤独になると、いろいろと良からぬことを考える。

若者たちは孤独から疎外感を感じて、テロに走ったりする。

イギリスでは頻繁にテロなどの破壊行為が生じている。

その経済的な損失も大きいのだ。

 

井戸端会議の老女たちにそんな深刻な孤独は見られない。

旅行、英会話、書道、カラオケ、料理教室などなど、毎日忙しく動き回っておられる。

当然、将来の健康(ガン、認知症など)に対する不安は尽きない。

そんな不安を払しょくするかのように、良くしゃべり、良く食べ、良く笑っている。

 

いくつになっても、女は逞しい。

酸いも甘いも噛み分けた人生経験から生み出された強さなんだろう。

 

その場では65歳の私は異質な存在だ。

時折話しの合間に「そだね〜」とか言って、笑いのお手伝いをしている。

author:金ブン, category:人生, 09:29
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奇縁

JUGEMテーマ:日記・一般

 

大学1回生の時、アーチェリークラブの友達が私の下宿に遊びにやってきた。

本棚にあった高校の卒業アルバムを見ていた友達が突然「この子、知ってる」と言って、記念写真に写っているひとりの女の子を指さす。

その子は三重県の高校から私が通う尼崎の高校に、2年生の時転向してきた女の子だった。

友達はその子と同じ三重県の高校を卒業していて、2年生の時同じクラスだったと言った。

私はその偶然に驚いた。

なぜなら、高校の卒業が間近に迫った頃、私は一念発起してその子に告白し、木端微塵に粉砕されてしまった相手だったからだ。

その失恋は大きなトラウマとなっていたので、友達に振られたことは言わなかったが。

 

生きていると、理屈では説明できない奇妙な<縁>に出くわす。

 

今週、ある講演会に出かけた。

二人掛けの机が並んでいて、僕は後ろの方の席に座った。

となりの席には、ボランティアの会のSさんが座っていた。

その方は、最近私と同じ文化財ガイドのチームに入り、話す機会が多くなっていた。

講演が始まる前の時間に、現役時代の仕事の話になり、私がかつてK交通社という旅行社に勤めていたことを話した。

すると、SさんはK交通社を知っていて、こんな思い出話をされた。

 

Sさんは以前東京の銀行に勤めていて、旅行会社に対してトラベラーズチェックの販売促進を担当していた。

トラベラーズチェックとは海外渡航の際に、現金を持ち歩かなくても済むように発行される外国旅行者向けの小切手のことだ。

33年前の夏、SさんはK交通社の銀座営業所で説明会を開いた。

大阪本社の海外旅行部からNさんが出張して出席していた。

説明会が終わったのが夕方、Sさんは「銀座で食事でもどうですか」とNさんを誘った。

しかし、Nさんは「予定があるので」と辞退したので、そこで別れた。

Nさんは最終便に乗るため、飛行場に向かったという。

Sさんは翌日のニュースで、その飛行機が御巣鷹の尾根に墜落したことを知った。

 

(2015年8月、私はこのブログに飛行機事故で亡くなったNさんとの思い出を書いている)

 

「Nさんは麻雀仲間だったんです」と、私が告げると、「奇遇ですね」と言われ、「ニュースで事故を知った時、何とか引き止められなかったかなと思ったりしました」と、Sさんは当時のことを思い出されていた。

 

世間は広いようで、狭い。

author:金ブン, category:人生, 09:34
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