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「Nスペ」を観る

JUGEMテーマ:日記・一般

 

<NHK受信料を払った人だけがNHKを視聴できるようにする「NHK放送のスクランブル化」>

もし30年前にこんな主張をする政党があったら、投票したかもしれない。

 

民放は受信料を取らないのに、テレビを買うとNHKの受信料を払わないといけないのか、疑問だった。

頼みもしないのに送りつけられてくる雑誌の、ほとんど見ないページのために、料金を払っているようで、納得がいかなかった。

広告代理店で働いていたこともあり、NHKもコマーシャルをとって、経営していけばいいのにと思っていた。

それはあまりNHKを見なかった若い頃の話だ。

 

歳を取ってから、NHKをよく観るようになった。

やはり潤沢な資金(受信料)があるからだろうが、特集番組がかなり精巧に仕上がっていると感じている。

 

以前比叡山延暦寺に関係する仕事をしていた頃、大みそかの「ゆく年くる年」の中継を目の前で見たことがあった。

根本中堂を上から映し出すために、40mほどの鉄塔を設置していたのには驚いた。

当日は大雪だったが、スタッフが大挙して訪れ、テキパキと作業をこなしていた。

「さすが、NHKさんやな。民放ではここまでは出来ん」と、担当の住職さんが鉄塔を見て感嘆していたのを思い出す。

 

特集番組の中でも、よく観ているのが「NHKスペシャル」。

終戦記念日の前後に放送される「NHKスペシャル」はほとんど戦争をテーマにしているのだが、その取材力と構成力には感心する。

 

今年は「激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官」、「かくて“自由”は死せり〜ある新聞と戦争への道〜」、「全貌二・二六事件〜最高機密文書で迫る〜」他。

 

戦時中のガダルカナル島での作戦は戦闘に参加した兵士が全滅したことや作戦に係わった将校たちが口を閉ざしたことで、戦闘の全貌がなかなか明らかにならなかった。

ところが、米軍には作戦の詳細や日本兵がどんな戦いをしたのかの記録がちゃんと残している。

その中には戦死した兵士の手帳や日記が戦争の資料として、保管されている。

「激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官」では、それらの米軍の資料を詳細に調査し、日本軍の杜撰な作戦が浮き彫りにしている。

日本兵が全滅しているだけに、日本陸軍と海軍が対立する作戦会議の映像は腹立たしいほどに無責任なものに感じられる。

 

また、「かくて“自由”は死せり〜ある新聞と戦争への道〜」は、天皇を中心とする国家を掲げる「日本新聞」が

いかに国民を国粋主義に扇動し破滅の戦争へと導いていったか、思想面から掘り下げていく番組だった。

大正デモクラシーで自由主義の風潮が国民に浸透する中で、マルクス・エンゲルスの共産党宣言に象徴されるプロレタリア闘争が持てはやされる時代がやってくる。

昭和初期、日本経済は世界恐慌の影響で落ち込み、地方の生活は疲弊していく。

左翼革命に危機感を抱いた右翼系団体は徐々に暴力的な活動を強め、議会制政治を蹂躙していく。

五一五、二二六、血盟団事件などのテロ事件で、さらに軍部や右翼が政治を指導し、議会の言論が封殺されていく。

番組はひとりの田舎教師にスポットを当てて、自由主義の理念だった人間が国粋主義に影響されながら、参戦の世論に飲み込まれていく姿を描いていく。

 

日本最大の軍事クーデター「二・二六事件」の詳細を記録した「極秘文書」を、NHKが取材を通じて発掘したという。

終戦の日に放送された「全貌二・二六事件〜最高機密文書で迫る〜」も凄い内容だった。

これまで事件の経過を詳細に記録した資料は少なく謎が多かったのだが、この「極秘文書」は反乱から鎮圧されるまでの4日間を詳細に記録しており、記録していたのが反乱を起こした陸軍ではなく海軍だったというから驚きだ。

この事件後、日本全体が軍国主義に大きく傾いていき、破滅の戦争へと突き進んでいく。

 

今夜(8月17日)放送される「昭和天皇は何を語ったのか」も興味深い。

 

年の経過とともに、戦争経験者は少なくなり、生存していても90歳を超えている。

私の父も終戦の年に召集され、現在94歳だから、兵役の記憶も薄れてきている。

番組で証言する人たちも、ほとんどが90歳を超え、「二・二六事件」の反乱軍と鎮圧軍の証言者に至ってはともに103歳だった。

証言者が居なくなる時期が迫っているのを思うと、こうした戦争に至る過程を追及する番組は貴重だと思う。

 

ということで、NHK放送のスクランブル化が実現するようなことになっても、受信料を払ってNHKスペシャルを応援したいが、N国ブームも次の選挙までには終わってしまいそうだ

author:金ブン, category:社会ネタ, 09:03
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樹木希林の言葉

JUGEMテーマ:日記・一般

 

昭和で活躍した芸能人たちが徐々にこの世を去っていく。

その葬儀の様子がテレビのワイドショーで放映される。

亡くなった人の大きな遺影の前で、家族や友人たちが弔事を述べる。

 

今年3月に亡くなった内田裕也の葬儀で、娘也哉子の弔事は最後まで聞き入ってしまった。

破天荒だったゆえに家族に振り向くことが少なかった父親の生きざまを、淡々と評価し、賛美を送っている言葉は深く印象に残った。

 

https://www.youtube.com/watch?v=zSxW_IAM98g

 

“Fuckin' Yuya Uchida don't rest in peace just Rock'n Roll!!!(内田裕也のくそったれ。安らかに眠るな!)”

 

また、この弔事には内田裕也と樹木希林の夫婦の有り様が表現されているとともに、二人の生きざまも浮き彫りにされている。

 

樹木希林は平成18年9月に亡くなって以来、自身の遺した会話や活字が書物として発行され、その独特の人生観と生きざまが注目されている。

生前に語った言葉の数々が収録されている「一切なりゆき」を読んだ。

 

発せられる言葉には深い洞察力があり、その説得力に引きつけられる。

それらはオブラートに包まれた言葉でも飾った言葉でもなく、自らの生きざまから滲み出てきた言葉だからだろう。

 

印象に残った言葉を拾ってみた。

 

<モノを持たない、買わないという生活は、いいですよ。

モノがあるとモノに追いかけられます。持たなければどれだけ頭がスッキリするか。>

 

樹木希林はかなりの倹約家で、それは徹底していたという。

 

「家族や人から譲られたものを使い回すだけで充分」と、この10年以上もの間、服は買ったことがない。「物の冥利を見極めて終わりたい」と、古くなった靴下ははさみで切ってぞうきんにするなどして、とことん使い切る。一方、不要な贈り物は、「使いませんから」ときっぱり断る。「死後に何も残したくない」との思いからだ。(ネット記事の抜粋)
 

お正月にお子さんが樹木さんからもらったお年玉のポチ袋が、樹木さんが箸の袋を再利用したもので、子供にリサイクルの意味を伝えられたこともあったようですし、子供も一人の人間なので、周りの大人の判断を押しつけちゃいけないとか、学ぶべきことがたくさんあると話していたことがあります。(ネット記事の抜粋)

 

樹木希林ほど徹底していないが私もケチ種族なので、倹約家の言葉にシンパシィを感じる。

 

<私のことを怖いという人がいるみたいだけど、それは私に欲というものがないからでしょう。欲や執着があるとそれが弱みになって、人がつけこみやすくなる。そうじゃない人間だから怖いと思われてしまうのね。>

 

他人に干渉されずに、自分の生き方を貫くのは難しい。

私など、常に他人の眼を気にして生きている人間だ。

だから、進むべき道をまっすぐ生きている人間が羨ましくもある。

 

<年齢に沿って生きていく、その生き方を、自分で見つけていくしかないでしょう。>

 

<私の中にあるどろーっとした部分が、年と共になくなっていくかと思っていたんだけれど、結局は、そうじゃなかった。でも、最近は、“それでいいんだ”と思えるようになって。少し、ラクになりました。>

 

歳を重ねてからの生き方では、若い頃よりも迷いが多いように思える。

 

最近、私はいろんな病気に見舞われているが、そのたびにうろたえる自分がいる。

 

<「人は死ぬ」と実感できれば、しっかり生きられる。>

 

なかなか、この域に達することが難しそうだ。

 

内田裕也との夫婦関係は独特のものという。

 

<結婚生活を続けることも別れを決断することも、かならず嫌なことは付きまとう。でもそういう経験が、生きていく上では大切だって思ってた。>

 

<玄米を食べる妻に向かって、健康なんか気にしてロックがやれるか、とわめく夫>を提婆達多(だいばだつた)と表現し、この人がそばにいたからこそ、自分が成長したともいう。

(※提婆達多とは非常にすぐれた人物だったが、ねたみの心からブッダを殺そうとした最も有名な仏敵で、仏教で教えられる最大の極悪人)

 

弔事でも触れていたが、内田の女関係に悩まされることが多かったようだ。

 

<基本的に女というのは、余計なことを考える時間があると、余計なことをしてしまうと思う。生きるのに精いっぱいという人が、だいたい見事な人生を送りますね。>といい、

<人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前>だと言ってのける。

 

樹木希林の生き方は私から遠く離れたものでとても見習うことなど出来るものではないが、そういう人間の言葉を心のそばに置いておくことはなぜか落ち着くものだ。

author:金ブン, category:人生, 10:07
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イビキをかく

JUGEMテーマ:健康

 

自分自身で満足していることが、いつのまにか他人を不愉快にさせている。

そんなことは人生の中で、頻繁にあると思う。

 

先週、脳外科病院に6日間入院した。

その入院生活での印象に残っていることがある。

イビキである。

 

入院する前の診察で、担当医が家内に尋ねた。

「ご主人はイビキをかかれますか?」

家内は「かきます」と答えた。

「ウソ、僕はイビキかかへんやろ」と横から私が言うと、「時々、かいてるよ」と妻ははっきりと言った。

「ご主人、自分のイビキは判りませんからね」と、妻に味方する。

 

私は4人部屋に入った。

私は眠りが浅いし、人のイビキを気にするほうだ。

だから、他人と同室に寝る旅行などには必ず耳栓を持っていく。

今回も耳栓を持参した。

 

初日の夜、消灯になると早速イビキのデュエットが聞こえてくる。

しかし、耳栓が功を奏して、何とか眠りにつくことが出来た。

翌日、2人が退院して、私ともうひとり48歳の若者(A君と呼んでおく)が残った。

A君は私が入院する4日前、自宅の風呂で倒れ救急車で運ばれてきたという。

脳出血で、右半身に麻痺を起していた。

治療やリハビリに、1ヶ月程度の入院が必要だと告げられたという。

 

その夜、A君は無呼吸症候群のような不規則なイビキを繰り返していた。

だが、この時も耳栓が役に立った。

翌日の夜も同様だった。

A君の病気の原因はこのイビキが影響しているような気にする。

 

その翌日の夕方、A君は別の病室に移動していった。

病室はひとりになり、今夜はやっと静かな眠りにつけるとホッとしていた。

ところが、世の中は甘くない。

夕食後、歩けない老人(Bさんと呼んでおく)がベッドに寝かされた状態で、病室に運ばれてきた。

 

Bさんは他の人の治療機器の音がうるさいと訴えて、移動してきたのだ。

この人、少し認知症が入っているらしく、翌日看護師や事務職員に、何度も「わしは何で部屋を変わったのか。わしが何かしたのかな?」と尋ねていた。

自分が希望して、部屋を替えてもらったことを忘れてしまっているのだ。

訊かれた看護師たちも認知症患者になれているようで、尋ねられるたびに「いえ、Bさんが何かをした訳ではありませんよ。急病の患者が入ったので、部屋を変わってもらったのですよ」と優しく応対していた。

 

消灯すると、このBさんは早速イビキを掻きはじめる。

この世のものとは思えないほど大きなイビキで、しかも不規則なのだ。

この騒音に対して耳栓が全く効果を発揮することなく、私は眠れない夜を過ごした。

その後もこの人と一緒の部屋にいると思うとぞっとするのだが、幸い私は翌日の午後に退院が決まっていた。

 

退院の日の朝、隣のベッドに新しい患者(Cさんと呼ぶ)が入ってきた。

私は今夜CさんがBさんの大きなイビキに悩ませられるだろうなぁと、同情した。

ところが、その同情は余計なことだった。

昼食を終えて、このCさんが昼寝を始めた。

すると、Bさんに負けず劣らずの騒音が聞こえてきたのだ。

Cさんのイビキ音も不規則で、大きな音の後はしばらく静まり、再びゴーゴーと唸り出す。

 

すると、イヤホンでテレビを観ていたらしいBさんはイビキ音を堪りかねて、「うるさい」と言っていたが、当然、眠っているCさんには届かない。

看護師が病室にやってきた時もCさんのイビキは続いていて、Bさんは「うるさいイビキやろ」と看護師に言いながら、「僕はイビキ防止機器を付けているから心配ないけど」と、ぬけぬけと言い放つのだ。

「あんたは知らんやろうが、あんたのイビキもそれ以上にうるさいんやで」と言ってやりたかった。

 

その日の夜から、ふたりのイビキ共演はどうなっただろう。

 

脳外科の患者はほとんどイビキ騒音を発しているのではないか。

誰もが、自分は静かに眠っていると信じているのだ。

一度、自分のイビキを録音してみれば良い。

author:金ブン, category:健康, 09:36
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休刊の理由

JUGEMテーマ:健康

先週号は急に休刊となってしまった。

理由は入院することになってしまったからだ。

 

先週の金曜日昼過ぎ、時間が出来たのでパソコンに向かってブログを書き始めた。

日曜日が選挙だったので、選挙関連の話を書こうとしていた。

 

パソコンを打ちかけてすぐ身体がふらふらと揺れて、キーボードが叩けなくなりマウスが動かせなくなった。

文字を打とうとするも、指がスムーズに動かない。

これはおかしいと、一度ベッドに横になった。

そして、横になったままで両足を動かしてみたが、右足が重くて持ち上がらない。

すぐに脳梗塞を思い浮かべた。

 

妻は近所の人とコストコへ買い物に出かけていた。

電話すると、急いで帰ってきてくれた。

妻が救急車を呼ぼうかと言ったが、そのころには症状が収まっていた。

だが、脳の異常だったら不安なので、車で脳外科病院に連れて行ってもらった。

以前94歳の父親を連れて行った病院で、診察してもらった医師も同じ人だった。

 

脳のCTとMRIを撮影してもらうと、軽度の脳梗塞(ラクナ梗塞)と診断され、入院して点滴治療をすることになった。

人生初めての入院生活になった。

 

4人部屋の病室は翌日に二人退院し、二人だけになった。

室内はエアコンが良く効いて、外気の暑さを想像できないほど心地よい。

玉ねぎが食べられない(宗教上の理由?)ので病院食が心配だったが、毎日玉ねぎ料理が登場するでもなく、間食抜きの空腹を充分に満足させてくれた。

 

点滴治療は最初24時間の点滴だったが、すぐに減少して3日目には終了した。

結局、6日間の入院生活だった。

同室の人は私と同じような病気だったが、半身に障害があり、毎日リハビリに励んでいた。

48歳の現役の若者で、1ヶ月ほど入院生活が続くという。

それを考えると、私の場合、極めて軽度だったようだ。

 

 

脳外科病院はなかなか厳しい場所だ。

リハビリが必要な患者が多いし、脳の損傷からか大声を出す患者さんがいたり。

 

そんな患者さんには申し訳ないが、私の入院生活は快適だった。

3日目からパソコンを持ち込んで、頼まれていたパワポの作成、パソコンの教材などを作っていたので、退屈さは全く感じなかった。

パソコンで疲れたら、ベッドの横にあるテレビが観られる。

ちょうど参議院選挙や吉本興業の社長の会見などがあり、世間の話題も豊富だった。

 

そういえば、前回のブログの書き出しはこんな感じだった。

 

<いままで、選挙を棄権したことはない。

だが、最近、投票へ行く気持ちが重たい。

圧倒的に、保守勢力が強すぎるからだ。>

 

この後、左翼への思いを書くつもりだったのだが…。

 

今回は、急な入院のため投票に行けなかった。

投票へ行かなかった者が偉そうに言えないが、投票率が50%を下回る国は本当に大丈夫かと思ってしまう。

それだけ、日本国民は本心から政治家を疑っていないのだろう。

 

退院すると同時に梅雨明けとなり、気温が急激に上がってきた。

今は暑い部屋で、パソコンに向かっている。

涼しかった病室が今では懐かしく感じるが、もちろん戻りたいとは思わない。

 

快適な入院生活だったとはいえ、不自由なことも多かった。

それはまた、次回にでも。

author:金ブン, category:健康, 09:52
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休刊
毎週土曜日に発行しておりましたが、今回やんごとなき事情により、休刊いたします。
悪しからず。
author:金ブン, category:家庭の話題, 20:52
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