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1964のオリンピック

JUGEMテーマ:ニュース

 

小学生の4、5年生の頃だったか、学校の行事でローマオリンピックの映画を駅前の映画館に観に行ったのを記憶している。

ローマの町を裸足で走っている「はだしの英雄、アベベ」の姿が脳裏に残っている。

次回のオリンピックが東京で開催されるので、オリンピック熱が徐々に高まっていたころだと思う。

映画鑑賞の帰り、私はクラスの列から離れて迷子になってしまったので、そのころのことをよく覚えている。

 

1964年、東京オリンピックの年は小学校6年生だった。

体操の遠藤、柔道のヘーシング、女子バレーボール、重量挙げの三宅、マラソンのアベベと円谷幸吉、水泳のショランダー…。

開会式や閉会式を含めて、競技のいろんな場面が未だに思い出される。

 

もうひとつ、鮮明に覚えているのがレスリングの競技シーンの映像だ。

私はこのテレビ映像を、小学校の校長室で見た。

 

小学校の昼休み、私は友達4,5人と校庭の花壇辺りで戦争ごっこをしていた。

戦争ごっこは花壇の畝に転がっている土の塊を投げあうものだった。

遊びに飽きたころ、友達のひとりが石を学校の塀の外へ投げた。

「ボコッ」という音が鳴った。

それが面白かったのか、みんなで塀の外へ向かって石を何度も投げた。

投げる石はだんだんと大きくなった。

外に車が止まっているという想像力が全く働かなかった。

しばらくして、誰かが車が停まっているのに気付いたのだと思う。

 

その後のことで覚えているのは、学級委員だった私が校長室に呼ばれたことと、母親と車の持ち主のところへ謝りに行ったことだ。

校長室で立たされていた私の脳裏には校長室のテレビに映っているレスリングの試合の風景だった。

 

先日放送された、NHKスペシャル「東京ブラックホール供廚蓮卩鵬と創造の1964年〉の副題で、前回の東京オリンピックが開催された日本を振り返っていた。

1964年の日本は新幹線が開通し、東京オリンピック開催に向けて国民が歓迎し、大いに盛り上がっていると思っていたが、現実は夢のような話ではなかったようだ。

 

その年の1月にNHKが行った東京都区部の世論調査の「あなたが近頃どんなことにいちばん関心をもっていらっしゃいますか」という設問に「オリンピックへの関心」と答えたのは、たった「2.2%」にすぎなかったという。

 「オリンピックを開くのにたくさんの費用をかけるくらいなら、今の日本でしなければならないことはたくさんあるはずだ」に賛成は「58.9%」で、オリンピック募金への寄付は「61.6%」が行わず、オリンピック記念切手は「76.8%」が買わず、オリンピック記念メダルは「94.4%」が買わず、オリンピック開・閉会式の入場券への申し込みは「81.1%」がしなかったという。

 

私の家では東京オリンピックの記念硬貨を何枚か買っていた。

ただ、私が持っていた記念硬貨は泥棒に入られた時に取られて失ってしまった。

 

とにかく、そのころの日本は東京一極集中が進み地方と都市部の貧富の差が広がり、スモッグに覆われ、闇社会がはびこり、若者が集団就職で都市部に集まり、ホワイトカラー急増して労働時間は今よりも600時間も多かったという。

そんな社会の状況を知らない小学生の私はオリンピックで活躍する日本選手の姿に熱狂し、日本の力に誇らしく思っていた。

 

東京オリンピックの思い出のシーンとして、よくテレビに登場するのが日本の女子バレーでのソ連との決勝戦だ。

大松監督の厳しい練習風景とともに、優勝を決めた歓喜の映像はチーム競技に強い日本の姿が映し出されていた。

 

ところが、その時の参加チームは現在と比較にならないほど少なく、たった6チームだった。

それも、オリンピック開催前に参加を表明していた北朝鮮が不参加を表明して帰国してしまって5チームになったので、急遽韓国が参加することで6チームになったという。

突然参加することになった韓国は他チームとの力の差が歴然で、ソ連との試合では3セットのうちの2セットが0対15と完封されている。

 

さて、今週オリンピックのゴタゴタ騒動が連日ワイドショーを賑やかせた。

マラソンが東京から札幌で開催されることが決まったが、何かモヤモヤとしたものが残る結末だった。

関西に住む私には遠いところでの出来事のように感じるのだが…。

author:金ブン, category:社会ネタ, 10:03
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