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清酒発祥の地

JUGEMテーマ:日記・一般

 

先日、働いていた会社のOBたち数名が伊丹を訪れた。

酒好きの人たちだ。

伊丹は清酒発祥の地といわれているので、酒宴を楽しみでやってきたのだ。

 

江戸時代、伊丹には80軒ほどの酒蔵があった。

造られた酒は江戸に運ばれて、人気を博した。

当時の銘酒番付表が残っているが、上位にはほとんど伊丹の酒が並んでいた。

有名な「剣菱」はもともと伊丹で造られていた。

「剣菱」の酒蔵があった地は、今では「ことば蔵」という市の図書館が建っている。

 

16世紀後半、戦国武将・山中鹿之助の長男、幸元が大伯父を頼って、伊丹・鴻池の地に落ちのび、この地で酒造りを始めた。

関ヶ原の戦いの1600年ごろ、酒樽の中に灰を入れることによって、にごり酒が澄み切って味が良くなったことを発見し、清酒が誕生した。

誕生秘話として、こんな話が伝わっている。

素行のいたって悪い使用人を幸元が叱ったところ、その使用人は逆恨みし、酒樽に灰を投げ込んで出て行った。

するとその後、樽の中の濁り酒は芳醇な清酒に変わっていた。

(清酒誕生については、これより以前(100年前)に、奈良の正歴寺で僧が清酒を製造していた記録(僧坊酒)があるが、少し濁りがあったようだ)

 

その後、清酒は江戸で大評判となり、江戸幕府が官用酒としたほか、宮中奉納酒、将軍の御膳酒としても重用されたという。

 

酒宴前、OBたちを連れて2時間程度駅前の文化財を案内した。

 

江戸時代、伊丹が酒造りで有名になると、江戸時代の文人墨客たちが伊丹を訪れている。

頼山陽、井原西鶴、与謝蕪村をはじめ、多くの文人たちが美味しい酒を求めて、伊丹にやってきた。

勤王志士たちに大きな影響を与えた「日本外史」を書いた頼山陽はたびたび伊丹を訪れ、酒造家たちと交遊したという。

文政2年、伊丹に来遊して「剣菱」の宴会で出された大きな台柿のデザートを食べ、その美味しさにお代わりを所望したが、「この柿は老樹が1本あるだけなので」と断られ、仕方なく諦めたという話が伝えられている。

その柿の木の末裔が「頼山陽ゆかりの柿の木」として、伊丹市美術館の庭に残っているという。

 

酒呑みが増えると、街の片隅に歓楽街が出来る。

200年以上経っているのでその面影はほとんどなく、今では住宅街に変身している。

以前その付近を歩いていた時、その名残だろうか、民家の玄関付近に「梅女」と刻まれた石碑を見つけた。

 

 

伊丹の歴史に詳しい人に尋ねたが、その謂れは不明だという。

この辺りは昔、花街だったということからすると、遊女の悲しい物語があったのかもしれない。

 

さて、OBたちとの酒宴は「長寿蔵」で開かれた。

酒蔵を改装したブルワリーレストランは平日にも関わらず、繁盛していた。

 

 

突発性難聴や逆流性食道炎を患ってアルコールを控えていたが、久しぶりに地ビールを味わった。

author:金ブン, category:日常の出来事, 09:38
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