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将来の不安

JUGEMテーマ:日記・一般

 

「将来のイヤな出来事を考えるより、今の時間を楽しもう」

今月の初め、大学時代の友人と飲んで話した時、最後はそんな言葉で言い合ったのを覚えている。

歳を取ると、<将来の不安>がヒタヒタと足音を立てて近づいてくる。

ガンや認知症など健康問題、経済的問題、家族との関係、連れ合いに先立たれて一人になった時の孤独。

考えると、<将来の不安>はたくさんある。

 

先週2回放送されていたNHKスペシャルの「人生100年時代を生きる」は、出来るだけ考えないようにしていた<将来の不安>を思い起こさせる番組だった。

1回目は「終の棲家」、2回目は「終末医療の現実」だった。

 

要介護者・要支援者の推計で、2015年の620万人が20年後の2035年には960万人に膨れ上がるという。

現在、認知症の発症率が85歳で55.5%なのだ。

それによって、介護保険料の負担が増え、介護する施設や人材が不足する。

1回目の放送では、施設不足を補うために国が推進してきた「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」が認知症の増加で思わぬ事態が起きていることを指摘していた。

 

2回目に放送された終末医療は、私にとっても喫緊の話題だった。

93歳の父親と85歳の義母は今のところ何とか元気にしているが、いつ救急車を呼ぶ現実がやってくるかわからない。

終末医療をどうしてほしいのか、真剣に話した事が無い。

こういう話題はなかなか話にくいものだ。

突然意識が無くなって病院に運ばれて、人工呼吸器や胃ろうの装着をどうするかの判断を迫られた時、本人の意志を確認しておく必要がある。

 

3年前、娘婿の祖母が突然くも膜下出血で倒れた。

救急車で高度医療の病院に運ばれ一命は取り留めたのだが、寝たきり状態になり自分の意志を発することが出来なくなってしまった。

家族は医師の言葉から長く生きてられないだろうと思っていた。

病院の延命医療は進歩している。

胃ろうの装着をしなかったが、栄養点滴だけで3年経った今でも自発呼吸を続けている。

家族は毎日のように交代で病院へ通っているという。

<死んでしまった>と<生きている>とは違う。

<生きている>なら、出来るだけ長くこの世に居てほしいと家族は思う。

だが、果たして本人はこの状態で良いと思っているのか。

意識が無くなってからでは本人の気持ちを確認しようがない。

 

この問題は高齢の両親だけに限ったことではない。

65歳になった私も差し迫った課題だといえる。

認知症に罹り、自分の意志を表明することが出来なくなるかもしれない。

 

延命治療は出来るだけ避けたいと思っている。

胃ろうはもちろん、人工呼吸器の装着も断りたい。

認知症の後でガンを罹患した場合、手術、抗癌剤、放射線などすべての治療は止めてほしいと思っている。

痛がった時に、緩和治療をしてくれれば良い。

 

こういう意志は家族に対して、書面で残しておかないといけない。

死ぬということは面倒くさいものだ。

 

平安時代の平均寿命は男性が33歳、女性が27歳ぐらいだったそうだ。

40歳代で老人の域に達しているのだ。

人生100年時代というが、健康な状態で人生を終えるのはとても不可能な気がする。

長生きは本当に幸せなのだろうか。

 

神様がいるのなら、お願いしたいものだ。

<ピンピンコロリ>と終わられてほしいと。

 

やっぱり、「将来のイヤな出来事を考えるより、今の時間を楽しもう」と、自分に言い聞かせている。

 

author:金ブン, category:社会ネタ, 09:30
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