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小説「パンジー」後編

JUGEMテーマ:読書

 

先週の続きで、小説「パンジー」後編です。

 

主人公の滝本良平は忘年会の夜、突然いつもの日常と違った世界に入りこんでしまった。

戸惑っている良平は今まで面識がない上司の田賀に相談する。

田賀は自らの経験を話し始める。

そして、自分に起こっていることが明らかになる。

その結末は。

 

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小説「パンジー」後編

 

「実は、僕も経験があるんだ。突然、世界が変わってしまったことが。それは僕が小学生の時のことだ」と、係長は語り始めた。

 

小学生低学年の時、学校帰りの公園で雲梯(うんてい)にぶら下がって遊んでいた。

身体の反動を使いながら、右手と左手を交互に前へ進めた。

いつもの慣れた運動だったが、突然、左手が鉄棒をつかみ損ねた。

右手が身体を支えきれず、地面へ落下した。

着地しようとしたが、足が地面に着かず、すっと奈落に吸い込まれるような感覚に襲われた。

すっと血の気が引いて、目の前が真っ暗になった。

気が付いた時、雲梯の下で倒れていた。

「大丈夫?」と、数人の子供たちが心配そうな顔で見下ろしている。

身体のどこにもケガは無かった。

だがその時を境に、身の周りに変化が起こっていた。

 

田賀係長はそこまで話すと、ウェイトレスにグラスを高くかざして水割りを注文した。

「僕には2歳下の妹がいたんだ。公園から家に帰ると、妹が4歳下の弟に代わっていたんだよ。僕は家を間違えたかと思ったが、確かにそこは自分の家だったし、両親も間違いなく自分の父と母なんだよ。しかしだね、目の前の現実は僕の記憶と少しずつ違っていた。当然、弟なんて知らないのだから、この子は誰って、両親に訊くし、妹はどこへ行ったのって尋ねるし…。父も母も、頭がおかしくなってしまったじゃないかと心配して、かなり慌てていた。学校も変化していた。あったはずに物がなくなっていたり、無かったものが当たり前のように存在している。何人かの友達は全く知らない子だったり、知らない先生が数人いた。学校でも話題になり、病院へ行くように勧められたりした。病院では、記憶にくい違いはあるものの脳には異常がないとの診断だった。僕はその変化が不思議で仕方が無かった。戸惑いながらも、順応していくしかなかったんだ」

係長は深呼吸をしてから、運ばれてきた水割りのグラスに口を付けた。

「どうだ、滝本君。これは僕が35年前に体験したことなんだ。実際に経験した本当の話だよ。君の体験と似ているだろう」

僕の目を真っ直ぐに見て、係長が言う。

「そうだったんですか」と、僕は大きく頷き、「これって、一体どういうことなんでしょうか?何が起こったんでしょう?」と

すると、「パラレル・ワールドだよ」と、係長が言う。

「大人になってから、僕はこの体験についていろいろと調べてみたんだ。すると、ある文献から<パラレル・ワールド>という現象を知ったんだ」

田賀係長はパラレル・ワールドを説明する。

人生はひとつではなくて、数限りなく枝分かれしているという。

例えば、ある人が志望の大学に受験して合格する。

その人が大学に進み社会人になり、一生懸命働いて、やがて管理職になり重役になったとする。

そういう順風満帆な人生であれば良いのだが、もし他に違った人生が同時に存在しているとすると、どうだろう。

志望校の大学受験に失敗してしまって進学を諦めた人生、大学に進んだが大病を患って長い闘病生活を強いられた人生、一流の会社に就職したものの会社が倒産してその後再就職に苦労した人生、

社会人になって家庭を築いたが妻と性格が合わず離婚することになった人生などなど。

それぞれの人生が平行して存在している。

それが<パラレル・ワールド>の考えだという。

そして、それらの人生はけっして交わることがない。

だが、田賀係長や僕のケースは何かの拍子に別の人生の自分と入れ替わってしまった。

 

店内の入口近くに掛かっていた時計は11時30分を回っていた。

薄暗い店内には客がまばらになっている。

「なんか、信じられないですね、そんなことが現実に起こるなんて」と言って、僕は小皿のナッツを摘まんで口に入れた。

「信じられないだろうね。僕も信じられない。でも、それしか、この現象を説明できないんだよ」

田賀係長はそういって、腕を組んで目を閉じた。

しばらく、沈黙が流れた。

 

「滝本君、以前の世界で君が結婚した相手は何という名前だった?」

ゆっくりと目を開け、田賀係長は僕に訊く。

「直美です。旧姓は小坂、小坂直美です」

「そうか、小坂さんなのか。なるほど、そうか」と、田賀係長がうなずく。

「どうしたんですか。直美がどうしたんですか。直美を知っているのですか」

僕が尋ねると、田賀係長は10年前に小坂直美が会社で働いていて、入社して3年後に退職したことを告げた。

直美は前の世界と同様、僕の会社で働いていたのだ。

僕はすでに阿村浪江と結婚していたので、直美と結びつくことがなかった。

「そうだったんですか。それで、小坂直美は今どうしているか、係長はご存知なのですか?」

田賀係長は首を振って、「詳しくは知らない。退職後、結婚したというのを聞いたが…」

僕と結婚して家庭を築き、二人の子供を育てていた直美が、この世界では他の男性と結婚している。

胸の奥が熱くなるのを感じた。

僕はそれを払いのけるように大きく咳払いをした。

 

日が変わる前、僕たちは店を出て、駅に向かって歩いた。

クリスマスのイルミネーションが街のいたるところで飾られ、駅前は師走の喧騒が続いていた。

別れる時、田賀係長はぽつりと言った。

「滝本君、もうこの世界に来てしまったんだから、この現実の中で生きていかないと仕方が無いんだよ。前の世界でのことは忘れるしかないよ」

僕はその言葉にゆっくりと頷いた。

納得できた訳でもなく、僕の心は鉛を飲み込んだかのように重苦しかった。

田賀係長は「じゃ」と右手を挙げ、JRの方向へ向かって足早に去って行った。

 

慌ただしさの中で、年が明けた。

新しい家族と過ごす年末年始の生活に戸惑いながらも、僕は何とかこの世界に慣れようと努めた。

例えば、正月のお雑煮にしても、直美はお吸い物だったが、徳島出身の浪江は白みそ仕立ての雑煮を作った。

浪江や子供たちも僕の変化に違和感を覚えながらも、一時的なこととして納得しているようだった。

そして、時間が経つほどに違和感はゆっくりと解消されていく。

会社生活でも同様に、僕はこの世界で生きる労働者として、日々の仕事に埋没していった。

上司や同僚たちも、僕の変化を一時的なものとして理解してくれた。

 

こうして世界が変化したことを受けとめたとしても、僕にはどうしても気になることがあった。

それは直美が以前この会社に在職したことだった。

直美が入社した時、僕はすでに浪江と結婚している。

前の世界では浪江と結ばれていないため、入社してきた直美と親しくなり結婚する結果になった。

だが、この世界では直美と同じ会社に勤めていたが、違う人生を歩むことになったのだ。

 

直美に会いたい。

僕の心の中に、抑えきれない感情が湧き上がってくる。

今どこで、だれと、どんな暮らしをしているのだろうか。

 

直美は会社で、企画室のデザイナー澄田ひとみと親しくしていた。

この世界にも澄田は存在している。

前の世界と同様、澄田が直美と親しくしているなら、現在直美が住んでいる場所を知っているかもしれない。

すでに結婚して家庭を築いていると、田賀係長から聞いた。

だが、僕にとっては少し前まで一緒に暮らしていた妻なのだ。

 

「澄田さん」

仕事が終わって、帰ろうとしている澄田を事務所の出口で呼びとめた。

「ちょっと、訊きたいことがあるんだけど」と言って、1階にある商談室に誘った。

「以前、働いていた小坂直美さんって、今どこに住んでいるか知っている?」
「知ってますよ。毎年年賀状が届きますから。確か、今年も来てましたよ」と答え、「もう、辞めて随分になりますけど、どうかしたんですか?」と、訊く。

僕のスポンサーが小坂直美を知っていて、今どこに住んでいるかを知りたがっていると、適当に嘘を付いた。

澄田は疑うことなく、「年賀状を調べて、明日持ってきます」と明るく応えた。

翌日、澄田は直美の住所を教えてくれた。

結婚して、名前は坪倉直美に代わっている。

8歳の男の子と5歳の女の子がいると、澄田は教えてくれた。

住所は和歌山市の聞き慣れない町名になっていた。

 

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滝本良平は電車を乗り継ぎ、小さな駅で降りた。

大阪の中心部から、1時間ほどで着いた。

5年前から開発が進んでいる、新興住宅地だ。

駅前はロータリーになっており、タクシーが数台客待ちをしている。

地方銀行と、駐車場を併設したスーパーマーケットが並んでいる。

良平は地図を持って、目的の住宅地の方向に向かって歩いた。

寒さが少し和らぎ、春めいた風が通り過ぎていく。

国道の向こうに、小さく家並みの屋根が見えた。

小坂直美は結婚して、この住宅街に住んでいる。

 

3日前、帰り仕度をしている時、田賀係長に呼び止められた。

話があるというので、会社近くの喫茶店に入った。

田賀は良平が澄田さんから小坂直美の住所を聞いていることを知っていた。

「絶対に、会いに行ってはダメだ」と、田賀は強い調子でいった。

そして、7年前に会社で起こった、ある出来事を教えてくれた。

 

小坂直美が入社して3年目、営業社員の不祥事が発覚した。

それは森重雄という営業主任が下請けの業者から仕事を発注する見返りにリベートを受け取っていた事件だった。

森は主として広告サイン制作の仕事を受注していた。

受注をするために、得意先の担当者を接待する交際費が必要だった。

だが、会社では交際費が限られているので、接待する費用をねん出できない。

そこで、森は考えた。

下請けのサイン業者N社の社長に、仕事を発注する見返りとしてバックマージンをもらうことを持ち掛けた。

当初、森は仕事を取るためであり、会社のためだという意識があった。

だから、会社名義のメイン口座とは別の、第二の銀行口座を使ってN社から入金された金額を出し入れしていた。

当然会社名義の口座なので、経理の社員しか出金できない。

森は新入社員の小坂直美を使って、銀行から出金させていた。

当初金を手にした森は得意先の担当者を高級なラウンジに接待して、受注額を増やしていた。

この行為を一部の上司は知っていたが、見て見ぬふりをしていた。

会社の営業成績が増加することなので、黙認していたのだ。

そして、森はその金の一部を上司や同僚との飲み食いにも使っていた。

森の営業成績が上がり、N社からの入金も増加していく。

すると、森はその金を個人的な遊興費にも使用するようになった。

 

そのことを告発したのは小坂直美だった。

会社の詳しい事情を知らない新人の直美は森から指示されるとおりに、第2口座から出金して森に渡していた。

だが、出金が頻繁になってくると、森の行動に疑問を抱きはじめた。

直接森に質したところ、「営業マターだから、指示通りするように」と言われた。

どうしても納得できない直美は経理担当の上司に相談をした。

やがて、この案件が会社の上層部の知ることとなった。

会社の売上に貢献していたこともあり、一部の上層部から不問に付す意見もあった。

だが、使用した金額があまりにも多額だったことや森の個人的な遊興費に使われていたこともあり、森は懲戒処分となった。

処分は経理や営業の管理職にも及んだ。

知らなかったとはいえ、銀行から出金をしたとして小坂直美も懲戒処分となった。

森は依願退職し、しばらくして、小坂直美も退社した。

 

小坂直美が自分の行為に疑問を抱き、最初に相談したのが良平だったと田賀係長はいう。

なぜ、良平に相談したのか、そのいきさつは判らない。

直美と良平の関係について、田賀係長は知らないし、社内の誰も知らない。

 

川のせせらぎが聞こえてくる。

道路と住宅街を分けるようにして、河川が蛇行していた。

橋を渡ると、右手に緑に包まれた公園があった。

木々の間から、鮮やかな赤と黄色の遊具が見える。

公園を通り過ぎると、クリーニング店と小さな食料品店が並んでいる。

辺りには50坪程度の区画に分けられた敷地に、車庫付きの家屋が続いていた。

良平は地図を広げ、暗記していた番地を確かめた。

2筋目を曲がると、目的の家がある。

 

昨日別れる前、田賀は良平に言った。

「今君が生きるこの世界で、君と小坂直美がどんな関係だったか、誰も知らない。今、小坂直美は別の男性と家庭を築き、幸せに暮らしているだろう。他の世界で君と夫婦であったとしても、もうこの世界では全く関係が無いんだよ。だから、会ってみようなんて考えないほうがいい。君は、この世界での人生を歩むしかないんだ」

 

滝本良平はその家の前で立ちつくした。

外壁にベージュのサイディングを使った2階建の家屋は初春の陽光に照らされていた。

カーポートには車が無く、門扉が開いて間の抜けたような空間が広がっていた。

玄関回りには、パンジーの鉢植えが所せましと並べられている。

直美と暮していた家とそっくりだった。

直美は冬から春にかけて、好んでパンジーを植えていた。

「パンジーの花名はフランス語の<思う(パンセ)>から名付けられている」と、直美は言っていた。

そして、花言葉は<私のことを思って>だと付け加えたのを思い出した。

 

表札には澄田から教えられた、<坪倉>という名字が彫ってあった。

確かに、この家で直美は暮しているのだ。

良平はゆっくりと家の前を通り過ぎた。

人の気配が感じられない。

留守なのだろう。

20m程行きすぎて、また、引きかえした。

すると、隣の玄関から子供を連れた女性が出てきて、良平の姿をチラッと見た。

見知らぬ男の姿を怪しんでいる様子だった。

<絶対に会いに行ってはダメだ>と言った田賀の言葉が頭をよぎった。

良平は自分の行動が惨めに思えてきた。

この世界で小坂直美という女性は良平の人生と全く違う道を歩んでいる。

これは夢なんかじゃない。

動かすことができない現実だった。

 

「もう、帰ろう」

良平は頭にこびりついた幻影を振り払うようにして、早足でその場を離れた。

そして、駅のほうへ向かって、歩きだした。

 

駅前のスーパーマーケットは昼前の買い物客でにぎわっていた。

ロータリーには路線バスやタクシーが停車している。

良平は駅舎の中に入り、時刻表で上り電車の時間を確認した

到着までに20分程時間があった。

良平は駅舎の入口近くに並んでいるベンチに座った。

駅前の風景が開放されているドアの間から見えた。

下り電車が到着し、乗客が改札口から吐き出されるように出てくる。

 

黒いポロシャツの男性が二つのキャリーバックを引きずりながら、良平の前を通り過ぎた。

旅行か出張の帰りなのだろう。

男は駅舎を出て、ロータリーの方へ向かっていく。

 

「ヒデちゃん」

ロータリーの方向から、女の声が聞こえた。

男は女の方向へ進んでいく。

男が進む先には荷台を空けたパジェロが停まっていた。

車の横には女性と幼い女の子が手を繋いで立っている。

子供は女性の手から離れ、男に駆け寄っていく。

男は飛びつく女の子を抱き上げた。

その後ろに、女がゆっくりと近づいていく。

心臓が急に高鳴った。

良平は目を見開いて、女の顔を見た。

直美だった。

 

夫を迎えるシーンの中に、直美の姿が浮き上がって見えた。

良平はベンチから立ち上がり、呆然とその家族を見つめた。

気持ちは直美に近づこうとしていたが、足が前へ進まない。

男は荷台に二つのキャリーバックを積み込んで、ドアを閉めた。

直美は後ろの席に女の子を坐らせてから、運転席に乗り込んだ。

男が助手席に乗ると、パジェロはゆっくりと動き出した。

 

車は良平の視界から徐々に遠ざかり、やがて消えてしまった。

立ち尽くしていた良平の脳裏に、遠い過去の記憶が浮かび上がってきた。

男が車の荷台に積み込んだキャリーバックからはみ出していた物体。

それはカメラの三脚だった。

 

良平は駅舎に戻り、到着した上り電車に乗り込んだ。

車窓から見える山の稜線を眺めていた。

夫を迎えている直美の笑顔を思い浮かべた。

「そうか、そういえば、二人目の子供が生まれる前だったなぁ。あの時、同窓会が…」

不祥事に巻き込まれて会社を依願退職した後、坪倉という美大の友人と再会した。

そして、この世界で、直美はあの男と結ばれたのだ。

 

「パパ、早く帰ってきてね」

朝、家を出る時、良平の背中に次女の洵子が大きな声で言った。

ふり返ると、開け放たれた玄関ドアの向こうで、妻の浪江と長女昌枝が洵子の後ろで重なる様にして手を振っていた。

この世界にやってきて、3ヵ月が経った。

徐々に、家族であるという意識が芽生えてきた。

 

何層にも分かれた運命の中で、それぞれの良平が生きている。

以前に暮らしていた世界では、良平と入れ替わった良平が直美と暮らしている。

違う世界に転がり込んだ良平も突然の変化に驚いているだろうし、戸惑っているに違いない。

もう引き返すことは出来ない。

 

良平の乗せた電車は終着駅に近づき、ゆっくりと速度を緩めていった。

降りようと立ちあがった時、小さな声が良平の耳もとをかすめた。

<私のことを思って>

良平は後ろを振り向いたが、そこにはカバンを持った数人の女子学生が出口のドアに向かって立っているだけだった。

良平は大きく息を吐いた。

そして、開いたドアから出ていく乗客たちに押し出されるように電車を降り、早足で家路を急いだ。

 

おわり

 

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20年前、東野圭吾が「パラレルワールド・ラブストーリー」という小説を出している。

もちろん、私のような素人の小説もどきとは比較にならないほど、脳科学技術の題材を精密なタッチで描いたストーリーになっている。

来年、映画化されるという。

 

学生時代、百貨店の「そごう」でアルバイトをしていました。

その時、社員食堂で知り合った女子大生がいました。

話しやすい女性で、何度か喫茶店でお茶しました。

最近、ふとその女子大生のことを思い出したのをきっかけに、この小説を書いてみました。

 

登場人物の女性を阿村浪江(安室 奈美恵)とか小坂直美(大坂なおみ)なんて、話題になっている名前にして、

少し私小説っぽい所もありますが…。

題名にしたパンジーは冬から秋にかけて、玄関回りに嫁さんが植えている花です。

 

嫁さんに読ませたら、どんな反応をするだろうか。

author:金ブン, category:読書, 09:42
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