RSS | ATOM | SEARCH
英会話教室をやめる

JUGEMテーマ:日記・一般

 

教室のドアを開けると、すでに4人の生徒が座っていた。

「ハロー、グッドアフタヌーン」

ボクは声を掛けた。

英会話の授業は午後2時から始まる。

まだ15分程時間があった。

ボクはいつもの、前の方の席に座った。

カバンからテキストブックを取り出し、今日教わるページを開いた。

 

コの字に並んだ机の角に、白髪の老女がひとり座っていた。

他の席に座っている女性3人は見慣れた顔だ。

葉山さんと、金子さんと、田村さんだ。

生徒は全部で12名、ほとんどが70歳以上の女性だ。

男性はボク以外にもうひとりいた。

その人もボクと同様、定年になってこの英会話に通い始めたという。

 

英会話のレッスンは3ヵ月クールで開講している。
1クールが終了する前には、次のクールに参加する新入会員が見学にやってくる。

その時、ボクは白髪の老女が見学の人だと思っていた。
 

「ハロー」と言いながら、いつもの生徒たちが次々と教室に入ってくる。
午後2時になると、10名の生徒が揃った。

シェヒター先生がドアを開けて、明るく「ハロー」と言いながら入ってくる。

ルーマニア出身で、ブロンドのショートヘアが印象的だ。

 

授業が始まった。

テキストのCDをデッキに入れて、英会話を流す。

日本の風習について、観光で来日した外人の男女が話している。

CDが終わると、シェヒター先生は生徒を指名して、テキストの会話部分を読ませた。

 

ボクは淡々と進む授業に、少し変だなと思っていた。

見学者がいる時、いつも先生は生徒たちに自己紹介を英語でさせる。

見学者にも英語で質問したりしている。

ところが、先生は白髪の老女に気付かない様子だった。

 

老女はじっと前を見ていた。

ボクはその女性の姿が気になって仕方が無かった。

だが、他の生徒たちは誰もその女性に視線を向けているものはいない。

 

やがて、1時間15分の授業が終わった。

ボクはテキストをカバンの中に入れていると、シェヒター先生が英語で話しかけてきた。

先週雑談していたことの続きだった。
ボクは拙い英語力で、シェヒター先生の質問に応えていた。

話を終えて、白髪の老女が座っていた席を見ると、老女は居なかった。

すでに教室を出てしまったようだ。

ボクはシェヒター先生に、「今日は見学者の人がいましたね」と英語で言うと、先生はボクの言葉が理解出来なかった様子で、ポカンとした表情を浮かべていた。

ボクの発音が聞き取れなかったのだろうと思った。

次のクラスの生徒たちが教室に入ってきたので、ボクは慌てて教室を後にした。

 

公民館を出て、駐輪場まで自転車を取りに行った。

鍵を解錠しようとした時、突然柱の陰から老女が現れた。

さっき教室にいた白髪の女性だ。

近くで見ると、かなり年を取っているように思えた。
70歳代後半だろうか。

「あの、英会話の生徒さんですね」と、老女が言う。

「ハイ、そうですが」と、ボクは頷いた。

老女の右目は白内障なのか、白く濁っている。

「来週も英会話に来られますか」と、老女はか細い声で言う。

ボクが頷くと、老女は1枚の紙を渡した。

英会話教室の申込書だった。

老女は来月から英会話教室に参加するつもりなのだ。

来週に申込書を事務所へ出してほしいと、ボクに依頼するのだ。

老女は自分で出そうとしたが、担当の事務員が居なかったという。

「お安いことです。来週事務所に出しておきますよ」と快諾すると、女性は「ありがとうございます」と応えて、駐輪場から出て行った。
ボクは自転車を動かして駐輪場を出ると、すでに女性の姿は無かった。

申込書には、楠本妙子の名前と住所が書いてあった。

 

翌週、英会話教室に出かけた。

始まる前に1階の事務所へ立ち寄った。

顔見知りの女性事務員がいたので、事情を説明して預かった申込書を渡した。

事務員は書類を見ると、「楠本妙子さんですね、ご本人さんは?」と、訊く。

ボクは「先週、見学に参加されていた人ですよ。事務所に書類を持って行ったが、係の人が居なかったと言って、ボクが頼まれたのです」と説明した。

そして、「別に、私の知り合いじゃないですよ」と付け加えた。

事務員は「見学?」と首を傾げながら繰り返し、横にいる女性事務員に、「京子さん、先週英会話に見学の人がいた?」と訊く。
尋ねられた事務員はパソコンから顔を上げて、「いなかったと思いますけど…」と応えた。

ボクは「でも、先週その申込書を駐輪場で渡されたんですから」と、強い調子で言った。

すると、事務員は「ああ、そうですか。とりあえず、この用紙は預かっておきますから」と言い、申込書をクリアファイルに入れて、再び受付の椅子に座った。

 

ボクはエレベーターに乗り、3階の教室へ向かった。

教室に入ると、すでに2人の生徒が席に座っていた。

先週も私が教室に入った時、そこに居た葉山さんと田村さんだ。

「葉山さん、先週見学に来ていた人がいましたよね?」と、教室に入るなり、ボクが訊く。

「えっ、見学者って、居ましたっけ」と首を傾げ、「居ました?」と斜め向かいに座っている田村さんに訊く。

「いやぁ、居なかったと思いますけど…」

その時、金子さんと吉田さんがドアを開けて入ってきた。

葉山さんが「金子さん、先週見学者って、いました?」いうと、金子さんも「えっと、居てましたかね」と、呆けたような調子で言い、首を傾げた。

歳を取ると、前日の記憶さえ曖昧だ。

ましてや、先週の出来事ははっきりしないようだ。

 

教室に入ってくる生徒たちに訊いたが、誰も見学者が居たという人はいなかった。

「そこの席に座っていたでしょう」

ボクは女性が座っていた席を指さすと、みんな「えっ」と言って席の方向を見る。

そうしていると、「ハロー」と言いながら、シェヒター先生が入ってきた。

What?」

ボクが他の生徒さんが話しているのを見て、シェヒター先生が訊く。

英語が一番堪能な吉田さんがシェヒター先生に英語で説明した。

すると、先生は「先週は、誰も見学者はなかったです」と、たどたどしい日本語だったが確信を持って言う。

 

見学者を見たのはボクひとりだった。

ボクは亡霊でも見たのだろうか?

<ボクが勘違いしている>と、そこにいる全員が思ったようだ。

でも、確かに白髪の老女がボクに入会の申込書を渡した。

もうそれ以上言うと、益々ボクが疑われそうだった。

他の生徒たちはボクの勘違いだと思ったようだ。

 

授業を終え、ボクは教室を出た。

1階に降りて事務所の前を通り過ぎようとした時、応対してくれた事務員がボクに声を掛けた。

事務員の横には年配の女性が立っていた。

「あの、私は館長の飯塚です」と、その女性が言う。

「事務の子から聞いたんですけど、楠本さんの書類を届けていただいたのですね」

「はい」とボクはうなずく。

「本当に、先週楠本妙子さんからこの書類を受け取ったのですか?」

「ええ、その人は見学に来られていて、私が帰る時、駐輪場でその書類を事務所に出してほしいと頼まれたんですが…」

「見学にね」と館長は言って、横にいる事務員と目を合わせた。

事務員は館長に向かって、ゆっくりと首を振った。

「先週の英会話には見学者の記録がないのですよ」

「でも、確かに名前と住所が書いた申込書を預かりましたよ。書類は事務員さんにお渡ししましたが…」と言って、私は事務員のほうを向いた。

「確かに、書類はいただきましたが…」と、呟くように事務員が言う。

すると、館長が口を挟む。

「あの、楠本妙子さんをご存知なんですか?」

「いえ、先週初めて会った人です」

「初対面ということですか…」

「はい、もちろんそうですよ」と、ボクは強い調子で言う。

館長と事務員は顔を見合わせて、不審な表情を浮かべた。

しばらく沈黙があった後、館長は口を開いた。

「確かに、楠本妙子さんはいましたけど。以前、この英会話の生徒だったんです。でもね、2年前に亡くなったんです。英会話を終えて自転車で帰っている時、トラックと接触事故を起こして。頭部を強く打って…」

話を聞いたボクは全身の血が足下へと流れ落ちていくのを感じた。

「でも、確かに…」

ボクはあとの言葉が出なかった。

 

老女を見たのはボクだけだった。

ボクの作り話だと言われても、反論しようがない。

確かに、ボクは白髪の老女を見たのだ。

 

その後、ボクに向けられる視線が冷たく感じられ、ボクは英会話教室をやめてしまった。

 

お・し・ま・い

 

ショートショートでした。

もちろん、作り話です。

 

私は2年前の4月から公民館の英会話に通った。

2年と3ヵ月、外人教師のもとで英会話を習った。

生徒はほとんどが女性で、半数は私よりも年上の女性だ。

 

通い始めてからしばらくして、隣に座っていた80歳のFSさんと親しくなり、終わった後にスーパーのイートインでお茶して帰るのが習慣になった。
その後、3人の老女が毎回参加して、毎回井戸端会議をしていた。

 

初めは年配の女性たちと会話するのが楽しかった。

会社は男性社会だったので、老女といえども女性たちの話は新鮮だった。

私も老女たちを楽しませるような話題を提供していた。

 

だが、2年もすると、限界がきた。

老人独特の、同じような話題が続く。

(私も同じ話をしているようだが…)

特に、FSさんは毎回息子ふたりが国立大学を出ていることを自慢したり、生命保険会社で働いていた武勇伝を繰り返し聞かせてくれる。

 

そろそろ、飽きがきた。

とりあえず、英会話教室をやめることにした。

 

死ぬまで英会話の勉強は続けたいと思っているが…。

author:金ブン, category:日常の出来事, 10:39
comments(0), trackbacks(0), - -
Comment









Trackback
url: http://kanablog1.kanabun-jun.com/trackback/858216