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好好爺

JUGEMテーマ:家庭

 

歳を重ねれば、物事に動ずることが少なくなるのだろう。

そう、思っていた。

だが、そんなことはない。

ちょっとしたことで、心が揺れ動く。

いくつになっても、変わらない。

心の平安を保つのは難しいものだ。

 

他人から見れば、私という人間はのんびりとして穏やかな性格に見える(ようだ)。

いわゆる、好好爺。

だが、それも見立てだけ。

 

電車で隣の席に幼児を抱いた女性が座る。

私は本を読んでいる。

突然、幼児が愚図りだす。

大声で泣く。

かなり、うるさい。

本に集中できない。

何とか泣き止ませられないかと、横目で若い女をチラ見する。

女はあやしているが、幼児は泣きやまない。

泣くのが仕事だからと、思う。

私は本を閉じて、幼児の顔を見る。

すると、女性は私の視線を感じて、済まなさそうに軽く頭を下げる。

私は少し微笑んで「大丈夫ですよ」と言い、いかにも好好爺を演じる。

しかし、腹の中は違う。

「泣かすな」と毒づき、心はささくれている。

 

歳を重ねることは、演技が上手くなることだ。

 

若いころは感情を抑えられず、キレることがあった。

北海道の襟裳岬で、コンブ漁のアルバイトをしていた時のことだ。

毎朝3時ごろに起きて、浜辺に出る。

コンブを取った船が浜に帰ってくると、コンブを海岸に並べて干す。

昼から乾いたコンブを倉庫に運んで、仕分けをする。

仕事は連日夜まで続く。

住み込みで働いていた家には、祖父、父親と母親、息子夫婦が住んでいた。

息子夫婦には幼稚園に通う女の子がいた。

この子が面倒な子供だった。

学生の私にまとわりついて来る。

両親は可愛くて仕方がない様子だったが、私には全く可愛さの欠片も感じられない。

ただただ、面倒くさいガキだった。

 

働き出して半月ぐらいが経った朝。

早朝の仕事を終え、みんなで朝ごはんを済ませ、全員がテレビの前に集まってNHKの朝ドラ(北の家族)を観ている時だった。

この家族たちはNHKの朝ドラを観るのが日課だった。

アルバイトも一緒にテレビの前に座って、ドラマを観ていた。

すると、女の子がいつものように私の身体にまとわりつき、うるさい蝿のように絡みつく。

それでも、お婆ちゃんやお爺ちゃん、両親にとって、その蝿が可愛くて仕方がない様子。

連日、その光景が日課になっていた。

私は突然、蝿にキレたのだ。

「うるさい!」

私は女の子の耳元に、大声を投げつけた。

家族団欒の空気は凍りついた。

女の子はびっくりして、私から放れた。

家族にとって可愛い子供であり孫である生き物に罵声を浴びせた学生が、とても奇異な動物に感じられたに違いない。

大海原と向かい合って暮らしている、大らかでおっとりした人たちにとって、ホームシックに罹っていた若者を慮る余地など無かっただろう。

 

先日、孫たちが宮崎から大阪の吹田に引っ越してきた。

娘たちは新居の片付けで忙しいので、その間孫たちを預かることになる。

3月末に私は宮崎まで出かけてずっとお守をしていたので、もう孫たちでお腹いっぱいになっていた。

小さくて可愛かった動物たちも、時折憎々しげな人間に変身する。

甘やかすとつけ上がり、叱ると「爺が悪い」と反発する。

<可愛い率>は安部政権の内閣支持率のごとく半分以下に落ちていく。

 

<なんでこんなに 可愛いのかよ 孫という名の 宝物>

そういえば、老人たちとカラオケに行った時、私は好好爺ぶって、大泉逸郎の「孫」を唄っていたっけな。

author:金ブン, category:家庭の話題, 07:44
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