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十三回忌

JUGEMテーマ:家庭

今週「コード・ブルー」というドラマの最終回が放映された。

<ドクターヘリ>をテーマに、緊急救命センターで働く医師たちを描いている。

医師に扮している俳優が若すぎて、もうひとつ現実感に乏しい気がするのだが…。

13年前の2004年11月、息子が救命救急ルームに入っていたことを思い出した。

阪大病院に入院してから、CT画像検査の結果、息子の胸部に大きな腫瘍があることが判った。

生体検査(生検)を行った結果、腫瘍は横紋筋肉腫だと診断された。

抗癌剤投与で腫瘍を小さくしていくことを、担当医から伝えられた。

ところが、担当医と外科医から再度検査をしたいと言われた。

最初の生検は胸部の腫瘍から転移していたリンパ腺から組織を採った。

その結果腫瘍の種類が判ったのだが、今度の生検では原発病巣から直接組織を採って、詳しく調べると言うのだ。

私も妻も「病名が判ったのだから、もうそれで良いのでは」という気持ちだった。

中学生の息子に再度検査の苦痛を与えることが不憫だった。

だが、医師から<横紋筋肉腫には主に胎児型と胞巣型と、2つの種類があって、その種類によって化学治療の薬の選び方も変わってくる>との説明を受け、2回目の生体検査を承諾した。

11月17日に2回目の生体検査が行われた。

その日の夕方、会社で仕事をしていた私の携帯電話が鳴った。

妻からだった。

担当医師が「説明したいことがあるから、出来るだけ早く病院に来て欲しい」と言っているという。

私はすぐに病院へ向かった。

病院に到着すると、妻と娘と担当医が私を待っていた。

担当医の説明によると、生検の途中で自発呼吸が出来なくなり、急きょ気管チューブを挿入し、局部麻酔を全身麻酔に切り替えたという。

生検の際、仰向けに寝かせて切開を行っている内に、腫瘍の重みが気管を圧迫して自発呼吸が困難になったとのことだ。

それほど、胸部にある腫瘍が大きくなっていた。

生検前の説明ではそれほど緊迫している状態ではなかった。

だが、ガンの進行は予想以上に早くなっていると、担当医はいう。

「一刻も早く抗癌剤の投与をして、腫瘍を小さくする必要がある」と、医者は告げる。

説明を受けた後、私たちは息子が運ばれている高度救急救命センターに案内された。

最初に救急救命センターを訪れた体験を、私は以前ホームページで紹介している。

久しぶりに読み直してみると、その時の緊迫感が思い出された。

<高度救急救命センターは1階通用口の横にある。
面会に来るとき、いつもその前を通る。
時折救急車が止まって、救急患者を運び入れているのを、私は何度か見ている。
自動扉を入ると、長椅子が5脚ほど置かれた待合室がある。
そこで指定の草履に履き替え、手を消毒しマスクをしてから入室する。
入室出来る時間は原則、午後1時から45分までの一日一回だけである。
それに面会出来るのは二人だけ。
「準備が出来次第呼びますから、ここで待っていてください」
そういって、T医師はセンターの中へ入っていった。
私たち3人は長椅子に座った。
何組かのグループが面会の許可を待っている。
どの人たちも不安そうな面もちに見える。
待っている人々は時折声を押し殺して会話を交わし、みんなうつむき加減で座っている。
警察官と救命士が現れて、入り口近くで家族を交えてヒソヒソと話をしている。
交通事故なのだろうか。


やがて、T医師が現れた。
「それじゃ、どうぞ入りましょう」
私がうなずくと、マスクと手の消毒を促し、中へ案内した。
通常は二人しか面会出来ないのだが、その時は妻と娘と3人で入った。
部屋の両端にベッドが並べられているが、それぞれカーテンで仕切られていて、全く患者たちは見えない。
たくさんの蛍光灯が天井を這い、夜と思えないほどの明るさだった。
ピッピッという機械音が聞こえてくる。
部屋の真ん中で、医師や看護士たちが忙しく動き回っている。
至るところに医療機器が並んでいる。
ここには生きること、死ぬことの意味を問う余裕なんてない。
ただ、心臓の鼓動を聞くために、全神経を集中している。


T医師が中央まで進み、カーテンを開けて入る。
私たちが続いて入った。
淳一がベッドに寝ている姿を見て、私は愕然とした。
「なんで、こんなことに」と言って立ちすくみ、涙がこぼれ落ちてくる。
妻はベッドに近づき、淳一の手を触った。
淳一は薄目を開いて、眠っている。
両手と両足はベッドに縛られた状態で、口に管が挿入され、点滴が数本ぶら下がっている。
口からの管はベッドの横にある機械につながり、そこに取り付けてある風船のようなものが、 スーハー、スーハーと淳一の呼吸に合わせて、膨らんでは縮み、縮んでは膨らんでいる。
枕元に置いてある機械は淳一の状態を数値やグラフで表している。
ピッピッと規則正しく、機械音を刻んでいる。
「少し、驚かれたと思います。麻酔で眠った状態です。容態は安定しています。眠っている間、手で気管のチューブや点滴の管を触らないように縛っています」
不安げな私たちを安心させるためか、T医師は少し笑みを浮かべた。
「ここは24時間、人が付いていますから、異常があればすぐに対応できることになっています」
突然、となりのベッドから声がする。
「お爺ちゃん、何で死のうとしたんですか」
救命士か警察官のようだ。
患者に声を掛けているようだが、反応は聞こえてこない。
「あのう、これは何ですか」
私は涙を拭いながら、淳一の足の親指に付いている線を指さして訊ねる。
「ああ、これはセンサーで血液の酸素濃度を感知するものです。この数字がそれです」
T医師は98、96、99、97と時折変化する数字を指し示す。
数値が極端に下がってくると、ピッピッと音がなり危険を知らせる。

この時から10ヵ月後の9月、この音を聞くことになるのだ。


T医師は点滴の状態を確認してから、「後で来ます」と言ってその場を立ち去った。
妻と亜由美は涙を流しながら、淳一の手足や頭をさすり、私はただ呆然と立ちつくしている。
つい3ヶ月前まで、蒸し暑い体育館を走り回っていたではないか。
バスケットのチームの中で、一番タフと言われていたではないか。
私はドロドロとした沼に立っている気分だった。
悪い夢を見ているのではないだろうか。
突然、点滴の機械がピーピーと鳴った。
K看護士が現れて、点滴が無くなっているのを確認する。
「身体の向き、しんどくないかな」
看護士は淳一の寝ている姿勢を気づかう。
点滴を替えながら、「よく眠ってはりますね」という。
張りつめた空気の中で、拍子抜けするような穏やかな口調だった。
今晩淳一の担当で、終夜付いてくれるという。
K看護士はこの高度救急救命センターいる間、淳一の担当として頻繁に妻や娘と言葉を交わしていた。
小児病棟に移った後も、時折6階までお見舞いに来てくれた。
亡くなる前日、最後の面会者になったのもこのK看護士だった。


10分程すると、前日生検の説明をした外科のK医師が現れて、状況を説明するという。
私たちは高度救急救命センターの入り口近くの通路で、K医師から説明を受けた。
そこにもライトビュアーがあり、K医師はCT画像を目の前にしながら立ったままで話した。
通路なので、頻繁に医師や看護士たちが私たちの横を通る。
K医師の話はくどく、弁解めいていた。
<腫瘍が予想していた以上に大きくなっていて、生検の途中で気管を圧迫する事態が生じました。局部麻酔で行っていましたが、急遽気管挿入して全身麻酔に切り替えました。縦隔から組織は採取しました>
T医師が説明していたことを繰り返した。
麻酔のミスではないのだろうか。
私の頭によぎった。


30分程度の立ち話だったが、私は疲れていた。
K医師が立ち去ると、入れ替わりにT医師が現れて奥の部屋へ案内した。
「人工呼吸器を付けた状態を見慣れていない人にはかなりショックを受けられると思います。ここでは日常茶飯事ですから」
T医師はうなだれている私たちを懸命に慰めようとしている。
「今は落ち着いていますので、任せていただいて大丈夫ですから」と促されて、私たちは家に帰ることになった。
時計は午後10時を回っていた。>

3週間、高度救急救命センターで治療して、小児科の病室に移った。

ガンは少し小さくなり、その後抗癌剤投与が続けられた。

その副作用で、息子の髪の毛が抜け始めた。

先週の9月16日は息子の13回忌だった。

丸12年経っているのに、バスケットの仲間とその親、先生たちが次々とお参りに来てくれた。

同級生の中には結婚して子供が生まれた仲間もいた。

もう28歳になるのだ。

命日の10日前、息子の夢を見た。

亡くなってからは全くと言っていいほど、息子の夢を見たことが無かった。

久しぶりに見た息子は闘病中の姿だった。

抗癌剤の副作用で、全く髪の毛が無かった。

最後の1年の印象が強くて、闘病中の姿でしか現れない。

author:金ブン, category:家庭の話題, 09:00
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