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京都ぶらり(立命館大学広小路周辺)
JUGEMテーマ:日記・一般

いとこから、絵のグループ展に出展しているとの葉書が届き、
京都府立文化芸術会館に出かけた。

場所は河原町どおりに面し、丸太町と今出川の通りの中間に位置している。
この辺りはとても懐かしいところだ。

今から40年程前、昭和46年から昭和50年までの4年間、
立命館大学の広小路学舎で、大学生活を過ごした。

広小路

跡地は昔の面影が全くない。
京都府立医科大学の近代的な校舎に代わっていた。

今立命

試験も入学式も、新しい校舎の衣笠学舎だったため、 
初めて広小路を訪れた時は少しがっかりしだった。
建物は古びていて汚く、どこも暗かった。

昔立命

しかし、その失望はすぐに消えた。
校舎のあちらこちらにアジテーション看板が立てられ、
自由な空気に包まれていた。
その空気に触れたとき、受験勉強から解放された喜びを強く感じたものだった。

絵を鑑賞した後、愚妻と辺りを散策した。

入学した年、出版されたばかりの、高野悦子著「20歳の原点」が話題になっていた。
その本に登場する、ジャズ喫茶「しぁんくれーる」は有名だった。

しあんくれーる昔

今は駐車場になっている。

しあんくれーる今


隣にあるビルは1階が喫茶店で、2階が雀荘だった。
ゼミの出席数よりも多く、この階段を上ったに違いない。
ゼミの先生の顔は忘れていても、愛想が良かったマスターの顔を思い出すことができる。

あの頃、ガロの「学生街の喫茶店」が流行っていた。
この歌を聴くと、御所と校舎の間の道に面したところにあった喫茶店を思い出す。
民青のオルグに遭い、ここで5時間も説得されたことがあった。
ノンポリの僕は彼らの熱弁に、全く心が動かなかった。
今は画廊になっており、道路から少し下がった店内はわずかに昔の面影を残していた。

学生喫茶

大学の近くには京都御所があった。
授業の合間はここでぼんやりと時間を過ごした。
大学には運動場が無かったので、授業の一環として御所のグラウンドで
ソフトボールをしたことがあった。
受験勉強で経て運動不足の学生が多かったとはいえ、みんな、かなり運動神経が悪かったのを思い出す。

京都御所

また、近くには梨木神社や紫式部ゆかりの廬山寺があったが、
中に入った記憶が無い。

帰りに、三条でみやこのカレーうどんを食べ、イノダのコーヒーに立ち寄った。
みやこのカレーうどんは京都営業所に勤務している時、よく食べた。
今回の京都訪問の目的は、絵を鑑賞することと、ここのカレーうどんを食べることだった。
中国語なまりの日本語を話す店員も懐かしかった。
今まで何度も味わったが、汁を残したことが無い。
それほど、カレーの汁は美味い。

カレーうどん

大学3回生の時、初めてイノダでコーヒーを飲んだ。
当時、コーヒーは大人の飲み物だった。
私は森永のミルクコーヒーしか、飲まなかった。
そのころ、イノダのコーヒーは砂糖もミルクも入って出されていた。
少し苦いコーヒーを口にしたときは、妙に大人になった気分がしたものだった。

イノダ

帰りに、今井食堂でサバの味噌煮を買って帰る予定だったが、
すでに売り切れており、店は閉まっていた。
author:金ブン, category:人生, 19:09
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Comment
 私、昭和42年47年まで広小路で学生生活をすごしました。大変懐かしく読ませてもらいました。高野悦子「二十歳の原点」死ぬことはないと思っています。死んで花実が咲くものか、と。
小鷹潔, 2014/10/04 8:33 PM
私は昭和45年〜49年まで、広小路で過ごしました。京都御所のグランドでの話そんなこともあったなと、懐かしく読ませてもらいました。
高野悦子さとは会った事はありませんが、同郷です。45年の頃は学内で、全共闘系の学生に対するつるしあげがあってその時、自殺者がでたことをしりました。
赤塚康二, 2014/11/02 11:45 PM









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