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パソコン用メガネ

JUGEMテーマ:日記・一般

 

中学生の時から、近眼になった。

高校生になってから、当時では珍しかったコンタクトレンズを装着した。

50歳を過ぎたころ、コンタクトレンズを着けた状態では近くの文字が見づらくなってきた。

すると、近視のコンタクトレンズを着けながら、小さい文字を読むときは老眼鏡を掛けて見るという奇妙な状態になってきた。

還暦近くになってから、装着するのが面倒なコンタクトレンズを止めて、メガネに変えた。

コンタクトレンズと同様、近視のメガネでは手元の小さい文字が見づらいので、メガネを外して見るようにしていた。

メガネを外せば、小さな文字でも見ることが出来る。

新聞や本を読むときは必ずメガネを外している。

 

ところが、パソコンを使うと不便なことが出てくる。

書類を見ながら、文字を入力する時だ。

書類を見るときはメガネを外し、パソコンを見るときはメガネを掛けないといけない。

最近、シルバー人材センターからアンケートのデータ入力を頼まれる。

書類とパソコンを交互に見ての作業なので、メガネを掛けたり外したりするのはかなり面倒なのだ。

 

年末の新聞に、1000円の値引き券が付いたメガネ店の折り込みチラシが入っていた。

その店で買ったことがある知人が、さらに10%値引きになる紹介状をもらったので、早速店に出かけた。

 

店内には3980円(フレーム・レンズ)と9800円(フレーム・レンズ・薄型)のコーナーがあった。

ワイドショー司会者の恵俊彰そっくりの店員にパソコン用のメガネを相談すると、遠近両用のメガネが良く使われていると言う。

フレームを選んでいると、徐々に買う気になってくる。

年末アルバイトを長時間していたので、財布のひもが緩んでしまった。

 

勧められるまま、近眼の度数を測ったりレンズを調節したりする。

新聞をパソコンの位置にかざしたり、手元に置いてみたりすると、両方とも良く見える。

これで日々の問題が解決するような気になってくる。

結局、薄型・遠近両用・ブルーライトカット(5000円)にして、合計から値引き券を使って、税込で14500円になった。

 

今週入荷したので、使い始めたが…。

 

遠近両用というのは目が疲れる。

レンズ中央の上下で度数が変わっているので、パソコンを見るときは上目使いにし、書類を見るときは目玉を下へ向けなければいけない。

これが面倒なのだ。

恵俊彰似の店員が「慣れると、良くなりますよ」と言っていたが、なかなか慣れるのが難しい。

 

買ったあとで、後悔する。

 

パソコン用メガネなので、四六時中掛けるわけではない。

それなのに、わざわざ薄型レンズである必要があったのか。

書類を見ながらの作業なんて、そんなに多くないのだから、遠近両用が必要だったのか。

それに、勧められたブルーライトカットの効果だ。

本当に目に良いのか。

(買ってから調べるのはどうかと思うが、ネットでブルーライトカットの利点を調べていたら、米国眼科学会が「ブルーライトは目を傷めない」「PC用メガネも推奨しない」を表明して、論争になっているようだ」

あれやこれやと不満が出てくる。

 

大枚(?)をはたいて買ったのだから、慣れるまで使うしかないのだが…。

 

買ったメガネは<お眼鏡にかなわなかった>、なんちゃって。

おあとがよろしいようで。

 

author:金ブン, category:日常の出来事, 10:27
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謹賀新年

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あけまして、おめでとうございます。

 

いよいよ、平成が終わり、新しい年号になります。

私は2月に66歳。

 

今年は「パソコン力」を付けること、文化財ボランティア活動を極めること、この2点を目標にして、暮らしていきます。

新しく挑戦できるものを見つかれば、さらに追いかけていきます。

また、コミュニケーションツールとしての「笑い」をいつも心がけていきたい。

 

そんな1年の活動を「金ブン通信」に記録していきます。

author:金ブン, category:日常の出来事, 10:52
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平成30年の終わりに

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今週、変な夢を見た。

飛び込みセールスをしている夢だ。

確か、場所は京阪電車の交野線だった(ような気がする)。

新入社員のころ、この交野線を広告看板のセールス資料を持って歩いたものだ。

40年以上前のことが思い出された。

夢では会社のことが登場するが、現実の世界では思い出すことがほとんど無くなった。

 

広告の世界から離れて、3年が過ぎた。

定年後の生活が身体に馴染んできた。

 

退職するとき、やりたいことを頭に描いたが、それらはほとんど実行出来なかった。

テニスで足を痛めて行動範囲が狭まり、本も映画も働いている時より触れる機会がずっと少なくなってしまった。

だが、文化財のボランティア活動をしたり、シルバー人材センターで仕事をするようになって、これから目指すことが徐々に見えてきたような気がする。

自分の居場所が解ってきたともいえる。

 

先週、将棋の羽生善治が無冠になった。

平成に入ってから活躍し、タイトルを7冠獲得する偉業を成し遂げた。

平成の時代を象徴する人物だった。

次の時代になっても、まだまだ挑戦する意欲を見せていたのが印象的だった。

そう、まだ終わってはいない。

 

平成はひとつの区切り。

新しい自分に挑戦することを忘れないようにしたい。

来年も楽しくなりそうだ。

author:金ブン, category:日常の出来事, 10:27
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パソコン生活

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先週、<パソコンの会>の忘年会があった。

席上、私は出席者のみんなから感謝された。

これまでの人生で、これほど人から感謝されたことはなかった。

 

文化財ボランティアの会の中で、パソコンを習いたい人が会員になっている。

3年前から、私はここで講師をしている。

講師といっても、難しいことを教えているわけではない。

初心者の老人相手に、基礎的なことを私も勉強しながら教えている。

 

主に教えるのは、Microsoft officeのワードだ。

勤めていた頃、ほとんどエクセルを使っていた。

たまにワードを使う機会があったが、使いにくいソフトという印象しかなかった。

しかし今では、必要に迫られて、このワードのソフトばかりを使っている。

 

歴史ウォークの募集チラシ、参加者に配る文化財の資料、そして3か月に1回発行している会報など、ワードで作る。

シルバー人材センターの仕事でも、会員向けの会報誌、入会説明会用パンフレットやポスター、年賀状など、使うソフトはすべてワードだ。

 

ワードは本来文章を打つのに適しているソフトだが、デザインするのにも役立つ機能がかなり充実している。

写真を配置し、その写真のトリミングや色の調整や変更も簡単にできる。

数十ページのパンフレットでも、様々な機能を知っていれば、スムーズに作成することができる。

それは機能を知っていればの話で、知らないと全く融通の利かない頑固おやじになる。

 

最初は頑固おやじとの格闘だった。

作業中に、急に文字が消えたり、写真が動いてしまったり…。

したいと思っていることが出来なかったりすると、もうイライラする。

だが、慣れてきて、便利な機能を使えるようになると、なかなか楽しい。

 

上達の基本は「ググる」ことに慣れること。

「ググる」とは解らないことをグーグルやヤフーで検索して調べることだが、この方法を使うと回答がすぐに見つかる。

回答の中に分からないインターネット用語が出てくると、さらに「ググる」って調べる。

 

すると、パソコンの様々な問題を解決することが出来てくる。

 

パソコンを教えている人から、時折トラブルの電話が掛かってくる。

先週、親しくしているSさん(83歳の女性)から、年賀状ソフトのデータが消えたとの連絡があった。

プリンターの不具合を買った電気店に相談していたところ、店員から「一度電源を切ってもう一度起動してみてください」と言われ、パソコンのコンセントを抜いてしまったのだ。

開いていた年賀状のデータが消えてしまったという。

私はご自宅を訪ね、パソコンと格闘することになった。

「ググる」ことを繰り返して、2時間近く格闘して、やっと修復した。
Sさんから、神様のように感謝された。

 

その他にも、買ったプリンターの設定やメールソフトのトラブルの連絡があり、ご自宅へ訪問したり。

人から感謝されるのは気分が良いものだ。

 

今日も昼から、「ウィルスに侵されたのか、パソコンが変になったから助けて」というメールが届いたので、会員さんのマンションまで出張することになっている。

 

トラブルを解決している内に、徐々にパソコンに詳しくなっていくものだ。

author:金ブン, category:日常の出来事, 09:28
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雨が続く日には

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暑い日の後は台風や地震、そして秋雨前線が停滞。

また雨かと、空を見上げる。

<1年を通じて、断然雨の日より晴れの日が多い>

そう考えるのはポジティブ思考の人だ。

だが、ネガティブ思考の私は、来週また台風がやって来るかもしれんなと考えてしまう。

 

確かに、大坂が全米テニスに優勝したのはひと時の清涼剤だった。

だが、ネガティブ思考の私にはこの話題も後悔の念をもたらす。

退職して始めたテニスで足を悪くしたからだ。

3年経った今も膝や股関節に痛みを感じている私は、テニスのプレーを見るたびに、「テニスなんて、やらんかったら良かったのに」と思ってしまう。

 

そんな暗い気持ちばかりでは、人生が面白くない。

なんか、笑わしてくれるような話は無いものか。

そう思って、youtubeで「すべらない話」を聞いていたのだが、それも<すべる話>ばかり。

仲間内で大笑いしているが、全く、笑えないものばかりだった。

ところが、ひとつだけ大笑いした。

 

ナイツの塙の話だ。

 

 

話の組み立てが非常に上手いし、笑わせるコツを良く分かっている。

 

それで、私は<インターネットのヤホーで、ナイツの塙のことを調べてきました>。

 

1978年3月千葉県の我孫子で生まれ、佐賀県佐賀市で育った。

龍谷高校から創価大学を卒業している。

3人兄弟の三男で、実兄に芸人のはなわがいる。

芸人のはなわは最近「お義父さん」という歌がヒットし注目をあびた。

大学の落語研究会で知り合った土屋と卒業後に漫才コンビ「ナイツ」を結成し、漫才師の内海桂子に師事した。

その後、ナイツとして、漫才新人大賞や文化庁芸術祭優秀賞などの受賞歴がある。

漫才のネタは趣向を凝らしたものが多く、様々な題材に挑戦している。

2007年に漫才協会の理事になり、2015年に副会長に就任。

相撲好き・野球好きで、熱烈な巨人ファンである。

 

塙のボケに、土屋のツッコムが実に絶妙。

最近、私はナイツの漫才をほとんど聞いた。

以前「野球の話」を紹介したが、これは前半のネタふりに絶妙のオチを付けているところが面白かった。

それ以外にも、趣向の違った漫才を次々と披露している。

台本はすべて塙が書いているという。

 

土屋が歌って、それに塙が歌詞につっこむという漫才がある。

 

 

熟女ずきだよ!

この切り返しには笑ってしまった。

 

とにかく、気持ちが後ろ向きになっている時は、バカげたことで笑うのが一番だ。

author:金ブン, category:日常の出来事, 09:26
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深夜の医療センターで

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アメリカテキサス州でのこと。

女が時速160キロで警官とカーチェイスを繰り広げる映像を見た。

追い詰められた女は赤ちゃんが眠るゆりかごを持って、逃げる。

 

 

世の中にはとんでもない女がいるものだ。

どんな境遇に置かれると、このような行動を引き起こすのだろう。

女の行く末より、この女に育てられる赤ちゃんの将来が気にかかるのだ。

 

先日の夜中、義母が体調を悪くした。

午前1時すぎ妻に電話があり、嘔吐とめまいがするという。

救急車はイヤだというので、妻が車で救急センターへ連れていくことになった。

私も同行した。

 

午前2時ごろ、総合医療センターに着いた。

深夜で真っ暗なビルの1階に、救急の入口を示す看板が赤く輝いていた。

予め電話していたので、受付で手続きをすると、すぐに医師が診察してくれた。

義母が診察してもらっている間、私は受付前の長椅子に座っていた。

 

子供を連れた母親やサラリーマン風の男性が受付に現れて、診察を待っていた。

突然そこへ、茶髪のヤンキー女が現れた。

Tシャツにパジャマの長ズボン姿で、大きめのゴム草履を履いていた。

左目を押さえながら、「目が痛いねん。診て」と受付で荒っぽく言う。

受付の女性は「いつから」「どんなふうに」「持病は」とか、丁寧に訊く。

女は邪魔くさそうに、それぞれの質問に答える。

受付の女性は冷静に、優しく応対している。

女のぞんざいな態度に、当事者でもない私はいら立ちを感じた。

 

「な、ティッシュちょうだい」と、ヤンキー女が言うと、受付の女性がティッシュの箱を受付のテーブルに置いた。
女は数枚ティッシュを取って椅子に座り、目を拭いていた。

すると、使ったティッシュを受付のテーブルに投げるように置いて、ぶらりと部屋を出ていった。

くしゃくしゃになったティッシュの白さがやけに目に付いた。

 

しばらくして、再びヤンキー女が現れた。

「まだか」と受付の女性に言いながら、部屋をウロウロと歩きだす。

「こら、じっとしとらんかい」と言いたいところだが、部屋の外でコワイおじさんが待機していそうなので、止めた。

順番が来て、診察室に入った女はすぐに出てきた。

眼帯をすることもなく、受付の前を通り抜け、部屋を出て行ってしまった。

受付で診察料を清算する様子も無かった。

不思議なのだが、受付の女性はヤンキー女を呼び止めることもしなかった。

妻が病院に連絡した時、<救急医療は保険が適用されないので初診料として5千円が必要>と云われていたのだが…。

 

義母の検査と診察が終わった。

重篤な病気でもなさそうで、夏の疲れか、熱中症ではないかという診断だった。

 

午前3時すぎ、真っ暗な駐車場から車を出して、帰途についた。

病院を出てすぐの交差点で、信号が変わるのを待っていた。

眠い目をこすりながら車窓から外を見ていると、ヤンキー女が舗装された歩道にいた。

薄暗い中を、ひとりふらふらと歩いていた。

それは風に飛ばされた小枝のように見えた。

 

この女はどんな家庭環境で育ったんやろ。

 

♪やるせない 夜の街 ため息に うるむ灯♪

 

この時なぜか、加山雄三が歌っていた「君が好きだから」を思い出して、口ずさんだ。

<やるせない>という言葉を、初めて知った曲だった。

author:金ブン, category:日常の出来事, 09:52
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コメント力

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昼食の時、文化財ボランティアの会のメンバー数人と話していた。

話題は<メンバーたちがボランティアに参加している目的とは何だろう>とだった。

 

会の目的は地元の文化財を多くの人に知ってもらうことだが、そのための活動として主にガイドがある。

その他にも、文化財の清掃、文化財に関する紙芝居の公演、文化財に関する工作物作りを子供たちに指導する学習の手助けなどがある。

しかし、メンバーの中にはそういった活動をするより、単に文化財を学びたい、研究したいという人たちも少なからず参加している。

そういう人たちはガイドや清掃や紙芝居などに、興味がない。

そのため、それらの活動にメンバーが集まりにくくなっている。

また、会を運営する世話人も少なくなってくる。

高齢化が進むと、なおさらその傾向が強くなっていく。

 

そんな問題を数人のメンバーが話していた。

みんな思いつくことをまとまりなく話すので、議論は堂々巡りになる。

私は話に入ることが出来ず、黙って聞いていた。

少し沈黙する時間があった。

ひとり黙っている私は話さないといけないような強迫観念に襲われた。

「あの、でも、ん、年を取って分かったんですけど、なんか、人の役に立ちたいという気持ちが強くなるもんですよね」

私は議論とあまり関係が無い、具体性が伴わないことをボヤっと言った。

すると、みんながこの言葉に反応した。

「そう、そう、そういうことなのよね。やっぱり、なんか人にためになっているということは大事よ」と、年配の女性が言い、「そうね。誰かの役に立つことが生きる励みになるのよ」と、また別の女性が続いた。

その後、生きる目的とは何かについて、話は発展していった。

 

短い言葉で、いかに人の興味を引き出すか。

その時、コメント力の大切さを感じたものだった。

 

最近ワイドショーやニュース番組で、取り上げる話題に詳しい専門の知識人に交じって、弁護士、医師、スポーツアスリートなどがコメンテーターとして出演している。

お笑いタレントたちも多く出演している。

幅広い分野から意見を訊くのは望ましいことだと思う。

 

専門性を持った人はそれなりに知識を持ち合わせているので、受け答えも論理的で聞きやすい。

ところが、専門知識を持たない人たちのコメントでは、かなりコメント力に差が出る。

きらりと光るようなコメントをする人がいる反面、全く的を射ない発言をする人もいる。

長々と発言するのだが、全然視聴者の気持ちに届かないものがあったり…。

 

先月末の「朝まで生テレビ」は、トランプ大統領をどう評価するかがテーマだった。

最初、出演者たちがこれまでのトランプ大統領の政治について意見を述べた。

国際政治に詳しい論客たちの話を順番に聞いていたが、大半の論者は長々と話していて、どうも論点が解りにくかった。

その中で、一番解りやすかったのは竹中平蔵だった。

 

フランス人は意見を述べる時、「言う事は3点あります」と、問題点を3つにまとめて指摘すると何かの書物で読んだ記憶がある。

指摘する点が2点しか無い場合でも、まず「私の言いたいことは次の3点です」と言ったりするそうだ。

竹中平蔵の発言は「これには問題が3点あります」とか、「この問題の大事なポイントは…」とか最初に言い、要点を整理して簡潔に論じていた。

私のような頭の回転が悪いものにも、その意見は解りやすいものになった。

 

話はいかに短く簡潔にするかが大切なんだろう。

 

最近、マツコデラックスがバラエティや情報番組などに、頻繁にコメンテーターとして登場している。

下記のYOUTUBEの動画は「仕事について」を語り合っている番組だ。

その中で、マツコのコメントは光っている。

 

 

マツコのコメント力は独特の力強さを持っている。

それはこれまでの人生経験に裏打ちされているからなんだろう。

author:金ブン, category:日常の出来事, 09:51
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ディズニー・オン・アイス

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1950年代から60年代、テレビで「ディズニーランド」という番組があった。

ディズニーのアニメだけでなく、冒険ドラマなども放映されていた。

番組の前後にウォルト・ディズニーが出演して、番組内容の解説をしていた。

その頃放送されていた「ポパイ」とともに、毎週、楽しみに観ていた。

 

母親が連れて行ってくれた映画もディズニーだった。

ウィーン合唱団を題材にした映画「美しき青きドナウ」を神戸の映画館で観たのを覚えている。

(この影響を受けて、一時学校の合唱団に入っていた)

 

それから、高校生の時に観た「メリー・ポピンズ」は衝撃的だった。

アニメと出演者が同時に踊る場面やジュリー・アンドリュースの歌に酔いしれた。

 

私の場合、ディズニーのキャラクターに魅せられた時期は短く、その後ちばてつや「ちかいの魔球」や桑田次郎の「エイトマン」などスポ根やSFものに興味が移ってしまったが…。

 

先週、娘と孫たちを連れて、ディズニー・オン・アイスを観に行った。

本来、妻が行くことになっていたが、義母(妻の母親)が肺炎で入院したため、急きょ私が随行を命じられたのだった。

 

この暑い中、大阪城ホールまで出かけるのはかなり憂鬱であった。

悪ガキの孫たちを連れて歩くのはほとほと疲れる。

おまけに、ディズニーのグッズ販売に連れて行かされて、高いグッズを買わされる。

それでも、「ジジィ、ジジィ」と懐いてこられると、自然と財布の紐が緩んでしまう。

 

娘は入場券を昨年のこの時期に買っていた。

おとなが5950円、子どもが4950円。

真夏に大阪でアイスショーを開催するのだから、高いのは仕方が無いと思うが、なかなかの値段だ。

ところが会場に着くと、高いのは入場券だけではなかった。

 

テントに並んでいるグッズの値段に驚く。

暑いので孫たちに氷を食べさせてやろうと思い、店に近づいて氷の値段を見ると一番安いので1200円だった。

キャラクターの容器によっては1900円や2100円のものもあった。

たかがかき氷が、である。

 

 

 

孫娘(Y菜)は必死で、店舗に飾られているグッズを探している。

娘も最初に買ってやったほうが大人しくなると、買ってやる心づもりだ

Y菜が欲しがったのは、光がくるくる回る電動のオモチャで、2300円だった。

Y菜は手にすると、急にご機嫌になり、はしゃいでいた。

 

 

開催初日とあって、会場は満員盛況だった。

観客はほとんどが子供連れの母親で、時折祖母らしきおばあさんが混じっていた。

成人した若者の含有率が低いと思ったが、二十歳を過ぎた女性も多かった。

私のようなお祖父さんは少なく、いわゆる女の世界だった。

 

ショーが始まると、ミッキー、ミニー、ドナルドダック、グーフィーなどキャラクターが次々と登場する。

アナ雪、ファイティングニモ、モアナなど、最近の映画のキャラクターも。

 

 

アイスショーだけに外気の気温との差が大きく、アリーナ席はひんやりして心地よかった。

始まってからすぐに、まぶたは急激に重たくなった。

Y菜は真剣な眼差しでアイスショーに見入っていたが、隣に座っている孫息子(S太)はあくびをして退屈そうだった。

やがてショーそっちのけで、1500円のポップコーンをしきりに食べていた。

 

これまでのキャラクターショーは写真撮影を禁止していることが多い。

だが、最近は全く逆だ。

写真や動画をどんどん撮影してSNSにアップすることを、主催者が勧めている。

インスタグラムにアップしているスマホ画面を見せると、粗品さえもらえる。

観客たちはスマホ片手に、写真や動画を撮影していた。

娘もインスタにアップして、終了後粗品を貰いに行っていた。

 

帰りの道すがら、S太は娘のスマホを借りて、ポケモンGOに熱中していた。

ツインタワー辺りに、レアなポケモンキャラクターが出るということだった。

S太にとって、ディズニーよりもポケモンのほうが楽しいのだ。

 

「来年は、S太のお守をしてやるから、Y菜とふたりで観に来たら…」

私は娘に告げるのだった。

男のS太にとって、ディズニーよりも川遊びや虫採りのほうが楽しいようだ。

 

とにかく、こういうイベントの付き添いは金が掛る。

ジジィは軽くなった財布を握り締めるのだった。

author:金ブン, category:日常の出来事, 10:21
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記念館で涼む

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今週はとにかく暑かった。

こんな時、涼めるところはスーパーマーケットだ。

近くのスーパーのフードコートは平日ガラガラ。

夏の昼間は本を持って、フードコートに出かける。

ところが、祝日となると、涼みの客が多数集う。

 

他に、涼しくて人が少ない場所は無いものか。

思い付いたのが、芦屋市にある「谷崎潤一郎記念館」。

暑い日には閑散とした美術館や記念館に限る。

美術や文学は清涼感を満たしてくれる。

 

 

以前から神戸に行く時、この近くを通っていて、一度行ってみたいと思っていた。

谷崎の小説は「痴人の愛」を読んだ記憶がある。

高校生の時だった。

スケベそうな小説なので読んでみたが、若輩者には大人びていて理解できなかったよう

だ。

(そこ頃、「痴人の愛」が映画化されて、安田道代が主演のナオミ役を演じていた。

中学生の時、安田道代と同姓同名の女生徒といて、かなり美人と評判だったので、余計に覚えている)

 

谷崎潤一郎といえば、高校生の現代国語の先生が谷崎の甥だった。

2年生か、3年生の授業で、教わったのを覚えている。

顔は谷崎潤一郎に良く似ていた。

伯父さんなのだから、当然なのだが。

 

 

谷崎は箱根で関東大震災に遭い、芦屋に移り住み、以後20年関西で居を構えている。

明治末期から昭和40年まで執筆活動を続け、近代日本文学の代表的な作家と評価されている。

3度の結婚をして、女性の題材にした妖しい耽美的な作品が有名だ。

人間嫌いだった谷崎は芥川龍之介と親交があったということで、9月まで「谷崎×芥川―人間的な、余りに人間的なー」という特別展示をしていた。

 

庭園は晩年住んでいた京都の「潺湲(せんかん)亭」を模したものだそうで、落ちついた佇まいだった。

何より見学者が少なかったのに、癒された。

(65歳以上は入場料が半額だったのにも、癒された)

 

残念ながら、わが町伊丹にはゆかりの文学者が少ない。

江戸時代の俳人上島鬼貫が伊丹の生まれなので、俳句の町として歴史がある。

駅前には「柿衞(かきもり)文庫」は俳句に関する収蔵品が数多く収められており、俳句を学ぶ人たちにとっては有名な施設だ。

 

小説家といえば、谷崎潤一郎と同年代の作家である梶井基次郎が伊丹に住んでいたことがあった。

昭和5年から約1年間、肺結核に罹った梶井は伊丹の千僧にあった兄の家で療養生活を送っていた。

昭和7年、31歳で亡くなっている。

文学碑が旧西国街道近くの公園の片隅に建っている。

 

 

碑には日記の一文が書かれている。

 

五月六日
庭にはイチハツが盛りを過ぎ、平戸がさきはじめ、
薔薇は日光の下にその新しい芽をうな垂れてゐる。
風は南西、よく伸びた南天の若葉をそよがせて、
部屋のなかへ吹き抜けて来る風を楽しんでゐると、
どこか気持ちのよい温泉へでも来てゐるやうな気がする。
かなめの垣がまた赤い芽を吹いている。

 

梶井基次郎の「檸檬」を読んだのは40年以上前だ。

読んだ印象は<奇妙な雰囲気>で、さっぱり理解できなかった。

最近再度読んでみたが、繊細過ぎて私には理解できなかった。

 

暑さが度を越して、小説を読む気分にならない今日この頃である。

author:金ブン, category:日常の出来事, 09:02
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英会話教室をやめる

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教室のドアを開けると、すでに4人の生徒が座っていた。

「ハロー、グッドアフタヌーン」

ボクは声を掛けた。

英会話の授業は午後2時から始まる。

まだ15分程時間があった。

ボクはいつもの、前の方の席に座った。

カバンからテキストブックを取り出し、今日教わるページを開いた。

 

コの字に並んだ机の角に、白髪の老女がひとり座っていた。

他の席に座っている女性3人は見慣れた顔だ。

葉山さんと、金子さんと、田村さんだ。

生徒は全部で12名、ほとんどが70歳以上の女性だ。

男性はボク以外にもうひとりいた。

その人もボクと同様、定年になってこの英会話に通い始めたという。

 

英会話のレッスンは3ヵ月クールで開講している。
1クールが終了する前には、次のクールに参加する新入会員が見学にやってくる。

その時、ボクは白髪の老女が見学の人だと思っていた。
 

「ハロー」と言いながら、いつもの生徒たちが次々と教室に入ってくる。
午後2時になると、10名の生徒が揃った。

シェヒター先生がドアを開けて、明るく「ハロー」と言いながら入ってくる。

ルーマニア出身で、ブロンドのショートヘアが印象的だ。

 

授業が始まった。

テキストのCDをデッキに入れて、英会話を流す。

日本の風習について、観光で来日した外人の男女が話している。

CDが終わると、シェヒター先生は生徒を指名して、テキストの会話部分を読ませた。

 

ボクは淡々と進む授業に、少し変だなと思っていた。

見学者がいる時、いつも先生は生徒たちに自己紹介を英語でさせる。

見学者にも英語で質問したりしている。

ところが、先生は白髪の老女に気付かない様子だった。

 

老女はじっと前を見ていた。

ボクはその女性の姿が気になって仕方が無かった。

だが、他の生徒たちは誰もその女性に視線を向けているものはいない。

 

やがて、1時間15分の授業が終わった。

ボクはテキストをカバンの中に入れていると、シェヒター先生が英語で話しかけてきた。

先週雑談していたことの続きだった。
ボクは拙い英語力で、シェヒター先生の質問に応えていた。

話を終えて、白髪の老女が座っていた席を見ると、老女は居なかった。

すでに教室を出てしまったようだ。

ボクはシェヒター先生に、「今日は見学者の人がいましたね」と英語で言うと、先生はボクの言葉が理解出来なかった様子で、ポカンとした表情を浮かべていた。

ボクの発音が聞き取れなかったのだろうと思った。

次のクラスの生徒たちが教室に入ってきたので、ボクは慌てて教室を後にした。

 

公民館を出て、駐輪場まで自転車を取りに行った。

鍵を解錠しようとした時、突然柱の陰から老女が現れた。

さっき教室にいた白髪の女性だ。

近くで見ると、かなり年を取っているように思えた。
70歳代後半だろうか。

「あの、英会話の生徒さんですね」と、老女が言う。

「ハイ、そうですが」と、ボクは頷いた。

老女の右目は白内障なのか、白く濁っている。

「来週も英会話に来られますか」と、老女はか細い声で言う。

ボクが頷くと、老女は1枚の紙を渡した。

英会話教室の申込書だった。

老女は来月から英会話教室に参加するつもりなのだ。

来週に申込書を事務所へ出してほしいと、ボクに依頼するのだ。

老女は自分で出そうとしたが、担当の事務員が居なかったという。

「お安いことです。来週事務所に出しておきますよ」と快諾すると、女性は「ありがとうございます」と応えて、駐輪場から出て行った。
ボクは自転車を動かして駐輪場を出ると、すでに女性の姿は無かった。

申込書には、楠本妙子の名前と住所が書いてあった。

 

翌週、英会話教室に出かけた。

始まる前に1階の事務所へ立ち寄った。

顔見知りの女性事務員がいたので、事情を説明して預かった申込書を渡した。

事務員は書類を見ると、「楠本妙子さんですね、ご本人さんは?」と、訊く。

ボクは「先週、見学に参加されていた人ですよ。事務所に書類を持って行ったが、係の人が居なかったと言って、ボクが頼まれたのです」と説明した。

そして、「別に、私の知り合いじゃないですよ」と付け加えた。

事務員は「見学?」と首を傾げながら繰り返し、横にいる女性事務員に、「京子さん、先週英会話に見学の人がいた?」と訊く。
尋ねられた事務員はパソコンから顔を上げて、「いなかったと思いますけど…」と応えた。

ボクは「でも、先週その申込書を駐輪場で渡されたんですから」と、強い調子で言った。

すると、事務員は「ああ、そうですか。とりあえず、この用紙は預かっておきますから」と言い、申込書をクリアファイルに入れて、再び受付の椅子に座った。

 

ボクはエレベーターに乗り、3階の教室へ向かった。

教室に入ると、すでに2人の生徒が席に座っていた。

先週も私が教室に入った時、そこに居た葉山さんと田村さんだ。

「葉山さん、先週見学に来ていた人がいましたよね?」と、教室に入るなり、ボクが訊く。

「えっ、見学者って、居ましたっけ」と首を傾げ、「居ました?」と斜め向かいに座っている田村さんに訊く。

「いやぁ、居なかったと思いますけど…」

その時、金子さんと吉田さんがドアを開けて入ってきた。

葉山さんが「金子さん、先週見学者って、いました?」いうと、金子さんも「えっと、居てましたかね」と、呆けたような調子で言い、首を傾げた。

歳を取ると、前日の記憶さえ曖昧だ。

ましてや、先週の出来事ははっきりしないようだ。

 

教室に入ってくる生徒たちに訊いたが、誰も見学者が居たという人はいなかった。

「そこの席に座っていたでしょう」

ボクは女性が座っていた席を指さすと、みんな「えっ」と言って席の方向を見る。

そうしていると、「ハロー」と言いながら、シェヒター先生が入ってきた。

What?」

ボクが他の生徒さんが話しているのを見て、シェヒター先生が訊く。

英語が一番堪能な吉田さんがシェヒター先生に英語で説明した。

すると、先生は「先週は、誰も見学者はなかったです」と、たどたどしい日本語だったが確信を持って言う。

 

見学者を見たのはボクひとりだった。

ボクは亡霊でも見たのだろうか?

<ボクが勘違いしている>と、そこにいる全員が思ったようだ。

でも、確かに白髪の老女がボクに入会の申込書を渡した。

もうそれ以上言うと、益々ボクが疑われそうだった。

他の生徒たちはボクの勘違いだと思ったようだ。

 

授業を終え、ボクは教室を出た。

1階に降りて事務所の前を通り過ぎようとした時、応対してくれた事務員がボクに声を掛けた。

事務員の横には年配の女性が立っていた。

「あの、私は館長の飯塚です」と、その女性が言う。

「事務の子から聞いたんですけど、楠本さんの書類を届けていただいたのですね」

「はい」とボクはうなずく。

「本当に、先週楠本妙子さんからこの書類を受け取ったのですか?」

「ええ、その人は見学に来られていて、私が帰る時、駐輪場でその書類を事務所に出してほしいと頼まれたんですが…」

「見学にね」と館長は言って、横にいる事務員と目を合わせた。

事務員は館長に向かって、ゆっくりと首を振った。

「先週の英会話には見学者の記録がないのですよ」

「でも、確かに名前と住所が書いた申込書を預かりましたよ。書類は事務員さんにお渡ししましたが…」と言って、私は事務員のほうを向いた。

「確かに、書類はいただきましたが…」と、呟くように事務員が言う。

すると、館長が口を挟む。

「あの、楠本妙子さんをご存知なんですか?」

「いえ、先週初めて会った人です」

「初対面ということですか…」

「はい、もちろんそうですよ」と、ボクは強い調子で言う。

館長と事務員は顔を見合わせて、不審な表情を浮かべた。

しばらく沈黙があった後、館長は口を開いた。

「確かに、楠本妙子さんはいましたけど。以前、この英会話の生徒だったんです。でもね、2年前に亡くなったんです。英会話を終えて自転車で帰っている時、トラックと接触事故を起こして。頭部を強く打って…」

話を聞いたボクは全身の血が足下へと流れ落ちていくのを感じた。

「でも、確かに…」

ボクはあとの言葉が出なかった。

 

老女を見たのはボクだけだった。

ボクの作り話だと言われても、反論しようがない。

確かに、ボクは白髪の老女を見たのだ。

 

その後、ボクに向けられる視線が冷たく感じられ、ボクは英会話教室をやめてしまった。

 

お・し・ま・い

 

ショートショートでした。

もちろん、作り話です。

 

私は2年前の4月から公民館の英会話に通った。

2年と3ヵ月、外人教師のもとで英会話を習った。

生徒はほとんどが女性で、半数は私よりも年上の女性だ。

 

通い始めてからしばらくして、隣に座っていた80歳のFSさんと親しくなり、終わった後にスーパーのイートインでお茶して帰るのが習慣になった。
その後、3人の老女が毎回参加して、毎回井戸端会議をしていた。

 

初めは年配の女性たちと会話するのが楽しかった。

会社は男性社会だったので、老女といえども女性たちの話は新鮮だった。

私も老女たちを楽しませるような話題を提供していた。

 

だが、2年もすると、限界がきた。

老人独特の、同じような話題が続く。

(私も同じ話をしているようだが…)

特に、FSさんは毎回息子ふたりが国立大学を出ていることを自慢したり、生命保険会社で働いていた武勇伝を繰り返し聞かせてくれる。

 

そろそろ、飽きがきた。

とりあえず、英会話教室をやめることにした。

 

死ぬまで英会話の勉強は続けたいと思っているが…。

author:金ブン, category:日常の出来事, 10:39
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