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雨が続く日には

JUGEMテーマ:日記・一般

 

暑い日の後は台風や地震、そして秋雨前線が停滞。

また雨かと、空を見上げる。

<1年を通じて、断然雨の日より晴れの日が多い>

そう考えるのはポジティブ思考の人だ。

だが、ネガティブ思考の私は、来週また台風がやって来るかもしれんなと考えてしまう。

 

確かに、大坂が全米テニスに優勝したのはひと時の清涼剤だった。

だが、ネガティブ思考の私にはこの話題も後悔の念をもたらす。

退職して始めたテニスで足を悪くしたからだ。

3年経った今も膝や股関節に痛みを感じている私は、テニスのプレーを見るたびに、「テニスなんて、やらんかったら良かったのに」と思ってしまう。

 

そんな暗い気持ちばかりでは、人生が面白くない。

なんか、笑わしてくれるような話は無いものか。

そう思って、youtubeで「すべらない話」を聞いていたのだが、それも<すべる話>ばかり。

仲間内で大笑いしているが、全く、笑えないものばかりだった。

ところが、ひとつだけ大笑いした。

 

ナイツの塙の話だ。

 

 

話の組み立てが非常に上手いし、笑わせるコツを良く分かっている。

 

それで、私は<インターネットのヤホーで、ナイツの塙のことを調べてきました>。

 

1978年3月千葉県の我孫子で生まれ、佐賀県佐賀市で育った。

龍谷高校から創価大学を卒業している。

3人兄弟の三男で、実兄に芸人のはなわがいる。

芸人のはなわは最近「お義父さん」という歌がヒットし注目をあびた。

大学の落語研究会で知り合った土屋と卒業後に漫才コンビ「ナイツ」を結成し、漫才師の内海桂子に師事した。

その後、ナイツとして、漫才新人大賞や文化庁芸術祭優秀賞などの受賞歴がある。

漫才のネタは趣向を凝らしたものが多く、様々な題材に挑戦している。

2007年に漫才協会の理事になり、2015年に副会長に就任。

相撲好き・野球好きで、熱烈な巨人ファンである。

 

塙のボケに、土屋のツッコムが実に絶妙。

最近、私はナイツの漫才をほとんど聞いた。

以前「野球の話」を紹介したが、これは前半のネタふりに絶妙のオチを付けているところが面白かった。

それ以外にも、趣向の違った漫才を次々と披露している。

台本はすべて塙が書いているという。

 

土屋が歌って、それに塙が歌詞につっこむという漫才がある。

 

 

熟女ずきだよ!

この切り返しには笑ってしまった。

 

とにかく、気持ちが後ろ向きになっている時は、バカげたことで笑うのが一番だ。

author:金ブン, category:日常の出来事, 09:26
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深夜の医療センターで

JUGEMテーマ:日記・一般

 

アメリカテキサス州でのこと。

女が時速160キロで警官とカーチェイスを繰り広げる映像を見た。

追い詰められた女は赤ちゃんが眠るゆりかごを持って、逃げる。

 

 

世の中にはとんでもない女がいるものだ。

どんな境遇に置かれると、このような行動を引き起こすのだろう。

女の行く末より、この女に育てられる赤ちゃんの将来が気にかかるのだ。

 

先日の夜中、義母が体調を悪くした。

午前1時すぎ妻に電話があり、嘔吐とめまいがするという。

救急車はイヤだというので、妻が車で救急センターへ連れていくことになった。

私も同行した。

 

午前2時ごろ、総合医療センターに着いた。

深夜で真っ暗なビルの1階に、救急の入口を示す看板が赤く輝いていた。

予め電話していたので、受付で手続きをすると、すぐに医師が診察してくれた。

義母が診察してもらっている間、私は受付前の長椅子に座っていた。

 

子供を連れた母親やサラリーマン風の男性が受付に現れて、診察を待っていた。

突然そこへ、茶髪のヤンキー女が現れた。

Tシャツにパジャマの長ズボン姿で、大きめのゴム草履を履いていた。

左目を押さえながら、「目が痛いねん。診て」と受付で荒っぽく言う。

受付の女性は「いつから」「どんなふうに」「持病は」とか、丁寧に訊く。

女は邪魔くさそうに、それぞれの質問に答える。

受付の女性は冷静に、優しく応対している。

女のぞんざいな態度に、当事者でもない私はいら立ちを感じた。

 

「な、ティッシュちょうだい」と、ヤンキー女が言うと、受付の女性がティッシュの箱を受付のテーブルに置いた。
女は数枚ティッシュを取って椅子に座り、目を拭いていた。

すると、使ったティッシュを受付のテーブルに投げるように置いて、ぶらりと部屋を出ていった。

くしゃくしゃになったティッシュの白さがやけに目に付いた。

 

しばらくして、再びヤンキー女が現れた。

「まだか」と受付の女性に言いながら、部屋をウロウロと歩きだす。

「こら、じっとしとらんかい」と言いたいところだが、部屋の外でコワイおじさんが待機していそうなので、止めた。

順番が来て、診察室に入った女はすぐに出てきた。

眼帯をすることもなく、受付の前を通り抜け、部屋を出て行ってしまった。

受付で診察料を清算する様子も無かった。

不思議なのだが、受付の女性はヤンキー女を呼び止めることもしなかった。

妻が病院に連絡した時、<救急医療は保険が適用されないので初診料として5千円が必要>と云われていたのだが…。

 

義母の検査と診察が終わった。

重篤な病気でもなさそうで、夏の疲れか、熱中症ではないかという診断だった。

 

午前3時すぎ、真っ暗な駐車場から車を出して、帰途についた。

病院を出てすぐの交差点で、信号が変わるのを待っていた。

眠い目をこすりながら車窓から外を見ていると、ヤンキー女が舗装された歩道にいた。

薄暗い中を、ひとりふらふらと歩いていた。

それは風に飛ばされた小枝のように見えた。

 

この女はどんな家庭環境で育ったんやろ。

 

♪やるせない 夜の街 ため息に うるむ灯♪

 

この時なぜか、加山雄三が歌っていた「君が好きだから」を思い出して、口ずさんだ。

<やるせない>という言葉を、初めて知った曲だった。

author:金ブン, category:日常の出来事, 09:52
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コメント力

JUGEMテーマ:日記・一般

 

昼食の時、文化財ボランティアの会のメンバー数人と話していた。

話題は<メンバーたちがボランティアに参加している目的とは何だろう>とだった。

 

会の目的は地元の文化財を多くの人に知ってもらうことだが、そのための活動として主にガイドがある。

その他にも、文化財の清掃、文化財に関する紙芝居の公演、文化財に関する工作物作りを子供たちに指導する学習の手助けなどがある。

しかし、メンバーの中にはそういった活動をするより、単に文化財を学びたい、研究したいという人たちも少なからず参加している。

そういう人たちはガイドや清掃や紙芝居などに、興味がない。

そのため、それらの活動にメンバーが集まりにくくなっている。

また、会を運営する世話人も少なくなってくる。

高齢化が進むと、なおさらその傾向が強くなっていく。

 

そんな問題を数人のメンバーが話していた。

みんな思いつくことをまとまりなく話すので、議論は堂々巡りになる。

私は話に入ることが出来ず、黙って聞いていた。

少し沈黙する時間があった。

ひとり黙っている私は話さないといけないような強迫観念に襲われた。

「あの、でも、ん、年を取って分かったんですけど、なんか、人の役に立ちたいという気持ちが強くなるもんですよね」

私は議論とあまり関係が無い、具体性が伴わないことをボヤっと言った。

すると、みんながこの言葉に反応した。

「そう、そう、そういうことなのよね。やっぱり、なんか人にためになっているということは大事よ」と、年配の女性が言い、「そうね。誰かの役に立つことが生きる励みになるのよ」と、また別の女性が続いた。

その後、生きる目的とは何かについて、話は発展していった。

 

短い言葉で、いかに人の興味を引き出すか。

その時、コメント力の大切さを感じたものだった。

 

最近ワイドショーやニュース番組で、取り上げる話題に詳しい専門の知識人に交じって、弁護士、医師、スポーツアスリートなどがコメンテーターとして出演している。

お笑いタレントたちも多く出演している。

幅広い分野から意見を訊くのは望ましいことだと思う。

 

専門性を持った人はそれなりに知識を持ち合わせているので、受け答えも論理的で聞きやすい。

ところが、専門知識を持たない人たちのコメントでは、かなりコメント力に差が出る。

きらりと光るようなコメントをする人がいる反面、全く的を射ない発言をする人もいる。

長々と発言するのだが、全然視聴者の気持ちに届かないものがあったり…。

 

先月末の「朝まで生テレビ」は、トランプ大統領をどう評価するかがテーマだった。

最初、出演者たちがこれまでのトランプ大統領の政治について意見を述べた。

国際政治に詳しい論客たちの話を順番に聞いていたが、大半の論者は長々と話していて、どうも論点が解りにくかった。

その中で、一番解りやすかったのは竹中平蔵だった。

 

フランス人は意見を述べる時、「言う事は3点あります」と、問題点を3つにまとめて指摘すると何かの書物で読んだ記憶がある。

指摘する点が2点しか無い場合でも、まず「私の言いたいことは次の3点です」と言ったりするそうだ。

竹中平蔵の発言は「これには問題が3点あります」とか、「この問題の大事なポイントは…」とか最初に言い、要点を整理して簡潔に論じていた。

私のような頭の回転が悪いものにも、その意見は解りやすいものになった。

 

話はいかに短く簡潔にするかが大切なんだろう。

 

最近、マツコデラックスがバラエティや情報番組などに、頻繁にコメンテーターとして登場している。

下記のYOUTUBEの動画は「仕事について」を語り合っている番組だ。

その中で、マツコのコメントは光っている。

 

 

マツコのコメント力は独特の力強さを持っている。

それはこれまでの人生経験に裏打ちされているからなんだろう。

author:金ブン, category:日常の出来事, 09:51
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ディズニー・オン・アイス

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1950年代から60年代、テレビで「ディズニーランド」という番組があった。

ディズニーのアニメだけでなく、冒険ドラマなども放映されていた。

番組の前後にウォルト・ディズニーが出演して、番組内容の解説をしていた。

その頃放送されていた「ポパイ」とともに、毎週、楽しみに観ていた。

 

母親が連れて行ってくれた映画もディズニーだった。

ウィーン合唱団を題材にした映画「美しき青きドナウ」を神戸の映画館で観たのを覚えている。

(この影響を受けて、一時学校の合唱団に入っていた)

 

それから、高校生の時に観た「メリー・ポピンズ」は衝撃的だった。

アニメと出演者が同時に踊る場面やジュリー・アンドリュースの歌に酔いしれた。

 

私の場合、ディズニーのキャラクターに魅せられた時期は短く、その後ちばてつや「ちかいの魔球」や桑田次郎の「エイトマン」などスポ根やSFものに興味が移ってしまったが…。

 

先週、娘と孫たちを連れて、ディズニー・オン・アイスを観に行った。

本来、妻が行くことになっていたが、義母(妻の母親)が肺炎で入院したため、急きょ私が随行を命じられたのだった。

 

この暑い中、大阪城ホールまで出かけるのはかなり憂鬱であった。

悪ガキの孫たちを連れて歩くのはほとほと疲れる。

おまけに、ディズニーのグッズ販売に連れて行かされて、高いグッズを買わされる。

それでも、「ジジィ、ジジィ」と懐いてこられると、自然と財布の紐が緩んでしまう。

 

娘は入場券を昨年のこの時期に買っていた。

おとなが5950円、子どもが4950円。

真夏に大阪でアイスショーを開催するのだから、高いのは仕方が無いと思うが、なかなかの値段だ。

ところが会場に着くと、高いのは入場券だけではなかった。

 

テントに並んでいるグッズの値段に驚く。

暑いので孫たちに氷を食べさせてやろうと思い、店に近づいて氷の値段を見ると一番安いので1200円だった。

キャラクターの容器によっては1900円や2100円のものもあった。

たかがかき氷が、である。

 

 

 

孫娘(Y菜)は必死で、店舗に飾られているグッズを探している。

娘も最初に買ってやったほうが大人しくなると、買ってやる心づもりだ

Y菜が欲しがったのは、光がくるくる回る電動のオモチャで、2300円だった。

Y菜は手にすると、急にご機嫌になり、はしゃいでいた。

 

 

開催初日とあって、会場は満員盛況だった。

観客はほとんどが子供連れの母親で、時折祖母らしきおばあさんが混じっていた。

成人した若者の含有率が低いと思ったが、二十歳を過ぎた女性も多かった。

私のようなお祖父さんは少なく、いわゆる女の世界だった。

 

ショーが始まると、ミッキー、ミニー、ドナルドダック、グーフィーなどキャラクターが次々と登場する。

アナ雪、ファイティングニモ、モアナなど、最近の映画のキャラクターも。

 

 

アイスショーだけに外気の気温との差が大きく、アリーナ席はひんやりして心地よかった。

始まってからすぐに、まぶたは急激に重たくなった。

Y菜は真剣な眼差しでアイスショーに見入っていたが、隣に座っている孫息子(S太)はあくびをして退屈そうだった。

やがてショーそっちのけで、1500円のポップコーンをしきりに食べていた。

 

これまでのキャラクターショーは写真撮影を禁止していることが多い。

だが、最近は全く逆だ。

写真や動画をどんどん撮影してSNSにアップすることを、主催者が勧めている。

インスタグラムにアップしているスマホ画面を見せると、粗品さえもらえる。

観客たちはスマホ片手に、写真や動画を撮影していた。

娘もインスタにアップして、終了後粗品を貰いに行っていた。

 

帰りの道すがら、S太は娘のスマホを借りて、ポケモンGOに熱中していた。

ツインタワー辺りに、レアなポケモンキャラクターが出るということだった。

S太にとって、ディズニーよりもポケモンのほうが楽しいのだ。

 

「来年は、S太のお守をしてやるから、Y菜とふたりで観に来たら…」

私は娘に告げるのだった。

男のS太にとって、ディズニーよりも川遊びや虫採りのほうが楽しいようだ。

 

とにかく、こういうイベントの付き添いは金が掛る。

ジジィは軽くなった財布を握り締めるのだった。

author:金ブン, category:日常の出来事, 10:21
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記念館で涼む

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今週はとにかく暑かった。

こんな時、涼めるところはスーパーマーケットだ。

近くのスーパーのフードコートは平日ガラガラ。

夏の昼間は本を持って、フードコートに出かける。

ところが、祝日となると、涼みの客が多数集う。

 

他に、涼しくて人が少ない場所は無いものか。

思い付いたのが、芦屋市にある「谷崎潤一郎記念館」。

暑い日には閑散とした美術館や記念館に限る。

美術や文学は清涼感を満たしてくれる。

 

 

以前から神戸に行く時、この近くを通っていて、一度行ってみたいと思っていた。

谷崎の小説は「痴人の愛」を読んだ記憶がある。

高校生の時だった。

スケベそうな小説なので読んでみたが、若輩者には大人びていて理解できなかったよう

だ。

(そこ頃、「痴人の愛」が映画化されて、安田道代が主演のナオミ役を演じていた。

中学生の時、安田道代と同姓同名の女生徒といて、かなり美人と評判だったので、余計に覚えている)

 

谷崎潤一郎といえば、高校生の現代国語の先生が谷崎の甥だった。

2年生か、3年生の授業で、教わったのを覚えている。

顔は谷崎潤一郎に良く似ていた。

伯父さんなのだから、当然なのだが。

 

 

谷崎は箱根で関東大震災に遭い、芦屋に移り住み、以後20年関西で居を構えている。

明治末期から昭和40年まで執筆活動を続け、近代日本文学の代表的な作家と評価されている。

3度の結婚をして、女性の題材にした妖しい耽美的な作品が有名だ。

人間嫌いだった谷崎は芥川龍之介と親交があったということで、9月まで「谷崎×芥川―人間的な、余りに人間的なー」という特別展示をしていた。

 

庭園は晩年住んでいた京都の「潺湲(せんかん)亭」を模したものだそうで、落ちついた佇まいだった。

何より見学者が少なかったのに、癒された。

(65歳以上は入場料が半額だったのにも、癒された)

 

残念ながら、わが町伊丹にはゆかりの文学者が少ない。

江戸時代の俳人上島鬼貫が伊丹の生まれなので、俳句の町として歴史がある。

駅前には「柿衞(かきもり)文庫」は俳句に関する収蔵品が数多く収められており、俳句を学ぶ人たちにとっては有名な施設だ。

 

小説家といえば、谷崎潤一郎と同年代の作家である梶井基次郎が伊丹に住んでいたことがあった。

昭和5年から約1年間、肺結核に罹った梶井は伊丹の千僧にあった兄の家で療養生活を送っていた。

昭和7年、31歳で亡くなっている。

文学碑が旧西国街道近くの公園の片隅に建っている。

 

 

碑には日記の一文が書かれている。

 

五月六日
庭にはイチハツが盛りを過ぎ、平戸がさきはじめ、
薔薇は日光の下にその新しい芽をうな垂れてゐる。
風は南西、よく伸びた南天の若葉をそよがせて、
部屋のなかへ吹き抜けて来る風を楽しんでゐると、
どこか気持ちのよい温泉へでも来てゐるやうな気がする。
かなめの垣がまた赤い芽を吹いている。

 

梶井基次郎の「檸檬」を読んだのは40年以上前だ。

読んだ印象は<奇妙な雰囲気>で、さっぱり理解できなかった。

最近再度読んでみたが、繊細過ぎて私には理解できなかった。

 

暑さが度を越して、小説を読む気分にならない今日この頃である。

author:金ブン, category:日常の出来事, 09:02
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英会話教室をやめる

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教室のドアを開けると、すでに4人の生徒が座っていた。

「ハロー、グッドアフタヌーン」

ボクは声を掛けた。

英会話の授業は午後2時から始まる。

まだ15分程時間があった。

ボクはいつもの、前の方の席に座った。

カバンからテキストブックを取り出し、今日教わるページを開いた。

 

コの字に並んだ机の角に、白髪の老女がひとり座っていた。

他の席に座っている女性3人は見慣れた顔だ。

葉山さんと、金子さんと、田村さんだ。

生徒は全部で12名、ほとんどが70歳以上の女性だ。

男性はボク以外にもうひとりいた。

その人もボクと同様、定年になってこの英会話に通い始めたという。

 

英会話のレッスンは3ヵ月クールで開講している。
1クールが終了する前には、次のクールに参加する新入会員が見学にやってくる。

その時、ボクは白髪の老女が見学の人だと思っていた。
 

「ハロー」と言いながら、いつもの生徒たちが次々と教室に入ってくる。
午後2時になると、10名の生徒が揃った。

シェヒター先生がドアを開けて、明るく「ハロー」と言いながら入ってくる。

ルーマニア出身で、ブロンドのショートヘアが印象的だ。

 

授業が始まった。

テキストのCDをデッキに入れて、英会話を流す。

日本の風習について、観光で来日した外人の男女が話している。

CDが終わると、シェヒター先生は生徒を指名して、テキストの会話部分を読ませた。

 

ボクは淡々と進む授業に、少し変だなと思っていた。

見学者がいる時、いつも先生は生徒たちに自己紹介を英語でさせる。

見学者にも英語で質問したりしている。

ところが、先生は白髪の老女に気付かない様子だった。

 

老女はじっと前を見ていた。

ボクはその女性の姿が気になって仕方が無かった。

だが、他の生徒たちは誰もその女性に視線を向けているものはいない。

 

やがて、1時間15分の授業が終わった。

ボクはテキストをカバンの中に入れていると、シェヒター先生が英語で話しかけてきた。

先週雑談していたことの続きだった。
ボクは拙い英語力で、シェヒター先生の質問に応えていた。

話を終えて、白髪の老女が座っていた席を見ると、老女は居なかった。

すでに教室を出てしまったようだ。

ボクはシェヒター先生に、「今日は見学者の人がいましたね」と英語で言うと、先生はボクの言葉が理解出来なかった様子で、ポカンとした表情を浮かべていた。

ボクの発音が聞き取れなかったのだろうと思った。

次のクラスの生徒たちが教室に入ってきたので、ボクは慌てて教室を後にした。

 

公民館を出て、駐輪場まで自転車を取りに行った。

鍵を解錠しようとした時、突然柱の陰から老女が現れた。

さっき教室にいた白髪の女性だ。

近くで見ると、かなり年を取っているように思えた。
70歳代後半だろうか。

「あの、英会話の生徒さんですね」と、老女が言う。

「ハイ、そうですが」と、ボクは頷いた。

老女の右目は白内障なのか、白く濁っている。

「来週も英会話に来られますか」と、老女はか細い声で言う。

ボクが頷くと、老女は1枚の紙を渡した。

英会話教室の申込書だった。

老女は来月から英会話教室に参加するつもりなのだ。

来週に申込書を事務所へ出してほしいと、ボクに依頼するのだ。

老女は自分で出そうとしたが、担当の事務員が居なかったという。

「お安いことです。来週事務所に出しておきますよ」と快諾すると、女性は「ありがとうございます」と応えて、駐輪場から出て行った。
ボクは自転車を動かして駐輪場を出ると、すでに女性の姿は無かった。

申込書には、楠本妙子の名前と住所が書いてあった。

 

翌週、英会話教室に出かけた。

始まる前に1階の事務所へ立ち寄った。

顔見知りの女性事務員がいたので、事情を説明して預かった申込書を渡した。

事務員は書類を見ると、「楠本妙子さんですね、ご本人さんは?」と、訊く。

ボクは「先週、見学に参加されていた人ですよ。事務所に書類を持って行ったが、係の人が居なかったと言って、ボクが頼まれたのです」と説明した。

そして、「別に、私の知り合いじゃないですよ」と付け加えた。

事務員は「見学?」と首を傾げながら繰り返し、横にいる女性事務員に、「京子さん、先週英会話に見学の人がいた?」と訊く。
尋ねられた事務員はパソコンから顔を上げて、「いなかったと思いますけど…」と応えた。

ボクは「でも、先週その申込書を駐輪場で渡されたんですから」と、強い調子で言った。

すると、事務員は「ああ、そうですか。とりあえず、この用紙は預かっておきますから」と言い、申込書をクリアファイルに入れて、再び受付の椅子に座った。

 

ボクはエレベーターに乗り、3階の教室へ向かった。

教室に入ると、すでに2人の生徒が席に座っていた。

先週も私が教室に入った時、そこに居た葉山さんと田村さんだ。

「葉山さん、先週見学に来ていた人がいましたよね?」と、教室に入るなり、ボクが訊く。

「えっ、見学者って、居ましたっけ」と首を傾げ、「居ました?」と斜め向かいに座っている田村さんに訊く。

「いやぁ、居なかったと思いますけど…」

その時、金子さんと吉田さんがドアを開けて入ってきた。

葉山さんが「金子さん、先週見学者って、いました?」いうと、金子さんも「えっと、居てましたかね」と、呆けたような調子で言い、首を傾げた。

歳を取ると、前日の記憶さえ曖昧だ。

ましてや、先週の出来事ははっきりしないようだ。

 

教室に入ってくる生徒たちに訊いたが、誰も見学者が居たという人はいなかった。

「そこの席に座っていたでしょう」

ボクは女性が座っていた席を指さすと、みんな「えっ」と言って席の方向を見る。

そうしていると、「ハロー」と言いながら、シェヒター先生が入ってきた。

What?」

ボクが他の生徒さんが話しているのを見て、シェヒター先生が訊く。

英語が一番堪能な吉田さんがシェヒター先生に英語で説明した。

すると、先生は「先週は、誰も見学者はなかったです」と、たどたどしい日本語だったが確信を持って言う。

 

見学者を見たのはボクひとりだった。

ボクは亡霊でも見たのだろうか?

<ボクが勘違いしている>と、そこにいる全員が思ったようだ。

でも、確かに白髪の老女がボクに入会の申込書を渡した。

もうそれ以上言うと、益々ボクが疑われそうだった。

他の生徒たちはボクの勘違いだと思ったようだ。

 

授業を終え、ボクは教室を出た。

1階に降りて事務所の前を通り過ぎようとした時、応対してくれた事務員がボクに声を掛けた。

事務員の横には年配の女性が立っていた。

「あの、私は館長の飯塚です」と、その女性が言う。

「事務の子から聞いたんですけど、楠本さんの書類を届けていただいたのですね」

「はい」とボクはうなずく。

「本当に、先週楠本妙子さんからこの書類を受け取ったのですか?」

「ええ、その人は見学に来られていて、私が帰る時、駐輪場でその書類を事務所に出してほしいと頼まれたんですが…」

「見学にね」と館長は言って、横にいる事務員と目を合わせた。

事務員は館長に向かって、ゆっくりと首を振った。

「先週の英会話には見学者の記録がないのですよ」

「でも、確かに名前と住所が書いた申込書を預かりましたよ。書類は事務員さんにお渡ししましたが…」と言って、私は事務員のほうを向いた。

「確かに、書類はいただきましたが…」と、呟くように事務員が言う。

すると、館長が口を挟む。

「あの、楠本妙子さんをご存知なんですか?」

「いえ、先週初めて会った人です」

「初対面ということですか…」

「はい、もちろんそうですよ」と、ボクは強い調子で言う。

館長と事務員は顔を見合わせて、不審な表情を浮かべた。

しばらく沈黙があった後、館長は口を開いた。

「確かに、楠本妙子さんはいましたけど。以前、この英会話の生徒だったんです。でもね、2年前に亡くなったんです。英会話を終えて自転車で帰っている時、トラックと接触事故を起こして。頭部を強く打って…」

話を聞いたボクは全身の血が足下へと流れ落ちていくのを感じた。

「でも、確かに…」

ボクはあとの言葉が出なかった。

 

老女を見たのはボクだけだった。

ボクの作り話だと言われても、反論しようがない。

確かに、ボクは白髪の老女を見たのだ。

 

その後、ボクに向けられる視線が冷たく感じられ、ボクは英会話教室をやめてしまった。

 

お・し・ま・い

 

ショートショートでした。

もちろん、作り話です。

 

私は2年前の4月から公民館の英会話に通った。

2年と3ヵ月、外人教師のもとで英会話を習った。

生徒はほとんどが女性で、半数は私よりも年上の女性だ。

 

通い始めてからしばらくして、隣に座っていた80歳のFSさんと親しくなり、終わった後にスーパーのイートインでお茶して帰るのが習慣になった。
その後、3人の老女が毎回参加して、毎回井戸端会議をしていた。

 

初めは年配の女性たちと会話するのが楽しかった。

会社は男性社会だったので、老女といえども女性たちの話は新鮮だった。

私も老女たちを楽しませるような話題を提供していた。

 

だが、2年もすると、限界がきた。

老人独特の、同じような話題が続く。

(私も同じ話をしているようだが…)

特に、FSさんは毎回息子ふたりが国立大学を出ていることを自慢したり、生命保険会社で働いていた武勇伝を繰り返し聞かせてくれる。

 

そろそろ、飽きがきた。

とりあえず、英会話教室をやめることにした。

 

死ぬまで英会話の勉強は続けたいと思っているが…。

author:金ブン, category:日常の出来事, 10:39
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濃密な1週間の出来事

JUGEMテーマ:日記・一般

 

今週は濃密な1週間だった。

退職以来、一番忙しかった7日間かも。

その日々を振り返ってみた。

 

日曜日と月曜日、妻と伊勢志摩へ旅行した。

4月に娘たち家族が大阪へ引っ越してきたので、定例の春の旅行が6月になってしまった。

その代わり、娘が留守中年寄りたち(父と義母)の面倒を看てくれる。

 

日曜日の昼前に出発し、中国道から名神、新名神を通り、伊勢道へ。

ドライブを楽しみながら、夕方鳥羽に着く。

早めの夕食は鳥羽の料理店「漣(さざなみ)」。

大きな海老フライや海の幸の刺身が付いた「あこや御膳」と地ビールをいただく。

妻は国産牛の陶板焼きが付いた「に志き御膳」を食べた。

 

あこや御膳

 

満腹状態で、タラサ志摩ホテル&リゾートに到着。

全室オーシャンビューで、庭には草間弥生の大きなパプリカが置いてある。

夕日は絶景。

 

 

 

その夜は午前0時に起きて、ワールドカップ 日本とセネガルの試合を観戦。

午前6時ごろ起きて、近くを1時間散歩した。

 

部屋からの景色も良かったが、朝食のバイキングが美味しかった。

料理にひと工夫があり、調子に乗って食べすぎた。

 

 

その日の午前中は「志摩地中海村」へ。

ホテルがあるリゾート地で、まさに地中海にいるような雰囲気。

 

 

そこで、30分の英虞湾クルーズを楽しむ。

 

 

その後、伊勢神宮へ。

参拝前に、「おかげ横丁」で友人に薦められた「赤福氷(520円)」を食べる。

たくさんの床几が並んでいたが、満員の盛況だった。

氷の中には赤福が入って、上から抹茶の蜜が掛けてあるシンプルなものだが、暑い季節には最適。

すっきりした味だった。

 

食べている最中に、シルバー人材センターから連絡があり、急な仕事を頼まれる。

明日センターへ出勤することになった。

 

神様に参拝し、股関節の痛みが治りますようにお願いする。

財布に入っていた5円玉と1円玉すべて(合計11円)を賽銭箱に投げ入れた。

 

「おかげ横丁」で土産を買い、帰路に就く。

帰り、吹田の娘宅と娘婿の家に立ち寄って、土産を届けた。

 

翌日火曜日の午前中、シルバー人材センターに出かけた。

頼まれたのは24ページの小冊子「認知症講習会のレジメ」を150部印刷することだった。

2時間ほどで終了し、他に頼まれた標語のポスターを印刷してからセンターを出た。

 

急いで、伊丹駅近くにある関西スーパーフードコートまで行った。

そこで待ち合わせをしていたボランティアの会の人と、昼ごはんを食べた。

そのフードコートではスーパー内で買ったものが食べられる。

小さな巻き寿司と6個入りのたこ焼きをつまんだ。

この後、ボランティアのメンバーとカラオケをすることになっていた。

 

1時半、ジャンカラに5人のメンバーが集まった。

散髪で遅れて参加したひとりを合わせて、6人が参加した。

平均年齢は約75歳、最高齢は85歳。

女性がひとり、82歳。

 

毎月第4週の火曜日に、ジャンカラでカラオケをすることになったのは2ヵ月前のことだ。

第4週の火曜日は年寄りが半額なのだ。

受付に行くと、平日であり安いので、暇をもてあそぶ年寄りたちが並んでいた。

 

カラオケ好きなメンバーがいつも予約を入れている。

メンバーにとって、ジャンカラの魅力は焼酎が無料であること。

水割り、ソーダ割り、お湯割り、ロック、ストレート、いくら飲んでも無料だ。

部屋に入ると、マイクを用意するよりも、焼酎を注文することが先だ。

それぞれ、2杯ずつ注文を入れた。

 

とにかく、平日のまっ昼間のカラオケだ。

酔わないと、盛り上がらない。

私もビールを飲みたかったが、無料に魅かれて米焼酎を注文した。

ところが、この水割りがやたらと薄い。

そこで、メンバーの一人がストレートを5杯注文する。

それを水割りに追加して飲んでいた。

 

運んでくる店員は愛想良く、次々と注文したものを持ってくる。

おそらく、注文し続ける老人たちに呆れていることだろう。

注文したものはすべて無料なのだ。

それに、酒のつまみは持参したチーズやおかきをテーブルに広げている。

私は伊勢志摩で買った「松坂牛のポテトチップ」を提供した。

 

カラオケが始まる。

いつも歌い始めは私。

リクエストにお応えして、杉良太郎の「ぼけたらあかん長生きしなはれ」を歌う。

繊維商社出身のS・Mさんは石原裕次郎や舟木一夫などの思い出の昭和歌謡。

一橋大卒大手銀行出身のS・Hさんはジャンルを問わず、歌上手。
英検1級の英語力で、英語の歌も熱唱する。

82歳の女性S・Kさんは演歌一筋。
最年長85歳のS・Sさんは戦前の歌を中心。
そして、少し遅れて参加したHさんは長渕剛や軍歌。

 

今回、私はコミックソングばかりを唄うことに決めていた。

「糖尿だよ、おっかさん」、「だまって俺についてこい」、「ハイ、それまでよ」、「なごり寿司(なごり雪の替え歌)」などを歌う。

 

慣れない焼酎を3杯飲んで、2時間経ったころには良い気分になっていた。

老人たちは時間をわきまえている。

盛り上がっているのに延長すること無く、次回の日を決めて解散した。

これだけ遊んで、ひとり420円の出費だった。

 

さて、翌日水曜日は終日、シルバー人材センターで時給800円のアルバイト。

朝5時半に起きて自分で弁当を作り、9時前にセンターに入る。

仕事は会報誌のデータ修正と印刷。

 

ここでも同僚は70歳半ばの二人の老人。

ふたりとも無口な人たちで、沈黙の中で仕事が進む。

昼休みは弁当を食べ終わってから、近くの公園を散歩する。

散歩が目的というよりも、休み時間に無口な人たちといる沈黙の空間が耐えられないからだ。

 

仕事を終え、16時半に帰宅した。

居間でネットを見ていると、17時半からイオンシネマで「万引き家族」を上映しているのを見つけた。

「今から行けば、上映時間に間に合う」と、バイクで映画館へ。

観客は15人程度。

友人から「パルムドール賞を獲ったので、満席やった」と聞いていたので、拍子抜け。

平日のこの時間だから、当然だろうと思いかえす。

 

「第3の男」、「甘い生活」、「欲望」とか、学生時代にカンヌグランプリ受賞作を良く観ていた。(現在の最高賞はパルムドール賞という)

疑似家族たちが海辺で遊ぶシーンはフランス人好みの設定だ。

是枝監督は子どもを使うのが上手い。

 

翌日木曜日の午前中は空き時間ができた。

今週もやらないといけないことがたくさんあった。

ボランティアの会のホームページの更新作業、会報誌の記事を書く作業、などなど。

 

ところが、昼からは公民館でのパソコン会がある。

ここではパソコンを教える立場なので、教えることをまとめなければならない。

午前の時間は教材になるレジメを作って終わった。

 

昼1時前に、公民館に着いた。

すでに、仲の良いボランティアのメンバーが準備を終えていた。

会員が9人集まった。

私はプロジェクターを使って、ワードの「表の作り方」を教えた。

生徒の年齢は70歳代が中心。

丁寧に教えているのだが、なかなか前へ進めない。

出来ない人のパソコンに近づいて、個々に教えないといけない。

同じ事を何度も教えるのは疲れるものだ。

 

3時には休憩のお茶タイム。

生徒にとって、パソコンを習うことより、お茶タイムに雑談することのほうが楽しいようだ。

会員のひとりが豪華客船でクルーズをした話をしていた。

 

お茶タイム終了後は、個々のテーマで解らないことを尋ねてくる。

解らないことがあると、ネットを調べながら解答する。

 

教室は5時に終了し、ロビーでメンバーのひとりと雑談して、帰宅した。

 

毎週1回、宝塚スポーツセンターのプールで泳いでいる。

膝や股関節のリハビリのためだ。

今週は忙しかったので、行けなかった。

午後6時にパソコン教室から帰宅して、急にプールへ行く気になった。

午後6時半からプールの利用料が半額の200円になる。

かなり疲れ気味だったが、思い付いたら行動しないと落ち着かない。

 

バイクで宝塚スポセンのプールに出かけて、1時間泳いだ。

泳ぐというより、ほとんど水中を歩いていた。

 

帰宅してから妻と夕食を食べ、しばらくしてベッドへ入った。

午後11時から始まる、日本対ポーランド戦を観るためだ。

だが、疲れからか、ぐっすりと寝入ってしまった。

ふと目が覚めると、妻がベッド横のテレビで試合を観ていた。

すでに、後半40分過ぎだ。

「なんや、負けてるやん」と言って、眠い目をこする。

 

負けている日本チームがワザとボールを回して、時間稼ぎをしている。

「なんや、攻めんかいな」と、事情の解らない私はテレビ画面に呟く。

終了のホイッスルが鳴ってからしばらくして、日本の決勝トーナメント出場が放送された。

事情は理解できたが、<にわかサッカーファン>の私はなんか割り切れない気分に包まれた。

後、テレビではこの試合の感想をサポーターに尋ねていた。

皆一様に、「決勝に行けたので、万歳」、「とにかく、ホッとした」とか、試合を肯定的に見るサポーターが多かった。

しかし、5,6歳の女の子がマイクを向けられて、「寂しかった、点を取ってほしかった」と応えていた。

子供は正直だ。

 

当然、翌日金曜日は寝不足である。

午前中、ボランティアの会のホームページの更新作業をしたり、ブログの内容を考えたり…。

 

昼から、シルバー人材センターへ出かけた。

引き継いだ仕事で解らないことがあるので、私の前任者にそれらを訊くためだ。

前任者は80歳。

その人は20年近く、シルバーでパソコン関係の仕事をしていた。

だから、やってきた仕事に強い自負心を持っている。

私が入会してきたことで仕事を辞めることになった訳だから、私に対してあまり良い感情を持っていない。

だが、私としては訊かないと前へ進めない。

 

前任者は待合わせの1時に、事務所に来てくれた。

人材センターの総務担当者が立ち会って、私は何点かの疑問を前任者に尋ねた。

前任者は自慢話を交えながらも、疑問に応えてくれる。

じゃべり方は荒っぽいが、根は良い人だと感じた。

1時間程で終わったが、その後1時間雑談をしていた。

 

ここでのパソコンを使う仕事はかなり面倒なことが多いようだ。

だが、センターとしては新人の私にすべてを託すしかない様子だった。

他の二人は決まった仕事しか出来ないようだし、会員の中でパソコンを使える人が少ないからだ。

私もパソコンが得意とはいえないが、パソコンに向かうことは嫌いではない。

闘う気力もまだ残っていた。

 

人材センターを出て、慌てて帰宅した。

帰宅して、すぐに家を出た。

午後5時に、大学の友人ふたりと難波で待ち合わせしているからだ。

久しぶりに、友人との飲み会だ。

繁華街は活気に満ちている。

この日はプレミアムフライデーなのだ。

 

「ミュンヘン」で、ジョッキ片手に名物の唐揚げを食べた。

この1週間が忙しかっただけに、親しい仲間との会話で癒された。

音楽、映画、本、麻雀そして、下ネタ。

おそらく以前にも話し合った内容が随所に出てきたのだろうが、懐かしい思い出話が妙に落ち着くのだ。

毎回同じような場面やギャグが出てくる、映画「男はつらいよ」を観ているような安心感。

 

 

それぞれの苦労を抱えながら、60代半ばを生きている。

そんな友人たちに、逞しさと頼もしさを感じるのだった。

 

午後8時にお開きとなり、金曜日が終わった。

 

土曜日はこのブログをアップすることを決めている。

5時半に起床し、頭の中にある1週間の出来事を文字にする。

8時に朝食を済ませ、9時から読み直して、ブログが完成した。

 

充実した1週間だと思うが、暑さで疲れが溜まっている。

もうすぐ、孫たちがやってくる。

今日も、ゆっくり出来そうにない。

author:金ブン, category:日常の出来事, 10:32
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大声で。

JUGEMテーマ:ニュース

 

ボランティアの会などの高齢者の集会に参加すると、時折23年前に起きた阪神淡路大震災の話が出る。

当時伊丹に住んでいた人はいろんな体験談を持っている。

もう20年以上前の事なので、過去の苦労話は輝いて話せる。

私も妻と息子がピアノの下敷きになったことや屋根に取り付けるブルーシートを手に入れるために市役所で長い列に並んだ話をしたりする。

自宅を建て直すことになったとはいえ、身内の者がケガすることもなかった。

 

伊丹でも22人の人が亡くなっている。

その場に身内を失った経験を持つ人がいたら、思い出話を懐かしく語れないだろう。

 

久しぶりに、地震の恐ろしさを経験した。

朝食前、食卓テーブルに座っている時、大きな横揺れが来た。

私は「ワーッ」と声を出すだけで、収まるまで何も出来ず、ただ立ちつくしていた。

妻はすばやく仏壇に駆け寄って、倒れないように押さえていた。

揺れが収まると妻は「なんや、大声を上げて、何にも出来ないやん」と、軽蔑を含んだ笑いを浮かべるのだった。

そう言われても、弁解しようがない。

わずか10秒ほどの時間だったが、大きく揺れる家屋を前に心臓の鼓動が速くなっていた。

 

しばらくして、娘からのライン電話が鳴った。

娘の声を聞くまで、吹田に引っ越していたことさえ頭に無かった。
4月に吹田で新居が完成して、宮崎から移り住んでいたのだ。

 

小学生3年の孫息子は校舎の階段で、1年生の孫娘は通学途中で地震にあったという。
孫娘は電線が大きく揺れるのを見て、地震だと分かったそうだ。

近くを歩いていた小学生が倒れた塀の破片に当たって、ケガをしたと語っていた。

倒れたブロック塀に挟まれて亡くなった子供がいたと知ると、寒気がした。

 

火事やカミナリは防ぐことや逃げる事が可能だが、地震は突然やってくるので防ぎようがない。

生死は運命に左右される。

 

日頃予知訓練として緊急地震速報を携帯電話で鳴る様になっているが、今回は地震が起こった後に鳴っていたようだ。

大阪管区気象台は「技術的な限界」と説明している。

結局、地震の予知は出来ないに等しい。

 

気象庁のホームページに「地震の予知はできますか?」という質問の回答が書いてある。

 

 <・・・「(時)一週間以内に、(場所)東京直下で、(大きさ)マグニチュード6〜7の地震が発生する」というように限定されている必要がありますが、現在の科学的知見からは、そのような確度の高い地震の予測は難しいと考えられています。・・・

 一般に、日時と場所を特定した地震を予知する情報はデマと考えられます。お聞きになった情報で心配される必要はありませんが、日本は地震国であり、地震が起こらない場所はないと言っても過言ではありません。日ごろから地震に対する備えをお願いいたします。>

 

日本に住む以上、地震というリスクは避けられない。

 

40年以上経っている家のブロック塀を建て直さないといけないのだが…。

 

(追記)

地震の翌日、ワールドカップでの日本の勝利で<大迫、半端ない>の言葉が沸騰している。
この言葉が発せられた時の映像がyoutubeにもアップされていた。

これは日本テレビ系の放送で撮影されたものだという。

負けた滝川第二のキャプテンが対戦相手を絶賛する姿。

監督の姿勢が微笑ましい。

なかなか、爽やかな映像だ。

 

スポーツのあるべき姿はこんな笑いの中にあるような気がする。

観ていない人はぜひ視聴を。

 

https://www.youtube.com/watch?v=pZ2UIYRK5I4

 

 

 

author:金ブン, category:日常の出来事, 10:01
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口が渇く

JUGEMテーマ:日記・一般

 

その異常を感じたのは、会社の朝礼が始まってからのことだ。

 

50代半ばの頃、会社で月曜日の朝礼が始まった。

当番の社員が3分間スピーチをすることになった。

当時私は京都営業所に所属していて、3ヵ月に一度スピーチの当番が回ってきた。

その頃は多少緊張するものの、その異常は感じなかった。

おそらく、営業所の人数が10人程度だったからだろう。

 

数年後大阪本社に異動となり、やがてスピーチの当番がやってきた。

自分自身、人前で話すことが苦手だと思っていなかった。

中学生の頃は生徒会の副会長で司会したりしていたし、大学卒業後もコンサートに参加して人前で歌ったりしゃべったりもしていた。

その時どんなに緊張しても、普通に話すことができた。

それに、朝礼の話題もたくさん持っていたし…。

 

大阪本社の社員約30名の前でスピーチした時、初めて異常を感じた。

話しだすと、急激に口が渇くのだ。

すると、口がスムーズに動かなくなり、滑舌(かつぜつ)が悪くなってしまう。

話しにくいし、それが気になって話す内容もチグハグになった。

 

水がそばにあれば良いのだが、朝礼で水を持って話す訳にはいかない。

そこで、酸っぱいアメを口の奥に忍ばせることにした。

すると、その症状は解消されて、問題なく話すことが出来るようになった。

その後もうっかりとアメを用意するのを忘れていると、やはりその異常は続くのだった。

 

退職してからというもの、多くの人の前で話す事がなくなった。

文化財のボランティアガイドを始めたといえ、ガイドする相手の人数は2,3人の少人数から、多くて15人程度だ。

何度か、ガイドしたが、その異常は現れなかった。

 

ところが…。

先週、ボランティアの会が主催する歴史ウォーキングがあった。

8つのガイドポイントの内、私は2番目にガイドをすることになった。

9時の集合時間には30人近くの参加者が集まっていた。

 

今回のガイドは自分にとって話しやすい内容だったので、自信があった。

だが、参加者を目の前にして、急激に緊張感が高まってきた。

私は自意識が強いために、物事に対して緊張しやすい性格なのだ。

べつに仕事でもないのだから、失敗しても誰からも咎められることは無い。

そんなことは重々分かっているのだが、上手くやろうとすることが頭の中を駆け巡って、気持ちが高ぶっていく。

 

ガイドするポイントに近づくにつれ、口が渇いてくるのだ。

手持ちの水を何度も飲んだ。

しかし、すぐに口が渇いてしまう。

アメは持ってこなかったことに、後悔した。

 

ガイドポイントに着いて話し始めると、渇いているために口が思うように動かない。

話す順番がバラバラになり、頭の中が混乱していた。

滑舌(かつぜつ)の悪さから、参加者には内容が聞きづらかっただろう。

何度も口を拭い、間合いを取りしながら、ガイドを終えた。

 

スマホで写真を撮ってもらうように頼んでいたメンバーの人が言う。

「資料に隠れて、顔全体が写ってないよ」

 

 

カラカラに乾いて動きが悪い口元を資料で隠していたので、顔の下半分が隠れた写真になっていた。

 

ガイドが終わって、80歳のSさん(大阪のオバちゃん風)から「お疲れさん」と、アメを貰った。
ガイドする前に欲しかったのにと思ったが、後の祭りである。

 

緊張して口腔乾燥症(ドライマウス)になるのは一種の精神疾患のひとつのようだ。

「緊張しにくい体質をつくるには『セロトニン』を十分に分泌させることが大切」なんだとか。

 

酸っぱいアメを口に含んでおくだけで解消するのだから、精神疾患というほど大袈裟なことではない。

ただ、緊張する場面でもジタバタせず、泰然自若の姿勢で臨みたいと思う。

だが、どんなに歳を重ねても、それは無理なような気がする。

author:金ブン, category:日常の出来事, 09:18
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薬嫌い

JUGEMテーマ:日記・一般

 

西城秀樹が5月16日に亡くなったニュースが報道された。

40歳代後半で脳梗塞に罹り、長く闘病生活を送っていたという。

 

翌日の5月17日は世界高血圧デーだった。

高血圧への自覚を高めるために、制定されたという。

高血圧は脳梗塞や心筋梗塞を引き起こす、恐ろしい症状なのだと、医者はいう。

60歳過ぎてから、私も高血圧症になった。

 

昨年末から、アムロジンという血圧の薬を飲み始めた。

途端に、150〜160だった血圧が120前後に下がった。

早い効き目に、恐ろしささえ感じた。

 

薬というのは副作用が付きものだ。

効き目の良い薬ほど、副作用が強いのだろう。

 

私は元来薬嫌いで、出来るだけ服用を避けてきた。

歳を取ると、薬に頼らざるおえない状況になってくる。

 

数年前から首の根元が腫れて、甲状腺の病気橋本病と診断された。

数値はそれほど悪くなかったので、薬の服用は無かった。

昨年血液検査で、甲状腺ホルモンの数値が悪く、服用することになった。

チラージンという薬を半年服用して、数値は改善したので飲まなくなった。

 

血圧も改善したら、服用しなくても良いのだろうと思っていた。

医者が言うには、血圧の場合飲まなくて良くなる人は10%以下だと。

飲まないと、数値が高くなってしまう人がほとんどなのだ。

飲み始めると、ずっと飲み続けなければならないようだ。

 

朝1回、小粒の錠剤を飲むだけだから、負担は無い。

でも、ずっと飲み続けるというだけで、気持ちが悪い。

 

高齢者の知人たちに血圧の話をすると、ほとんどの人が「下げる薬は飲んでますよ」という。

50歳頃から服用していると言う人も何人かいた。

みんな、服用するのが当然のようにいう。

 

血圧が高くなる原因は塩気の多い食べ物を摂取するからだときいた。

だから、塩気の多い漬物や塩しゃけは避けるようにしている。

また、手ぬぐいを1日10分握るだけで血圧が下がるというトレーニングをテレビで紹介していたので、早速実行している。

何とか薬を止められるようにと努力している。

 

ところが…。

血液検査をしたら、今度は悪玉コレステロール値が高いと言われた。

「そろそろ、薬を飲まれたほうが良いですよ」と、医者はいう。

動脈硬化や脳梗塞などの病気を並べて、医者は脅すように警告する。

「1ヵ月後の血液検査で数値が悪かったら、薬を飲みます」と、私は医者に応えた。

 

1ヵ月間、毎日青汁を飲んだ。

コレステロールが高いという卵料理を避けた。

そして、血液検査の前日は断食して、血液検査に臨んだ。

 

血液検査の結果は、168だったLDLコレステロール値が166と、わずかに下がっただけだった。

結局、血液中のコレステロールを下げるロスバスタチンOD錠を処方された。

 

朝に血圧の薬とともに、2錠の小さな錠剤を飲むだけだから、そんなに苦痛ではない。

もう、歳なのだと自覚することにした。

そこで、過度に塩分やコレステロールに神経を使って過ごすことを止めた。

つまり、大切なのはQOL(クオリティ・オブ・ライフ)だ。

 

好きな漬物や卵料理を、気にせずに食べることにした。

要は、健康志向のタガが外れてしまった。

 

すると、…。

先日、英会話の先生が卵料理の話をしていた。

私が「卵はコレステロール値を上げますよ」と言った。

すると、先生は「卵がコレステロールを上げるという考えは間違っている」と言い、「コレステロールを下げるにはシナモンと蜂蜜を食べたら良い」と。

 

先生の旦那は私と同年だ。

旦那がコレステロール値や血糖値が高かったので、シナモンと蜂蜜をパンに付けて毎日食べさせたという。

すると、すぐに効果が表れたらしい。

「絶対、シナモンと蜂蜜を試しなさい」と、先生は念押しする。

 

こういう話を聞くと、すぐに試そうとする。

早速、シナモンと蜂蜜を買ってきて、シナモンティーを飲み、食パンにシナモンを付けて食べ始めた。

 

世の中には「健康」の情報があふれている。

誰もが「健康」というフレーズに、すばやく反応してしまう。

間違いなく、私もそのひとりだ。

 

薬嫌いであるがゆえに、私はすぐに試してしまう。

「健康」に関する情報はいい加減なものが多いとは思うが…。

author:金ブン, category:日常の出来事, 07:06
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