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否定しないこと

JUGEMテーマ:家庭

 

年を重ねると、同じ話を繰り返す。

 

「宇宙にはウィルスが飛んでいて、地球が太陽の周りをまわっていると、ウィルスの塊がいるところに入ってしまう。だから、コロナが蔓延するんや」

ラジオかテレビかで、こんなバカげた話を聞いたのだろう。

食事をしていると、父親はこの話を何度も繰り返す。

また、「幼いとき、スペイン風邪に罹った。その時、母親が鯉の生き血を飲ませてくれた。それで、俺は生き残ったんや」と、何度も繰り返していう。

父は大正14年生まれで95歳。

スペイン風邪のパンデミックは生まれる以前のこと。

昔の記憶にはいろんな経験がごちゃ混ぜになっている。

 

こんな話を聞かされる私は、初めのうちは「そんなはず、ないやろ」と反論していた。

だが、何度も聞かされると反論するのも面倒になって、「そうか、そんなことがあったんか」と話に乗って、うなずくようにしていた。

すると、父は自慢げな表情を見せて、満足していた。

 

それ以来、父が昔のおぼろげな記憶を交錯させて道理に合わない話を繰り返すとき、私は「うん、そうやな」と、うなずきながら話を聞いている。

義母(妻の母)と接する時も、同じだ。

父親同様に、同じ話を繰り返すので、その方法で話を聞くようにしている。

すると、義母は機嫌が良くなり、それが妻に波及し私の評価も上がってくる。

 

そのポイントは「頭から否定しないこと」。

 

生命保険会社が6歳までの子どもがいる男女に、ステイホーム期間中の子育て意識をアンケートした。

その結果、男性は「子育てに積極的になった」とか「子供との絆が深まった」との回答が多かったのだが、妻の方は「子供にイライラすることが多くなった」との回答が一番多かったという。

そして、夫がテレワークをしている専業主婦のうち4人に1人が「今後はしてほしくない」と回答していて、その理由で最も多いのは「夫が家にいることで家庭不和となり子供に悪影響が出る」(36・4%)だったという。

 

ステイホーム期間の我が家はどうだろうか?

妻は「あまり、気にならない」とはいうが、やはり、イラっとすることが増えたに違いない。

私たち夫婦はほとんど言い争いをするようなケンカはしない。

相手の言葉にいら立つと、お互いが黙ってしまう。

 

今回の自粛生活では、お互いにトゲのある言葉が多くなったように感じる。

つまらないことで、イラっとしてしまう。

朝から晩まで1日中家にいると、些細な事で引っ掛かったりするものだ。

私がそう感じているのだから、妻も同様だろう。

 

価値観が良く合っているとか、穏やかな性格が一緒だから等の理由で、相手に選んだ。

だが、生まれも育ちも違う。

同じ屋根の下で暮らしていると、生活感の違いからくる齟齬が徐々に表面化してくる。

 

寛容と忍耐である。

最近、私は悟った。

父親に接するのと同様、「否定しない」ことを心掛けるようになった。

意にそぐわないことを言った時も、「ふん、そうか、そういう考えもあるかな」とか、「そうやな、まあ、気を付けるようにする」とか、オブラートに包みながら言葉を返す。

 

夫婦間のトゲが解消されていく。

そして、波風が立たない、平穏な生活に続く。

 

私の中にストレスが澱のように溜まるが、人生は忍耐だと言い聞かせる。

author:金ブン, category:人生, 10:01
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タイムカプセル

JUGEMテーマ:日記・一般

小学校を卒業するとき、友達と二カ所にタイムカプセルを埋めた。

一つは同じクラスの子と、学校の体育館の裏手に埋めた。

もう一つは近所の友達と、国道横の空き地に埋めた。

二カ所とも開封する機会もなく、国道横の空き地だった場所には日産の販売店ができている。

確か、中に入れたのは誰かに貰った魔除けやベッタン・ビー玉のようなもので、思い出になるようなものを入れた記憶がない。

それでも、50年前に埋めていたものを見てみたいとは思う。

 

久しぶりに、机のまわりを片付けようと思った。

机の下に、子ども用の洋服入れが置いてある。

私はそれをガラクタ入れとして使っている。

ガラクタというより、捨てられない思い出の品を入れている。

 

 

久しぶりに、開けてみた。

古い記念写真の数々、思い出の手紙、かなり以前に書いた小説、会社で使っていた手帳…。

懐かしいものばかりで、捨てられない。

その中に、プラスチックの箱が出てきた。

京都営業所 タイムカプセル 2009.12.29 の文字が書いてある。

そのころのことを思い出す。

 

 

50歳の時大阪から京都営業所に異動となり、社会人になって初めて職場が変わった。

社員10人ほどの小さな営業所だった。

責任者の立場だったので、かなりストレスを感じる毎日だった。

6年間京都で働き、その後大阪本社に異動になるのだが、その前年の年末、タイムカプセルを思いついた。

社員みんなでこの時の思いを書いてもらい、10年後に開封しようというもの。

アイデアは良かったが、年末の忙しい時期だったこともあり、書き入れたのは私と先輩のHさんだけだった。

その後、私の机の中に仕舞われたままになった。

退職の時、この入れ物を鞄に入れて持ち帰っていた。

 

箱には<2019年12月に開封してください>と書いてあるが、すっかり忘れていた。

 

私とHさんはどんなことを書いていたのだろう。

開けてみた。

折りたたんだ細長い紙がふたつあった。

 

「2019年の私」の欄と「2019年の京都営業所」の欄が作ってある。

「2019年の私」の欄には<死んでいるかも。生きていたら、リタイヤし、孫といっしょに路上ライブをしているかも。今しているホームページはまだ健在だろうか>と書き、金ブン通信のURLが記してあった。

死んではいなかったが、孫はいる。

退職したら、再度ギターの練習をしたいと思っていたので、路上ライブと書いたのだろう。

ホームページはまだ続いている。

 

そして、「2019年の京都営業所」には<所長はM君かS君かな。12月31日の比叡山への挨拶はまだ行っているかも。京都営業所がなくなっていたら、悲しいが。>と書いていた。

現在京都営業所があった場所が女性用のホテルに変身し、営業所は近くのビルに移っている。

ただ、所長候補と思われたM君もS君も退社し、別の広告代理店で働いている。

また、その頃は毎年大晦日に比叡山延暦寺へ年末の挨拶に行っていたが、その後比叡山延暦寺の仕事はほとんどなくなってしまったと聞く。

 

先輩のHさんは現在70歳。

「2019年の私」には<病院のベッドにいるか、シャキッとして京都営業所に遊びに行っているか>と書かれている。

退職後も元気に働かれているが、京都営業所には行かれていないようだ。

また、「2019年の京都営業所」には、<希望として、営業所のメンバーが京都の広告業界を圧巻している>と書かれているが、その頃の社員の多くは会社を離れ、他社に転職している。

 

今、10年後開封するタイムカプセルを作ると、どうだろう。

現在を10年後の過去として、眺めてみたいものだが。

私は77歳か。

この世にいないかもしれないな。

author:金ブン, category:人生, 09:35
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人に会うこと

JUGEMテーマ:日記・一般

 

今週、いとこが亡くなった。

脳腫瘍で2年間闘病していた。

母の弟の長男で、確か年齢は50歳前後だったと思う。

今日(4月4日)がお通夜で、明日葬式だと連絡があった。

この時期、新型コロナウィルスの影響で、葬式が自粛されるケースもあると聞く。

両親の思いもあって、平常通り葬儀会館でするようだ。

連絡をくれた親戚の叔母さん(80歳)は、「葬式に参列するのが恐い」と言っていた。

私も妻と参列するが、お参りをさせてもらったらすぐに引き上げるつもりだ。

 

 

今年の初めのことだが、大学の友人SE君から連絡があった。

しばらく会っていなかったので、気になっていた。

元気にしているかなと思っていたが、元気ではなかった。

昨年の夏に肝臓がんが見つかって、肝臓の一部と胆のうを切除したという。

 

もう60歳半ばを過ぎた年齢になったのだから、同年配の友人が大病を患うのは珍しいことではない。

SE君の場合、ガンの転移が見つかって、医者から命の期限を切られたというのだ。

SE君は、「久しぶりに友人たちに会いたいな」と、私にいう。

友人たちと連絡を取り合って、2月初めに、親しかった友人3人で自宅を訪ねた。

 

お見舞いなのでアルコールは遠慮していたのだが、ビール、酒やおつまみをごちそうになった。

大学時代の思い出話は楽しかった。

抗がん剤の投与が始まったばかりで、SE君の体調が比較的良い様子で、一番よく酒を飲んでいた。

SE君は普段から弱気な姿を余り見せることが無かったが、陽気な会話の中に一抹の寂しさが感じられるのだった。

SE君と別れて、帰途に着いた僕たち3人は「会えて良かったな」と言い合った。

会うのが最後になるかもしれないと思うと、切ない気持ちになった。

 

その頃はまだ新型コロナウィルスの影響がそれほど深刻ではなかった時期だ。

それから1か月過ぎると、感染者が徐々に増加して、世の中の緊迫感が高まってくる。

 

もう一人、連絡が取れないで、気になっていた人がいた。

現役時代の先輩SA(76歳)さんだ。

帰り道が同じ方向なので、良く一緒に帰宅した。

帰る途中、梅田のJR高架下にある飲み屋に立ち寄った。

私が退職してからも、阪神競馬場で出会ったりしていた。

数年前、ネット投票で買ってあげた馬券が67万円当たったことがあった。

 

SAさんは半年ほど前から連絡が取れなくなっていた。

携帯にメールしても返信がなく、通話も通じなくなっていた。

自宅に何度か電話しても、ずっと留守電になっていた。

病気で入院されているのではと気になり、先日西宮の家を訪ねた。

 

以前、何度かお宅に訪問したことがあった。

公団の3階だった。

不在の時のために、手紙を用意していた。

インターフォンを鳴らしたが、返事がなかった。

やはり留守なのかと、私はポストに手紙を投函した。

すると、室内から音がして、扉が開いた。

 

「○○君(私の名前)か」と声がして、SAさんが現れた。

「元気でしたか?」と私が訊くと、「元気やで」と答えた。

白い髭が長く伸び、まるで仙人のような様相だった。

SAさんは私を室内に招き入れてくれた。

部屋に入ると、ミニチュアダックスフンドのクッキーが私の足にまとわりついた。

クッキーは、以前池にハマっていたのを、SAさんが助けて警察に届けた。

警察が保健所に持っていくというので、SAさんは保健所で処分されるのが可哀そうに感じ、自宅で飼うことにした。

それから、SAさんはクッキーを溺愛している。

「クッキーも元気だったんですね。どうしてたんですか?何度も連絡したんですが、繋がらないので」と、私が言うと、「すまんな」と何度も謝る。

携帯電話のバッテリーが故障して、連絡が取れなかったという。

自宅の固定電話にも電話していたのに出なかったのは不思議に思ったが、それ以上追求しなかった。

「携帯の会社に行って修理しないといけないので、早めに行こうと思う、直ったら、また連絡するわ」と言うのだが、半年以上も契約をしたまま故障した携帯を持っていることが理解できなかった。

認知症に罹っているのではと疑ったが、同居している奥さんと息子さんは元気だと言い、奥さんはパン屋さんにパートで勤めていると言う会話は平常だった。

ただ、会話中、チェーンスモーカーのようにタバコを3本吸い続け、山盛りの灰皿に吸い殻を重ねていた。

15分ほど話をして、私はSAさんの家を出た。

 

家に戻ってから、SAさんとの会話や態度を思い起こして、訪ねたことが良かったのかどうか疑問に思った。

会話もほとんど私の言ったことに対して、抑揚なく答えるだけだったし、感情の動きが感じられなかった。

会いたいと思うのは私の独りよがりで、SAはもう会いたくなかったのではないか。

携帯が繋がらないのは仕方がないが、固定電話が鳴っているのを無視しているのはやなり変だった。

 

今週、志村けんが新型コロナウィルスで亡くなるニュースが社会に衝撃を与えた。

私の歳とそう変わらない70歳だった。

漠然とある死というものがゆっくりと近づいてくるような気持ちになる。

 

いま会える人に会っておかないと後悔しそうな気がするのだが、もう心の中で整理してしまった人もいるのかも。

author:金ブン, category:人生, 09:45
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他人の眼

JUGEMテーマ:日記・一般

 

客観的に、私という人間はどんな風に見られているのだろう?

 

「ご主人の性格はどんな感じですか?」

先日脳梗塞で入院する際の問診票に記入している時、妻は看護師に尋ねられた。

脳外科の病棟なので、患者の性格や日頃の行動が気になるのだろう。

 

妻は一言「温和ですかね」と答えたという。

自分自身、大人しくて平穏な人間を意識していたので、一番近くで暮らしている妻が私を「温和」と表現したことに、ほっとした気持ちだった。

 

最近、ボランティアの会やシルバー人材などで活動していると、気難しい老人の行動や言動が目に付く。

あんな年寄りになりたくないなぁと思ったりしているが、自分の気付かないところで気難しい人間に思われているかもしれない。

自分の見え方は、自分には判らないものだ。

それだから、妻の評価に少し安心したのだ。

 

他人から平静に見えても、私の腹の中では他人と行動に腹を立てり、ムカついたり、カッとなったりする。

あからさまに顔に出すことはほとんどないし、何とか、心の中にしまい込んで我慢している。

極力、人と波風を立てないようにしている。

自己防衛の強さから、そういった振る舞いは身に付いてしまったのだろうが。

 

特に天国が近づいているせいか、穏やかでいるように努めるようになった。

あの世に行ってからの評価を気にしても仕方がないのだが、「あの人は感じの良いひとだった」と思い出してもらえるようになりたいとは思う。

 

今週、息子の15回目の命日だった。

まだ、バスケットクラブの友達がこの日に我が家へ集まってくる。

15歳だった子供たちは、もう30歳になる。

「仕事で忙しいでしょうから、もう無理しないでね」と妻が伝えるが、「僕たちの気持ちで来ていますから」と答える。

 

生前、息子は同級生からどんな人間にみられていたのだろう?

家では無口で不愛想だった息子だったのが…。

author:金ブン, category:人生, 09:31
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樹木希林の言葉

JUGEMテーマ:日記・一般

 

昭和で活躍した芸能人たちが徐々にこの世を去っていく。

その葬儀の様子がテレビのワイドショーで放映される。

亡くなった人の大きな遺影の前で、家族や友人たちが弔事を述べる。

 

今年3月に亡くなった内田裕也の葬儀で、娘也哉子の弔事は最後まで聞き入ってしまった。

破天荒だったゆえに家族に振り向くことが少なかった父親の生きざまを、淡々と評価し、賛美を送っている言葉は深く印象に残った。

 

https://www.youtube.com/watch?v=zSxW_IAM98g

 

“Fuckin' Yuya Uchida don't rest in peace just Rock'n Roll!!!(内田裕也のくそったれ。安らかに眠るな!)”

 

また、この弔事には内田裕也と樹木希林の夫婦の有り様が表現されているとともに、二人の生きざまも浮き彫りにされている。

 

樹木希林は平成18年9月に亡くなって以来、自身の遺した会話や活字が書物として発行され、その独特の人生観と生きざまが注目されている。

生前に語った言葉の数々が収録されている「一切なりゆき」を読んだ。

 

発せられる言葉には深い洞察力があり、その説得力に引きつけられる。

それらはオブラートに包まれた言葉でも飾った言葉でもなく、自らの生きざまから滲み出てきた言葉だからだろう。

 

印象に残った言葉を拾ってみた。

 

<モノを持たない、買わないという生活は、いいですよ。

モノがあるとモノに追いかけられます。持たなければどれだけ頭がスッキリするか。>

 

樹木希林はかなりの倹約家で、それは徹底していたという。

 

「家族や人から譲られたものを使い回すだけで充分」と、この10年以上もの間、服は買ったことがない。「物の冥利を見極めて終わりたい」と、古くなった靴下ははさみで切ってぞうきんにするなどして、とことん使い切る。一方、不要な贈り物は、「使いませんから」ときっぱり断る。「死後に何も残したくない」との思いからだ。(ネット記事の抜粋)
 

お正月にお子さんが樹木さんからもらったお年玉のポチ袋が、樹木さんが箸の袋を再利用したもので、子供にリサイクルの意味を伝えられたこともあったようですし、子供も一人の人間なので、周りの大人の判断を押しつけちゃいけないとか、学ぶべきことがたくさんあると話していたことがあります。(ネット記事の抜粋)

 

樹木希林ほど徹底していないが私もケチ種族なので、倹約家の言葉にシンパシィを感じる。

 

<私のことを怖いという人がいるみたいだけど、それは私に欲というものがないからでしょう。欲や執着があるとそれが弱みになって、人がつけこみやすくなる。そうじゃない人間だから怖いと思われてしまうのね。>

 

他人に干渉されずに、自分の生き方を貫くのは難しい。

私など、常に他人の眼を気にして生きている人間だ。

だから、進むべき道をまっすぐ生きている人間が羨ましくもある。

 

<年齢に沿って生きていく、その生き方を、自分で見つけていくしかないでしょう。>

 

<私の中にあるどろーっとした部分が、年と共になくなっていくかと思っていたんだけれど、結局は、そうじゃなかった。でも、最近は、“それでいいんだ”と思えるようになって。少し、ラクになりました。>

 

歳を重ねてからの生き方では、若い頃よりも迷いが多いように思える。

 

最近、私はいろんな病気に見舞われているが、そのたびにうろたえる自分がいる。

 

<「人は死ぬ」と実感できれば、しっかり生きられる。>

 

なかなか、この域に達することが難しそうだ。

 

内田裕也との夫婦関係は独特のものという。

 

<結婚生活を続けることも別れを決断することも、かならず嫌なことは付きまとう。でもそういう経験が、生きていく上では大切だって思ってた。>

 

<玄米を食べる妻に向かって、健康なんか気にしてロックがやれるか、とわめく夫>を提婆達多(だいばだつた)と表現し、この人がそばにいたからこそ、自分が成長したともいう。

(※提婆達多とは非常にすぐれた人物だったが、ねたみの心からブッダを殺そうとした最も有名な仏敵で、仏教で教えられる最大の極悪人)

 

弔事でも触れていたが、内田の女関係に悩まされることが多かったようだ。

 

<基本的に女というのは、余計なことを考える時間があると、余計なことをしてしまうと思う。生きるのに精いっぱいという人が、だいたい見事な人生を送りますね。>といい、

<人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前>だと言ってのける。

 

樹木希林の生き方は私から遠く離れたものでとても見習うことなど出来るものではないが、そういう人間の言葉を心のそばに置いておくことはなぜか落ち着くものだ。

author:金ブン, category:人生, 10:07
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老人の世界

JUGEMテーマ:日記・一般

 

辞任した五輪担当大臣は自身の地元では<良い人(ご老人)>と評判が高かったという。

大臣という表舞台に立ったために、間抜けな存在になってしまった。

そういえば、会社でもそんな人がいたなぁ。

ご近所での知り合いだったら、良いお付き合いが出来たかもしれないのに、会社で知り合ったばかりに<嫌な人(ご老人)>だった人…。

 

最近キレる老人、モンスター老人が増加しているそうだ。

社会の高齢化とともに、暴走したり噛みついたりする老人は増加しているようだ。

老人は人生経験から酸いも甘いも噛み分けることが出来るはずなのだが、それも人に依るのだ。

気の短い人は年齢を重ねてもその性格は変わらないし、頑固な人はやはり頑固な老人になるのだ。

 

4月は総会の季節だ。

町内の自治会や趣味のサークルなどでに年度が終わって、前年度の活動報告や今年度の活動計画・予算を決める総会が開かれる。

これまで自治会やテニスサークルの総会に出席した経験があるが、大概事務的に進行する会議だった。

ところが、今週、私が参加するボランティアの会の総会は紛糾した。

 

会計担当が熱心な方で、今までの支出の不平等や不合理を指摘して、かなり絞った予算を提案していた。

過去の会費の使い方を批判し、もっと会費を安くできると指摘する。

(ボランティア活動なのだが、会員は年会費として数千円負担している)

革新政党に所属されているようで、発言はなかなか鋭い。

古くから参加している会員にとって耳の痛い話だが、筋が通っている。

 

議事が会則の弔事見舞金を削除する項目になった時、古株の会員が反対意見を言い始めた。

弔事見舞金は会員が死亡した時や入院した時に支出する費用だが、70歳以上の会員が多いだけに年々増えている。

昨今、家族葬などごく親しい身内だけで済ませる葬式が増えていて、香典を辞退する傾向になっている。

会を運営する幹事会でその必要性が疑問視され、会則からその条文を削除することを決めたのだ。

 

ところが、古株の数人の会員が弔事見舞金を無くすのは絶対反対だと声高に主張する。

この場は総会なのだから、賛成か反対かについて決を採ったら良いのだが、古株の会員のひとりはそんなことしたら賛成が多くなるのに決まってるじゃないかと駄々をこねはじめる。

その心根は過去の活動を批判されたことへの不満なのだ。

感情的になった老人には理屈が通らない。

押し問答が続いたが、結局採決することになり、圧倒的多数で議案書通り、弔事見舞金の会則は削除されることになった。

閉会になっても、古株会員の怒りは収まらないようだった。

 

先日、アルバイト先(シルバー人材センター)の事務所を訪ねると、Tさん(アラウンド70の女性)の座席が変わっていた。

Tさんからアンケートのデータ入力の仕事をいただいているのだが、以前Tさんは一緒に仕事をしている先輩からいじめられているとの話をされていた。

頻繁に陰湿で不合理な要求をされて困っていると、愚痴られていた。

結局、センターの上司に訴えて、その先輩と近くだった席を離してもらったという。

 

「難しいご老人が案外多いんです」と、センターの職員はいう。

人生経験豊かな老人たちが集まる仕事場は一見穏やかな空気に満ちた世界に見えるのだが、そうではないようだ。

過去の曲がった経験が思い上がりとなり、頭の固い老人を作りだしているのだろう。

 

Youtubeで「老害」で検索すると、老人が暴走する動画がたくさん登場する。

見ていて、実に嫌な気分にさせる映像で、まさにそれは参考にすべき反面教師たちの姿だ。

 

幸い、私のお付き合いしているご老人たちは実におとなしい、好々爺や好々婆(?)たちだ。

特に、お婆さんたちは家事や子育てで家庭に押し込まれていた経験からか、伸び伸びと生き生きと活動されている。

まさに、「老婆の休日」である。

author:金ブン, category:人生, 10:01
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失敗を楽しむこと

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ある例会の席で、会報作りやホームページについて、話す時間が与えられた。

お堅い話だけでは聞いている人も面白くないので、前段で過去の失敗談を話した。

 

誤植についての経験談だ。

親会社の観光用パンフレットを印刷した時の失敗だ。

 

それは沿線の紅葉場所を特集したパンフレットで、紅葉の見どころが掲載されている。

色校正で若干の文字訂正があり、最後に印刷フィルムで訂正箇所を確認した後、印刷にかかった。

納品してから、お寺の名前の誤植が判明した。

清凉寺の「凉」の字が「涼」になっていた。

「さんずいへん」ではなく、「にすい」が正しいのだ。

1点余分だった。

この1点のために、8万枚のパンフレットは刷り直すことになってしまった。

 

当時はショックだった出来事だが、今では失敗談として、面白おかしく伝えることが出来る。

「刷り直しを告げられた時は本当に情けなかったですね。なにせ、<さんずい>と<にすい>の違いだけ。ほんの1mmの点だけのミスですから。血の気が引いて、全身が冷たくなって、身体が凍りそうでした」と言った後、「そうそう、冷たいも凍るも<にすい>なんですが…」と、冗談を言った。

 

過去の失敗談はたくさんある。

情けなくなるような失敗談ほど、懐かしく思い出され、今では楽しく話すことが出来る。

 

先日、朝日新聞の「折々の言葉」に、樹木希林の言葉「口をぬぐって、“ない”ことにしなくてよかった。」を紹介しながら、こんな文章が付け加えられていた。

 

<誰にも消しゴムで消したいような過去がある。過ちや失態、人を深く傷つけた経験。

それらは折にふれて自分の中で疼き、関係した人にもしかと痕跡を残したのに、年を重ねるとそれすらとても「懐かしい」と女優は語る。人生、どうもがいてもいても「結果」が付いて回る。>

 

今も、将来に楽しく話せるような、恥ずかしい失敗を重ねている。

author:金ブン, category:人生, 17:09
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趣味のお手伝い

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今朝「サワコの朝」に出演していた、漫画家ヤマサキマリの話は面白かった。

「テルマエ・ロマエ」は映画で知っていたが、この人の生き方はなかなか興味深い。

いろんな経験をすることが人生の面白さなんだろう。

 

年末から年始にかけて、慌ただしく時間が過ぎていく。

年を取るごとに、時間の早さを強く感じる。

新たな年になった1月は特にそう感じるようだ。

 

そして、何か習い事を始めたいという欲望が湧いてくるのだろう。

 

先週、お友達のNさん(70代の女性)から、メールが届いた。

パソコンを買いたいので、電器店に付いてきてほしいという内容だった。

Nさんは英会話で知り合ったお友達で、昨年末に「パソコンを教えてほしい」と言われていた。

私が公民館でパソコンを教えているのを、英会話の知人から聞いたという。

Nさんは全くの初心者という。

パソコンで何がしたいのか、目的がはっきりしない。

 

必要に迫られると、パソコンは上達するものだ。

漠然とパソコンを使いたいというのはなかなか続かない。

気まぐれに言っているのだろうと思っていた。

パソコンを買うというのだから、本気のようだ。

 

今週、電器店で待ち合わせをした。

もうひとり、パソコンを教えてほしいというFさん(この人も70代後半の女性)も一緒にやってきた。

私は電器店でパソコンを見るのは久しぶりだった。

様々な種類のパソコンが並んでいて、さずがに初心者が選ぶのは難しい。

 

店員が付いてきて、「4月から新型が入るので、今は安くなっています」と、2枚に重なった値札をめくって、「20万円が15万円になっています」と購買を促そうとする。

私は今まで5万円程度のパソコンしか買っていなかったので、最近のパソコンが高くなっているのに驚いた。

今どきの動画やゲームなど情報量の多いデータを動かすには、それ相応のスペックを搭載している必要があるのだろう。

CPUやメモリー、ハードディスクの容量、搭載しているソフトなど、店員が説明するが、初心者にはその説明が皆目理解できない。

値段の根拠が読み取れないのだ。

 

この日の数日前、私はパソコンを販売している知人の社長に、初心者向けのパソコンはどんなものが良いか、事前に問い合わせて情報を得ていた。

これから始める人なので、高度なスペックは必要ない。

10万円以下のもので、十分なのだ。

 

初心者のNさんは全く分からないので、同行した私の一言で決まってしまう。

これで良いじゃないかという商品はあったが、1軒目で決めるのは軽率な気がしたので、近くの電器店でも探すことにした。

 

次に訪ねた電器店のほうがパソコンの種類が豊富だった。

日本のメーカーのほかに、比較的安いデノボやデルも並んでいた。

値段が10万程度で、CPUとメモリーがそこそこ良いパソコンがあったので勧めようと思ったが、ちょっと時間を置いたほうが良いのじゃないかという考えに至った。

冷静になったら、Nさんのパソコン熱が冷めるような気がした。

 

「コーヒータイムにしましょうか」と私が言うと、ふたりの老女は揃ってほほ笑んだ。

Fさんのマンションが近いので、そこでコーヒータイムになった。

NさんもFさんも時々海外旅行に出かけたりして、経済的には裕福な身分だ。

お金はあり、ある程度健康(足腰は衰えているようだが)であり、それにあり余る時間もある。

老人としては恵まれた境遇にいるといえる。

 

とにかく、暮らしに充実感を持たせたい。

英会話にも飽きてきたので、パソコンに白羽の矢が立ったようだ。

そこに、ボランティアで教えてくれる私がいたのだ。

 

コーヒーを飲みながら話をしていると、NさんとFさんに加えて、もうひとり学びたい人がいるようで、結局3人に教えることになりそうだ。

 

真剣に、初心者用のパソコン教材を読まないといけない。

author:金ブン, category:人生, 10:04
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不注意

JUGEMテーマ:日記・一般

 

注意力が散漫なところは、なかなか直らないものだ。

歳を取ってから、その傾向がさらにひどくなった。

こんな単純な作業を、重ねてミスするとは思わなかった。

 

シルバー人材センターでパソコン班の仕事をするようになって、もうすぐ1年になる。

パソコン班というのは月一回発行の会報を作る他に、チラシを印刷したりポスターを印刷したり、主にパソコンを使って仕事をする。

メンバーは私を入れて三人。

他の二人は70歳半ばのAさんとBさんだ。

班のリーダー役だった人が80歳になったのを期に引退され、私は加わった。

パソコンが好きな私にとって、好都合の仕事だった。

 

会報の制作で毎月月末の2日間に三人が出勤し、1日目はデータ制作、2日目は印刷する。

その仕事は二人いれば十分できる仕事で、主にAさんとBさんがしている。

前任のリーダー役の人がしていたように、私はAさんとBさんのどちらかが休んだ時の代打要員になっていた。

私の仕事は臨時で頼まれる宣伝用のポスターやチラシ等を作ることやデータ打ちこみ作業等だった。

 

月末出勤の2日間はAさんとBさんがデータ作りや印刷の仕事を黙々とこなしていた。

臨時的に依頼される仕事が無い時、私ひとりが暇だった。

前任者の人は責任者だったので、仕事が無い時はパソコンでネットを見たり雑用をしたり、のんびり過ごされていたようだ。

ところが、新人の私が堂々とのんびりしている訳にはいかない。

仕方が無いので、パソコン内のデータの整理をしたり、ワードやフォトショップ等のソフトの練習をしたりしている。

(Aさんが休んだ時会報のデータ作りをしたが、それは1度だけだった。)

 

ベテランの二人が仕事をしているのに、新人の私が黙って見ている訳にはいかないので、時折「何か手伝うことがあれば、言ってください」と言う。

だが、二人は会報作りの仕事を楽しんでいるようで、その領分を侵されたくない様子だった。

 

会報は毎月3千人の会員に配布する。

各地区の会員数ごとに印刷した会報を分けて梱包し、地区のボックスに入れる。

配布するのは各地区にいる世話人たちだ。

印刷した翌日に世話人たちが取りに来て、会員宅の郵便ボックスに投函する。

 

会報以外に、いろんなイベントや講習会などのチラシも入れる。

それらの印刷物は会員数の約3千枚が梱包されて、納入されてくる。

会報同様、各地区の会員数ごとに手作業で分けなければならない。

○○地区48とか、○○地区89枚とか、約80カ所分を数えて振り分ける。

 

会報は印刷してから折り機に掛けるので、折り機が枚数を数えてくれる。

だから、数え間違いが無い。

だが、その他のチラシ類は手作業で数えないといけない。

この作業が問題になった。

 

私は現役の頃、仕事で電車内の中吊ポスターや印刷物を数えた経験がある。

だから、紙を数えることに多少の自信があった。

だが、そんな自信がもろくも崩れてしまったのだ。

 

「何か手伝うことがあれば」と言う暇な私に、先輩のひとりが「それじゃ、これを地区ごとに数えて分けてください」と、チラシの梱包を指す。

私は早速数えて、地区ごとに分けた。

この作業は私ひとりでしたのではなく、三人で行った。

 

最初にその作業をしたのが今年の2月頃で、その後何度か数える作業をした。

それから数カ月して、「最近、チラシの枚数に間違いが多い」と、担当の事務職員から注意された。

間違えると、足らない枚数を事務職員が担当地区の世話人宅まで持って行かないといけないのだ。

そう言われた時の、他の二人の反応は「これまで数え間違いはなかったんだけどな」だった。

三人で作業しているので、私が間違っていると判明したわけではないが、そういわれると、私が犯人だと言われているようだった。

私自身、間違わずに数えたという自信はなかった。

注意して数えないといけないなぁと思っていたが…。

 

9月に、A4のイベントチラシを数えて梱包する作業があった。

私は間違えないように慎重に数えた。

だが翌月、事務職員が部屋にやってきて、「先月(9月)のチラシに数の間違いがあって、30枚も少ない地区がありました」と告げ、「間違いがあると職員が配達しないといけないので、ゆっくりで良いので、間違いが無いようにしてください」と再び注意された。

三人の作業なので連帯責任なのだが、疑われている空気が漂い、私は居心地が悪かった。

 

そして先週、封入するチラシがあった。

どうも、他の二人は私に数える作業をしてほしくない様子だった。

私も数える作業はやらない方が良いと感じていた。

だがその日、私は他にする作業がなかった。

何もしないでボサッとしているのも気不味いので、チラシを数えていたBさんに「手伝います」と言ってチラシの梱包をほどいて、数えはじめた。

Bさんは少し迷惑そうな表情を浮かべた。

今度は注意して数えようと、私は思っていたが…。

 

数え終えると、Bさんが「7枚余っているのはおかしい」と言い出した。

チラシの数から会員数を引いた数が、余る数より7枚多いというのだ。

つまり、どこかで7枚数え間違いをしている。

もう一度、三人で数え直そうということになった。

注意深く数えたはずだが、不安だった。

 

祈る様にして数えていたが、結局私が数え間違いをしていたのが判明した。

声を出して言わなかったが、二人の顔から「やっぱりな」という表情が見て取れた。

気不味い雰囲気だった。

これまでの数え間違いも、すべて私の犯した間違いになってしまった。

状況からすると、それも仕方が無い。

何とも情けない気分だった。

 

人生は上手く行かないものだ。

author:金ブン, category:人生, 09:30
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老人のもがき

JUGEMテーマ:日記・一般

 

先月、パソコン関係の会社を経営しているI君から連絡があった。

2年ぶりに声を聞いた。

3歳年下で、彼が大学生だった頃からの知り合いだ。

 

「ちょっと、頼みたいことがあるねん」と、いつものタメぐちで言う。

頼み事というのは、退職した私にとってやっかいな内容だった。

 

彼の会社の得意先に、カウンセラーの資格講座を運営している会社がある。

その会社からパソコンを買ってもらったり、インターネット回線を設置したりと、通信関係の仕事を請け負っているという。

最近、ホームページやSNSの制作の仕事をもらった。

打ち合わせの際、そこの事務長さんから、「資格講座の受講生の集まりが悪いので、なんか良い広告の方法がないか」との相談があった。

 

そこでI君は、広告代理店に勤めていた私のことを思い出して、電話してきたのだ。

「もう退職して3年も経つし、それに最後はほとんど総務や経理の仕事をしていたので、募集広告なんて相談されても無理や」と、すぐに断った。

その会社は全国規模の社団法人だ。

私が勤めていた会社は総合広告代理店といっても、主に交通広告を取り扱う小さな町工場のような会社だ。

それに、私は広告営業の現場から10年以上も離れているのだ。

 

「必要なら、前の会社にいる営業を誰か紹介するし、コンサルで良ければ友達を紹介する」と、付け加えた。

するとI君は、「それは次の段階で良いから。とにかく会って、話だけでも訊いてほしいんや」と、執拗に食い下がる。

I君は思いこんだら、強引なところがある。

 

「久しぶりに、食事でもしよう」としつこく誘うので、梅田で会うことになってしまった。

もちろん、私はカウンセラーの会社に行くつもりは毛頭無かった。

 

歳を取ると、心にダメージを受けることを極力避けるようになる。

イヤな思いをしたくないのだ。

文化財のガイドボランティアをしたり、老人相手にパソコンを教えたり、またシルバー人材センターで気ままに仕事を手伝ったり、今の生活は刺激的なことが無いものの、平穏で気楽だ。

私は沢田研二のように縛られる過去の栄光など持っていない。

今さら現役の人と向かい合って、広告戦略を話す能力もモチベーションもない。

とにかく断るつもりで、梅田に出かけたのだが…。

 

身体に入ったアルコールは判断力を鈍らせる。

I君が予約してくれた梅田のホテルのレストランで、コース料理を食べた。

(コース料理といっても、飲み放題付きで3800円だと言った)

最近家でほとんど飲んでなかったので、ビールが身体に回った。

想い出話や本・映画の話で、酒宴は盛り上がった。

 

結局、「同行してくれるだけで良いから」の言葉に、「付いて行くだけなら」と承諾してしまった。

帰宅して酔いから覚めると、後悔することになった。

同行したら、黙って座っている訳にはいかない。

行くからには、I君の商売の後押しが出来るようなことを言わないといけない。

プレッシャーを感じた。

 

資格講座の生徒を集めるのは難題だ。

社団法人の事務長と云われる人なら、いろんな方法を試しているだろう。

それでも集まりが悪いというのに、業界の一線から遠ざかっている私のような老人に適切なアドバイスなど出来る訳がないのだ。

 

翌日早速、I君から1週間後にアポイントが取れたとの連絡があった。

先方へ行くことが現実になると、急に重たい気分になった。

訪問する以上、資格講座のことや業界のことを知らないといけない。

インターネットで、調べてみた。

私がアドバイス出来るとしたら、交通広告を中心にした募集広告しかない。

幸い、ネットには料金などの媒体資料が公開されている。

予備知識を用意して、本町にある事務所へI君に同行して出かけた。

退職以来初めて、ビジネススーツを着てネクタイを締めた。

 

会議室に通されて、事務長さんを待った。

営業していた頃、こんなシーンを何度も経験した。

新規セールスにしても紹介セールスにしても、初めての面談する時はいつもこんな緊張感を味わっていた。

久しぶりに味わう、その雰囲気が懐かしくもあった。

 

現れた事務長さんは私と同年配の人だった。

だが、のほほんと暮らしている私と違って、さすがに貫録があり落ちついていた。

幸いなことに、その人は饒舌だった。

私は<募集人数の現状>や<これまでどんな広告をされていたのか>を尋ね、ひたすら聞き役に回った。

 

想像していたとおり、いろんな広告を経験されていた。

私が話せる広告の知識など、ほとんど知っていたのだ。

私は交通広告の生徒募集例を営業時代の経験談を交えながら話したが、事務長さんが興味を示した様子はなかった。

それでも取りとめもない話で、40分程面談した。

 

結局最後に、「どうも貴重なお時間をいただいたのに、お役に立つような話が出来ませんでしたね」と私が言うと、優しく微笑んでおられた。

退職して現場を離れている老人との話の結末を、事務長さんは会う前から判っておられたようだ。

I君は昔から早とちりしやすい性格の男だった。

「生徒がなかなか集まらないんですよ」という愚痴めいた話を、I君はまともな商談と受けとめたのだろう。

パソコンから通信システムの構築、ホームページやSNSの制作を任されているので、事務長の言葉に過剰に反応したようだ。

事務長さんがI君の会社に求めているのは、ホームページやSNSをいかに効果的に運用するかの適切なアドバイスなのだ。

 

今回、久しぶりに現役社会の張り詰めた営みの中に身を置いたことは、良い体験だったと思う。

高齢化社会で、近い将来企業の継続雇用が70歳に引き上げられようとしている。

65歳の私はまだまだ働かないといけないのだろうが、哀しいかな、平穏な生活になれてしまうと戦う気力は徐々先細っていく。

author:金ブン, category:人生, 18:08
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