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不注意

JUGEMテーマ:日記・一般

 

注意力が散漫なところは、なかなか直らないものだ。

歳を取ってから、その傾向がさらにひどくなった。

こんな単純な作業を、重ねてミスするとは思わなかった。

 

シルバー人材センターでパソコン班の仕事をするようになって、もうすぐ1年になる。

パソコン班というのは月一回発行の会報を作る他に、チラシを印刷したりポスターを印刷したり、主にパソコンを使って仕事をする。

メンバーは私を入れて三人。

他の二人は70歳半ばのAさんとBさんだ。

班のリーダー役だった人が80歳になったのを期に引退され、私は加わった。

パソコンが好きな私にとって、好都合の仕事だった。

 

会報の制作で毎月月末の2日間に三人が出勤し、1日目はデータ制作、2日目は印刷する。

その仕事は二人いれば十分できる仕事で、主にAさんとBさんがしている。

前任のリーダー役の人がしていたように、私はAさんとBさんのどちらかが休んだ時の代打要員になっていた。

私の仕事は臨時で頼まれる宣伝用のポスターやチラシ等を作ることやデータ打ちこみ作業等だった。

 

月末出勤の2日間はAさんとBさんがデータ作りや印刷の仕事を黙々とこなしていた。

臨時的に依頼される仕事が無い時、私ひとりが暇だった。

前任者の人は責任者だったので、仕事が無い時はパソコンでネットを見たり雑用をしたり、のんびり過ごされていたようだ。

ところが、新人の私が堂々とのんびりしている訳にはいかない。

仕方が無いので、パソコン内のデータの整理をしたり、ワードやフォトショップ等のソフトの練習をしたりしている。

(Aさんが休んだ時会報のデータ作りをしたが、それは1度だけだった。)

 

ベテランの二人が仕事をしているのに、新人の私が黙って見ている訳にはいかないので、時折「何か手伝うことがあれば、言ってください」と言う。

だが、二人は会報作りの仕事を楽しんでいるようで、その領分を侵されたくない様子だった。

 

会報は毎月3千人の会員に配布する。

各地区の会員数ごとに印刷した会報を分けて梱包し、地区のボックスに入れる。

配布するのは各地区にいる世話人たちだ。

印刷した翌日に世話人たちが取りに来て、会員宅の郵便ボックスに投函する。

 

会報以外に、いろんなイベントや講習会などのチラシも入れる。

それらの印刷物は会員数の約3千枚が梱包されて、納入されてくる。

会報同様、各地区の会員数ごとに手作業で分けなければならない。

○○地区48とか、○○地区89枚とか、約80カ所分を数えて振り分ける。

 

会報は印刷してから折り機に掛けるので、折り機が枚数を数えてくれる。

だから、数え間違いが無い。

だが、その他のチラシ類は手作業で数えないといけない。

この作業が問題になった。

 

私は現役の頃、仕事で電車内の中吊ポスターや印刷物を数えた経験がある。

だから、紙を数えることに多少の自信があった。

だが、そんな自信がもろくも崩れてしまったのだ。

 

「何か手伝うことがあれば」と言う暇な私に、先輩のひとりが「それじゃ、これを地区ごとに数えて分けてください」と、チラシの梱包を指す。

私は早速数えて、地区ごとに分けた。

この作業は私ひとりでしたのではなく、三人で行った。

 

最初にその作業をしたのが今年の2月頃で、その後何度か数える作業をした。

それから数カ月して、「最近、チラシの枚数に間違いが多い」と、担当の事務職員から注意された。

間違えると、足らない枚数を事務職員が担当地区の世話人宅まで持って行かないといけないのだ。

そう言われた時の、他の二人の反応は「これまで数え間違いはなかったんだけどな」だった。

三人で作業しているので、私が間違っていると判明したわけではないが、そういわれると、私が犯人だと言われているようだった。

私自身、間違わずに数えたという自信はなかった。

注意して数えないといけないなぁと思っていたが…。

 

9月に、A4のイベントチラシを数えて梱包する作業があった。

私は間違えないように慎重に数えた。

だが翌月、事務職員が部屋にやってきて、「先月(9月)のチラシに数の間違いがあって、30枚も少ない地区がありました」と告げ、「間違いがあると職員が配達しないといけないので、ゆっくりで良いので、間違いが無いようにしてください」と再び注意された。

三人の作業なので連帯責任なのだが、疑われている空気が漂い、私は居心地が悪かった。

 

そして先週、封入するチラシがあった。

どうも、他の二人は私に数える作業をしてほしくない様子だった。

私も数える作業はやらない方が良いと感じていた。

だがその日、私は他にする作業がなかった。

何もしないでボサッとしているのも気不味いので、チラシを数えていたBさんに「手伝います」と言ってチラシの梱包をほどいて、数えはじめた。

Bさんは少し迷惑そうな表情を浮かべた。

今度は注意して数えようと、私は思っていたが…。

 

数え終えると、Bさんが「7枚余っているのはおかしい」と言い出した。

チラシの数から会員数を引いた数が、余る数より7枚多いというのだ。

つまり、どこかで7枚数え間違いをしている。

もう一度、三人で数え直そうということになった。

注意深く数えたはずだが、不安だった。

 

祈る様にして数えていたが、結局私が数え間違いをしていたのが判明した。

声を出して言わなかったが、二人の顔から「やっぱりな」という表情が見て取れた。

気不味い雰囲気だった。

これまでの数え間違いも、すべて私の犯した間違いになってしまった。

状況からすると、それも仕方が無い。

何とも情けない気分だった。

 

人生は上手く行かないものだ。

author:金ブン, category:人生, 09:30
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老人のもがき

JUGEMテーマ:日記・一般

 

先月、パソコン関係の会社を経営しているI君から連絡があった。

2年ぶりに声を聞いた。

3歳年下で、彼が大学生だった頃からの知り合いだ。

 

「ちょっと、頼みたいことがあるねん」と、いつものタメぐちで言う。

頼み事というのは、退職した私にとってやっかいな内容だった。

 

彼の会社の得意先に、カウンセラーの資格講座を運営している会社がある。

その会社からパソコンを買ってもらったり、インターネット回線を設置したりと、通信関係の仕事を請け負っているという。

最近、ホームページやSNSの制作の仕事をもらった。

打ち合わせの際、そこの事務長さんから、「資格講座の受講生の集まりが悪いので、なんか良い広告の方法がないか」との相談があった。

 

そこでI君は、広告代理店に勤めていた私のことを思い出して、電話してきたのだ。

「もう退職して3年も経つし、それに最後はほとんど総務や経理の仕事をしていたので、募集広告なんて相談されても無理や」と、すぐに断った。

その会社は全国規模の社団法人だ。

私が勤めていた会社は総合広告代理店といっても、主に交通広告を取り扱う小さな町工場のような会社だ。

それに、私は広告営業の現場から10年以上も離れているのだ。

 

「必要なら、前の会社にいる営業を誰か紹介するし、コンサルで良ければ友達を紹介する」と、付け加えた。

するとI君は、「それは次の段階で良いから。とにかく会って、話だけでも訊いてほしいんや」と、執拗に食い下がる。

I君は思いこんだら、強引なところがある。

 

「久しぶりに、食事でもしよう」としつこく誘うので、梅田で会うことになってしまった。

もちろん、私はカウンセラーの会社に行くつもりは毛頭無かった。

 

歳を取ると、心にダメージを受けることを極力避けるようになる。

イヤな思いをしたくないのだ。

文化財のガイドボランティアをしたり、老人相手にパソコンを教えたり、またシルバー人材センターで気ままに仕事を手伝ったり、今の生活は刺激的なことが無いものの、平穏で気楽だ。

私は沢田研二のように縛られる過去の栄光など持っていない。

今さら現役の人と向かい合って、広告戦略を話す能力もモチベーションもない。

とにかく断るつもりで、梅田に出かけたのだが…。

 

身体に入ったアルコールは判断力を鈍らせる。

I君が予約してくれた梅田のホテルのレストランで、コース料理を食べた。

(コース料理といっても、飲み放題付きで3800円だと言った)

最近家でほとんど飲んでなかったので、ビールが身体に回った。

想い出話や本・映画の話で、酒宴は盛り上がった。

 

結局、「同行してくれるだけで良いから」の言葉に、「付いて行くだけなら」と承諾してしまった。

帰宅して酔いから覚めると、後悔することになった。

同行したら、黙って座っている訳にはいかない。

行くからには、I君の商売の後押しが出来るようなことを言わないといけない。

プレッシャーを感じた。

 

資格講座の生徒を集めるのは難題だ。

社団法人の事務長と云われる人なら、いろんな方法を試しているだろう。

それでも集まりが悪いというのに、業界の一線から遠ざかっている私のような老人に適切なアドバイスなど出来る訳がないのだ。

 

翌日早速、I君から1週間後にアポイントが取れたとの連絡があった。

先方へ行くことが現実になると、急に重たい気分になった。

訪問する以上、資格講座のことや業界のことを知らないといけない。

インターネットで、調べてみた。

私がアドバイス出来るとしたら、交通広告を中心にした募集広告しかない。

幸い、ネットには料金などの媒体資料が公開されている。

予備知識を用意して、本町にある事務所へI君に同行して出かけた。

退職以来初めて、ビジネススーツを着てネクタイを締めた。

 

会議室に通されて、事務長さんを待った。

営業していた頃、こんなシーンを何度も経験した。

新規セールスにしても紹介セールスにしても、初めての面談する時はいつもこんな緊張感を味わっていた。

久しぶりに味わう、その雰囲気が懐かしくもあった。

 

現れた事務長さんは私と同年配の人だった。

だが、のほほんと暮らしている私と違って、さすがに貫録があり落ちついていた。

幸いなことに、その人は饒舌だった。

私は<募集人数の現状>や<これまでどんな広告をされていたのか>を尋ね、ひたすら聞き役に回った。

 

想像していたとおり、いろんな広告を経験されていた。

私が話せる広告の知識など、ほとんど知っていたのだ。

私は交通広告の生徒募集例を営業時代の経験談を交えながら話したが、事務長さんが興味を示した様子はなかった。

それでも取りとめもない話で、40分程面談した。

 

結局最後に、「どうも貴重なお時間をいただいたのに、お役に立つような話が出来ませんでしたね」と私が言うと、優しく微笑んでおられた。

退職して現場を離れている老人との話の結末を、事務長さんは会う前から判っておられたようだ。

I君は昔から早とちりしやすい性格の男だった。

「生徒がなかなか集まらないんですよ」という愚痴めいた話を、I君はまともな商談と受けとめたのだろう。

パソコンから通信システムの構築、ホームページやSNSの制作を任されているので、事務長の言葉に過剰に反応したようだ。

事務長さんがI君の会社に求めているのは、ホームページやSNSをいかに効果的に運用するかの適切なアドバイスなのだ。

 

今回、久しぶりに現役社会の張り詰めた営みの中に身を置いたことは、良い体験だったと思う。

高齢化社会で、近い将来企業の継続雇用が70歳に引き上げられようとしている。

65歳の私はまだまだ働かないといけないのだろうが、哀しいかな、平穏な生活になれてしまうと戦う気力は徐々先細っていく。

author:金ブン, category:人生, 18:08
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小さな人助け

JUGEMテーマ:日記・一般

 

今週整骨院に出かけた帰り、自転車の自損事故に遭遇した。

 

私は自転車で、真っすぐ伸びる歩道を走っていた。

200m程先に、自転車が転ぶのが見えた。

転んだ人は立ちあがること無く、倒れている。

歩道には人通りがあるが、誰も立ち止まる様子がない。

 

私の自転車が倒れている人に近づいて行く。

「痛い、痛い」と言いながら、男性が額を押さえてうずくまっている。

風体から、30代か40代ぐらいに見えた。

近くに自転車が倒れていて、その横に上新電機の買い物袋が落ちていた。

 

「大丈夫ですか」

私は自転車を止めて、男性に近づく。

額を押さえている手の間から血が滴り落ちている。

私はカバンからティッシュペーパーを出して、男性に渡す。

「ヒィーヒィー」と言いながら、男性はティッシュで血の付いた手や額を拭うが、すぐにティッシュは血で染まった。

舗装された歩道は滴り落ちる血で真っ赤に染まっている。

私はもう一つティッシュを取り出して、男性の額を押さえてあげた。

 

「救急車に電話しましょうか?」と私がいうと、か細い声で「自分で掛けますから」と、震える手でカバンからスマホを取り出して、119番していた。

意識ははっきりしている。

男性は電話に出たオペレーターに、自転車で転んだことを言い、居る場所を伝えていた。

 

その間、通行人たちが横目で見ながら通り、車道では多くの車が通り過ぎていく。

通行人たちは私と男性がぶつかったと思っているようだった。

私は男性のそばにしゃがんで、額を押さえてあげた。

ティッシュが真っ赤になっているので、カバンからゴミ袋を取り出し、赤く染まったティッシュを中に入れた。

そうしていると、通り過ぎようとしていたオバサンが自転車を止め、心配そうな表情で「大丈夫ですか」と声を掛ける。

「今、救急車を呼んでいますから」というと、オバサンはカバンからティッシュを取り出して、私に渡した。

「ありがとうございます」と礼を言い、ティッシュを受け取り、すぐにそのティッシュを使って男性の血を拭いた。

「どうも、すみません」と男性はか細い声で私に礼を言う。

男性の顔色は青ざめて、左目の眉毛の上あたりがぽっかりと切れていた。

「血はほとんど止まっていますし、もうすぐ、救急車が来ますからね」と、私は男性を慰めるように言った。

 

私たちの横を、学生、老人、親子連れが通り過ぎていく。

すると、さっきとは別のオバサンが「大丈夫ですか」と言って自転車を止め、心配そうな表情で、座っている男性を見る。

「もうすぐ、救急車が来ますから」と、再び私は男性を代弁して答える。

その人もバックからポケットティッシュを取り出して、私に手渡した。

私がお礼を言うと、オバサンは同情の表情を浮かべて、自転車に乗って立ち去った。

 

老若男女、通行人が通り過ぎていくが、声を掛けていくのはオバサンだけだった。

他の通行人は横目で見るのだが、すっと通り過ぎていく。

自転車が2台止まり、男性のひとりが血を流し、その男性を私が介護している風景はまさに自転車衝突事故の光景そのものだった。

私が加害者に見えていたのだろう。

 

やがて、遠くから救急車の警笛が聞こえてくる。

「救急車が来たようですよ」

私が男性に言うと、「ありがとうございます」と言って、男性は頭を下げた。

そして、スマホを取り出して、「お世話になりました。後でお礼をしたいので、お名前と電話番号を教えてください」と私に言った。

「いや、別に。気にしないでください」と返すと、男性は「是非、お願いします」と執拗に求め、スマホに文字を打とうと待っている。

仕方なく、私は名前と電話番号を言うと、震える指でスマホに打ちこんでいた。

 

救急車が歩道横に停車し、救護員がふたり降りてきた。

男性は名前と住所を告げ、自転車で転んで顔面を打ったことを伝えていた。

救護員が私の方を見るので、「私は通りすがりのものです」というと、「そうですか、それはありがとうございます」と、頭を下げた。

 

救護員は男性に「対応できる病院に連絡して、運びますので」と言うと、男性は「自転車も乗りますでしょうか」と訊く。

「それはダメです。救護するのは被害者だけですので」というと、「困ったな」と男性は戸惑っていた。

目の前には家族葬をする葬儀場があった。

「ここで預かってもらったら」と私が言うと、男性は少し考えていた。

「何なら、頼んでみましょうか」

私は親切心が増長して、余計な口出しをした。

すると、慌てて救護員のひとりが、「いやいや、私たちからお願いしてみます。こんな格好をしているほうが頼みやすいですから」と言った。

「確かにそうですね」と応え、私は自転車に乗って立ち去った。

 

最初、遠くで男性が倒れているのが見えた時、通行人の誰かが助けるのだろうと思っていた。

だが、私が近づくまで、誰も声さえ掛けなかった。

もしも他の通行人が声を掛けて介抱していたら、おそらく私は通り過ぎていただろう。

本来、私は面倒なことから遠ざかる人間なのだ。

 

大したことをしたわけではないが、ちょっぴり人助けをしたことで、気持ちが軽やかになっていた。

 

今週読んだ「定年後」という本に、昨年亡くなられた聖路加国際病院名誉院長だった日野原重明が小学生向けの命の授業で語った言葉が紹介されていた。

<命を誰かのために使いなさい>

この言葉が腑に落ちた。

 

命を使うほどの大袈裟なことではないけれど、ちょっとした行動で人の役に立つことは楽しいことだ。

やはり、適度なお節介は必要なのだ。

自転車を止めて、ポケットティッシュを手渡してくれたオバサンたちを見て、そう思った。

author:金ブン, category:人生, 10:00
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孤独を楽しむ

JUGEMテーマ:日記・一般

 

今週のテレビはどのチャンネルもフィギアやスピードスケートのニュース一色だった。

勝者の美談に涙したが、さすがに腹いっぱいになった。

 

先週英会話教室はちょうど男子フィギアスケートのフリー演技が行われている時間だった。

授業中、ひとりの男性がスマホでメダル獲得のニュースを見て、「日本は金銀のメダルを獲得しましたよ」という。

生徒の「老老男女」たちは拍手で反応する。

先生は授業を中断されたことを怒ることもなく、オリンピックの話題を授業に取り上げていた。

 

授業が終わって、老女たちとスーパーの休憩所を陣取って、いつもの井戸端会議をする。

話題は爽やかなオリンピックの美談ではない。

ひたすら、老いから起こる体験談だ。

 

80歳過ぎの老女が入歯を失くした話をするのだった。

その女性は家で入歯を失くし、以前していた古い入歯を引っ張り出して、付けていた。

明石家さんまのような出っ歯を見て、私は思わず笑いそうになった。

その歯でカラオケの発表会に出て、飛び出しそうになる入歯を押さえながら唄っていたら、観客席から笑い声が聞こえたと楽しそうに話す。

笑われようが、そんなことを気にしない。

 

老女5人の内3人は旦那に先立たれて、一人暮らしだ。

後期高齢者になっても英会話教室に通うくらいだから、みんな前向きで明るい。

むしろ、独居であることを楽しんでいるかのようだ。

旦那の束縛から解放されて、自由を満喫している様子。

近くに子供や孫が暮しているから、安心している向きもあるが…。

 

今年の1月、イギリスでは新たに「孤独担当大臣」を任命したという。

孤独という個人的な課題に、なんで大臣がいるのだろう。

なんでも、多くの人が直面している「現代の暮らしの悲しい現実」に対処するためとのこと。

報道によれば、メイ首相は「わが国の社会、そしてわれわれ全員が抱える孤独という問題に向き合い、高齢者や介護者、愛する人を失った人々──話をする相手や自分の思いや体験を分かち合う相手がいない人々が直面している孤独に対し、行動を起こしていきたい」と述べたという。

英国の人口6560万人のうち900万人以上が常に、もしくはしばしば、孤独を感じている。

人間、孤独になると、いろいろと良からぬことを考える。

若者たちは孤独から疎外感を感じて、テロに走ったりする。

イギリスでは頻繁にテロなどの破壊行為が生じている。

その経済的な損失も大きいのだ。

 

井戸端会議の老女たちにそんな深刻な孤独は見られない。

旅行、英会話、書道、カラオケ、料理教室などなど、毎日忙しく動き回っておられる。

当然、将来の健康(ガン、認知症など)に対する不安は尽きない。

そんな不安を払しょくするかのように、良くしゃべり、良く食べ、良く笑っている。

 

いくつになっても、女は逞しい。

酸いも甘いも噛み分けた人生経験から生み出された強さなんだろう。

 

その場では65歳の私は異質な存在だ。

時折話しの合間に「そだね〜」とか言って、笑いのお手伝いをしている。

author:金ブン, category:人生, 09:29
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奇縁

JUGEMテーマ:日記・一般

 

大学1回生の時、アーチェリークラブの友達が私の下宿に遊びにやってきた。

本棚にあった高校の卒業アルバムを見ていた友達が突然「この子、知ってる」と言って、記念写真に写っているひとりの女の子を指さす。

その子は三重県の高校から私が通う尼崎の高校に、2年生の時転向してきた女の子だった。

友達はその子と同じ三重県の高校を卒業していて、2年生の時同じクラスだったと言った。

私はその偶然に驚いた。

なぜなら、高校の卒業が間近に迫った頃、私は一念発起してその子に告白し、木端微塵に粉砕されてしまった相手だったからだ。

その失恋は大きなトラウマとなっていたので、友達に振られたことは言わなかったが。

 

生きていると、理屈では説明できない奇妙な<縁>に出くわす。

 

今週、ある講演会に出かけた。

二人掛けの机が並んでいて、僕は後ろの方の席に座った。

となりの席には、ボランティアの会のSさんが座っていた。

その方は、最近私と同じ文化財ガイドのチームに入り、話す機会が多くなっていた。

講演が始まる前の時間に、現役時代の仕事の話になり、私がかつてK交通社という旅行社に勤めていたことを話した。

すると、SさんはK交通社を知っていて、こんな思い出話をされた。

 

Sさんは以前東京の銀行に勤めていて、旅行会社に対してトラベラーズチェックの販売促進を担当していた。

トラベラーズチェックとは海外渡航の際に、現金を持ち歩かなくても済むように発行される外国旅行者向けの小切手のことだ。

33年前の夏、SさんはK交通社の銀座営業所で説明会を開いた。

大阪本社の海外旅行部からNさんが出張して出席していた。

説明会が終わったのが夕方、Sさんは「銀座で食事でもどうですか」とNさんを誘った。

しかし、Nさんは「予定があるので」と辞退したので、そこで別れた。

Nさんは最終便に乗るため、飛行場に向かったという。

Sさんは翌日のニュースで、その飛行機が御巣鷹の尾根に墜落したことを知った。

 

(2015年8月、私はこのブログに飛行機事故で亡くなったNさんとの思い出を書いている)

 

「Nさんは麻雀仲間だったんです」と、私が告げると、「奇遇ですね」と言われ、「ニュースで事故を知った時、何とか引き止められなかったかなと思ったりしました」と、Sさんは当時のことを思い出されていた。

 

世間は広いようで、狭い。

author:金ブン, category:人生, 09:34
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井戸端会議

JUGEMテーマ:日記・一般

 

英会話のお茶飲み友達が4人いる。

70歳代や80歳代のお婆さんたちだ。

教室が終わると、近くのスーパーの休憩所で井戸端会議をしている。

 

その中のひとり、C子さんはJR駅近くのマンションで一人暮らしされている。

ご主人は5年前に亡くされた。

川西に住んでいたが、数年前息子さん夫婦に誘われて、同じマンション棟に引っ越しされた。

 

独居老人になって、すこぶる元気な日々を過ごされている。

ひとりになって元気になったのには訳がある。

ご主人が兄弟が多い大家族の長男だ。

それに亭主関白だった。

結婚した当初から、嫁姑や兄弟の世話を強いられ、自由な時間が全く無かった。

子育てを終え、嫁姑を黄泉の国へ送り、そしてご主人が亡くなり、ひとりになった。

典型的な日本の家族制度に縛られた人生だったが、やっと解放されたという。

 

昨年の秋にヨーロッパ旅行を楽しまれ、1ヵ月も経たないうちに、いとこと香港へ旅行された。

英会話後の井戸端会議で旅行の話をされる時はいつも生き生きとした表情をされている。

 

昨年、困ったことを経験したと話されていた。

国内のバス旅行にひとりで参加した時、隣に座った年配の男性と親しくなったという。

C子さんに恋愛とかいう感情はなく、話しやすそうな人との印象だった。

その男性は妻帯者で、地域の民生委員をしていた。

日頃地域の独居老人の家を訪問して、相談に乗ったりしているそうだ。

誠実そうな感じの方で、親切な人だったとC子さんは話す。

 

家が近かったこともあり、うっかりマンションの場所を教えてしまったという。

すると、男性はマンションに訪ねてくるようになった。

老人とはいえ、ひとり暮らしの女性の住まいに、妻のいる男性が入るのはちょっと気持ち悪い。

男性は民生委員の経験から、独居老人の暮し方について、いろんなアドバイスをしてくれる。

初めうちはお茶を出して相手をしていたのだが、C子さんは徐々に親切心が鬱陶しくなってきた。

そんなある日、突然ドアをノックする人がいた。

その男性だった。

マンションの敷地内に入るには訪問先の部屋番号で住民に連絡し、許可を取らないと入れないシステムになっている。

男性は他の人が入る時に開いたドアをすり抜けて、敷地内に入ったようだ。

 

C子さんはそうした男性の行為に気味悪くなり、「私、今から出かけますので、お帰りください」と強い調子で言い、ドアを開けなかった。

それ以後、男性は訪れることはなかったという。

 

「C子さん、そんなね、あんた知らん男を簡単に家に入れたら、アカンで」

「親切そうに見えても、何されるかわからんよ。お金取られてなかったか」

「民生委員といっても男やねんから、信用したらひどい目に遭うよ」

 ・・・

英会話後の井戸端会議はC子さんの話で盛り上がる。

 

70年以上も生きていると、老女たちは女性ならではの人生経験をしている。

男性の私には体験出来ないようなこともたくさんあるのだろう。

井戸端会議に参加している60半ばの私は、女性独特の体験談に耳を傾けている。

これまで女性の本音を聞く機会などほどんどなかったので、これがなかなか面白いのである。

私はひたすら聞き役なのだが、時折笑ってもらえるツッコミを入れたりしている。

 

C子さんはジャム作りが得意だ。

ママレードジャム、イチゴジャムやイチジクジャムを頂いた。

ヨーグルトやパンに付けて、食べている。

イチジクジャムには2,3匹の蟻さんも一緒に入っていたが…。

 

今年、C子さんから年賀状が届いた。

「英会話の後のおしゃべりを楽しみにしています」と、添え書きがあった。

author:金ブン, category:人生, 09:39
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謙虚

JUGEMテーマ:ニュース

 

謙虚と言う言葉は、いつも取り出しやすい<引き出し>に入っている。

生きる方向に迷うと、「そうだ、謙虚でいることが大切だ」と、引き出しから取り出しては心のどこかに貼り付ける。

ところが、この言葉は一番忘れやすい言葉のようだ。

人生が順調に進みだすと、つい忘れてしまう。

気付かないうちに、横柄やら傲慢やらに置き換わってしまう。

 

昨年、自民党が衆議院選挙で大勝してから、頻繁に「謙虚」という言葉を使っていた。

「忖度」という言葉を打ち消すために、「謙虚」という言葉を持ち出してきたような…。

調子に乗ると、またこの言葉を忘れてしまうだろう。

 

年が変わり、最初にマスコミから集中砲火を浴びているのが私の隣町の市長さんだ。

Y新聞記者が取材する際、「殺すぞ」と発言したことが問題になっている。

4年前に初当選してから、施策の公表を記者会見せずにホームページで公表するなどして、報道機関から批判されていた。

これまでにも数々の言動が議会などで問題になっていたという。

政治家は選挙時に謙虚な態度を見せるが、当選するとすぐ横柄や傲慢な態度に豹変する。

 

昨年は各地で地方政治家の不祥事が取りざたされていたが、今年もその流れは続くようだ。

 

私の場合、リタイアしてからというもの、70代80代の人たちと接することが多い。

この年代の人たちは相手の態度に対して敏感に反応する。

特に、ちょっとでも横柄な態度を見せると、すぐに拒否反応を示したりする。

 

退職する前、私は会社の事務所で一番の年寄りだったが、今は64歳で若者と云われている。

年配の人にとって、若さは特権であり脅威なのだ。

だから、若者の態度に微妙な反応を見せる。

加えて、年寄りは誤解の常習犯だ。

 

それだけに、私は年上の人たちに対して、出来る限り「謙虚」で接するようにしている。

だが、この言葉は忘れやすい言葉だけに、注意が必要なのだ。

author:金ブン, category:人生, 11:15
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シルバー人材センターで働く

JUGEMテーマ:日記・一般

 

今週、突然シルバー人材センターから電話が掛かってきた。

まさか、仕事をすることになるとは思わなかった。

 

定年退職後、3ヵ月失業給付を受けた。

給付が終了した後、シルバー人材センターに登録した。

週に3日程度、働くつもりだった。

 

登録してすぐに、センターから何度か仕事の紹介があった。

スーパー店内の買い物カゴ等を整理する仕事、会社内の掃除をする仕事、駐車場係の仕事を紹介された。

だが、3ヵ月もプータローをしていると、勤労意欲が衰えていた。

 

その内、入会した文化財ボランティアの用事が増えて、手帳の予定表が埋まってくる。

おまけにテニスで痛めた足が徐々に悪くなって、さらに働くのが億劫になってくる。

 

だが、週に23日で事務系の仕事があれば働いてみたいという勤労意欲がわずかに残っていた。

市の広報に出ていた公民館での事務職や折り込みチラシに載っていた行政事務補助の仕事などに履歴書を送った。

だが、どれもすぐに不採用の通知が来た。

最近の求人には年齢制限や男女別が掲載されていない。

それらの求人は定年退職した老人を対象にしていないのだ。

大きな期待をしていないにしても、不採用になると、もう社会から必要とされなくなったんだなと感じてくる。

 

駅周辺に行くと、私より年配の人がお揃いのジャンパーを着て、自転車の整理をしている。

スーパーの駐車場や館内でも、清掃や車の整理をしている老人たちを見かける。

腰を曲げながらも一生懸命働いている人に出くわすと、後ろめたい気持ちになる。

 

私の両親は二人とも70歳過ぎまで、パン屋で働いていた。

神戸の震災が無ければ、もっと長く働いていたはずだ。

そんな両親の働く姿を見ていたので、自分も70歳まで働こうと思っていた。

退職する前までは。

 

仕事が無ければ無いで、それなりに1日は過ぎていく。

ボランティアや趣味で時間を費やすと、それほど退屈しないものだ。

好きなことだけしていると、勤めていた時よりも1日が早く感じられる。

 

そんな風にのんびり暮していた私に、シルバー人材センターから電話が掛かってきたのだ。

以前仕事を紹介してもらった人だ。

その時は「足を痛めているので、動き回る仕事は出来ない」と伝えて、お断りした。

「事務作業しか出来ないです。パソコンを使っての仕事なら出来ますが」と付け加えた。

その人はそのことを覚えていてくれたようだ。

 

紹介された仕事は会員宛てのアンケートをエクセルに入力するものだった。

そのアンケートは会員の私にも届いていた。

就業意欲や人材センターの活動についての意見を聞くものだった。

 

私の空いている時間にセンターへ行って、パソコンに打ち込む作業をしてもらったら良いという。

そんな条件なら、断る理由は無い。

 

翌日、シルバー人材センターに出かけた。

ここには何度か来ている。

就業の話ではなく、「丹波の黒豆」を販売していたので買いに行ったり、年会費の納付に来たりしていた。

若い職員に交じって、会員らしい老人たちが机に座って作業している。

 

電話を貰った職員の男性とその上司と面談した。

会員に対する就業や会の内容に関する意識調査は初めてだと言う。

私がパソコンを教えたりホームページを作成したりしているというと、「ごく簡単な作業なので」と、単純作業の依頼に恐縮されていた。

 

確かに仕事の内容はごく簡単なことだった。

作成されているエクセルの表に、数字を打ち込むだけだ。

もうひとつ恐縮されていたのは仕事の量が多いことだ。

現在、会員から送られてきているアンケートは1400枚あるという。

 

早速、事務所の片隅にあるパソコンに向かった。

単純作業だが、結構時間が掛かる。

選択回答だけならマークを打ち込むだけで良いが、感想や意見を書く記述回答となると、文章を打ち込まなければならない。

 

老人たちは真面目にアンケートに答えて、文章を書いている。

感謝の言葉や自慢話など、問いとは関係の無いようなことを書き立てている。

結局、初日は2時間で30枚程度しか出来なかった。

このペースでいけば、1400枚で100時間近く掛かることになる。

文化財ボランティアの用事や足のリハビリ等の日を除くと、1ヵ月程度掛かりそうだ。

 

久しぶりに味わう事務所の雰囲気は新鮮だった。

パソコンに向かっていると、事務所内の声が自然と耳に入ってくる。

シルバー人材センターは主に60歳以上の人を対象に仕事の斡旋をしている。

老人相手だと、いろんな問題が生じるようだ。

 

トラブルめいた電話の声が聞こえてくる。

会員が街路樹剪定の仕事をしていて、民家の塀を傷つけたようだった。

がなり立てる電話の声が事務所の隅にいた私にも聞こえてくる。

 

また、年配の老女が一緒に働いている人の悪口を声高に話している声も聞こえてくる。

酸いも甘いも噛み分けた老人たちであっても、人間関係のトラブルは付きものだ。

むしろ、老人だから多いのかもしれない。

 

そういう苦情を、事務所の職員は日々対応しているようだ。

私もいろんなもめ事を経験したものだなぁと現役の頃を思い出しながら、電話の声に聞き耳を立てる。

 

今週は毎日空いた時間だけセンターに出かけて、500枚程の入力を済ませた。

パソコン画面に向かっての単調な仕事で、かなり目が疲れた。

だが、仕事を終えて帰宅する時の達成感は、また格別なものがある。

author:金ブン, category:人生, 09:44
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移植コーディネーター

JUGEMテーマ:日記・一般

 

今週、「エンタの神様」を観た。

一番笑えたのはやはりアキラ100%だ。

チンコを隠すお盆の代用品もアイデアに富んでいる。

便器のフタ、ティッシュペーパー、最後にピンポン玉だ。

全裸で演じる究極のドキドキ芸だ。

だが、浮き沈みが早い芸能界を思うと、線香花火を見ているようなもの悲しささえ感じてしまう。

 

今年の5月頃だったか、テレビ番組でアキラの奥さんが紹介されていた。

奥さんは特殊な仕事をしている。

臓器移植のコーディネーターなのだ。

 

以前、私は移植コーディネーターと接したことがある。

骨髄バンクに登録していた時期があったからだ。

 

骨髄移植とは白血病や再生不良性貧血などの病気で血液を作る細胞が機能しなくなった患者さんに対して、健康な人の骨髄液を移植することだ。

移植するには、患者さんと提供者(ドナー)のHLAという白血病の型が一致しなければならない。

血液型と違って、HLAの型は血縁者同士でも必ず一致するものではない。

そこで、一般の人からHLAの型を登録してもらう骨髄バンクがある。

バンクの中から患者さんのHLAと一致する人を探すのだ。

 

骨髄移植のドナー登録は、献血センターの寄せ書きを読んだことがきっかけだった。

献血した人たちの感想に交じって、白血病患者の声が書きこまれていた。

「早く骨髄移植が出来て、健康な身体になりますように」というような内容だった。

そばに置いてあった骨髄ドナーのパンフレットで、骨髄移植のことを知った。

 

骨髄移植は健康な人から注射器のようなもので骨髄を取り出して、患者に移植する。

採取する時間は2,3時間くらいで、全身麻酔をしているので痛みはない。

採取前後3泊4日の入院は必要だが、ドナーの負担は少ない。

 

登録して2度、骨髄バンクから連絡があった。

私のHLAに合致した患者が現れたとのことだった。

大阪谷町にある国立大阪病院(現在は国立病院機構大阪医療センター)に行き、骨髄移植の説明を受け、確認検査のため血液を採取した。

だが、数日して連絡があり、(理由は判らないが)移植が中止になったと告げられた。

 

数年後、再びHLAが合致する患者が現れたとの連絡があった。

再度国立大阪病院まで出かけて、説明と血液検査まで行われたが、この時も移植が中止になった。

それ以来、連絡は無く、年齢限度(54歳)が過ぎてしまった。

 

その時、病院で骨髄移植の内容やスケジュールを説明してくれたのが移植コーディネーターの女性だった。

看護師からコーディネーターになられたと話されていた。

落ち着いた口調で話すその女性は命を繋ぐ役割にやりがいを感じられている様子だった。

 

現在臓器移植のコーディネーターは全国のブロックセンター(8カ所)に所属するのが約20人、都道府県に所属するコーディネーターは約50人という。

 

アキラの奥さんは小児病院で「小児移植コーディネーター」をされているという。

小児移植コーディネーターとは臓器移植を必要とする子どもたちが移植手術を経て回復するよう支援する仕事だ。
小児移植コーディネーターの仕事は移植に関する説明を患者(おもに家族)に行ったり、医師と患者の間に立って検査日程や手術のタイミングなどを調整したりする。

手術後も移植された臓器が正常に働くように子どもやその家族への生活指導もするという。

小児移植のコーディネーターに限ると、その数は日本には10人ほどしかいないそうだ。

 

アキラ夫婦を紹介する番組では、自宅で芸を練習する様子とそれを見守る奥さんが映されていた。

奥さんはアキラ100%と結婚した理由を「私が仕事でピリピリしてても、彼に会えばおもしろいことを言うとかじゃなくてもホッとする」と話していた。

移植コーディネーターの仕事は命と向き合う仕事でやりがいがあるが、かなりプレッシャーの強い仕事だという。

 

真っ裸の究極芸で笑いを取る姿と、その姿に励まされながら命と向き合う妻。

ひたむきに暮らしている夫婦を応援したくなる。

 

 

author:金ブン, category:人生, 10:43
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8年目のご挨拶

JUGEMテーマ:日記・一般

 

スマホで動画を作成したため、挨拶が聞き取れないですね。

松居一代の「別宅の真相」風に作って、

思い付きで嘉門達夫「鼻から牛乳」の替え歌を付けたしました。

ふざけたご挨拶になりました。

 

このブログを始めたのが、2009年の8月2日。

今週で、丸8年が過ぎました。

始めた頃は京都営業所で勤務していました。

いろんなモヤモヤとした気持ちが蓄積していたんでしょうね。

それらを言葉で表現出来たらと始めました。

 

その翌年、大阪本社に異動したのです。

すると、さらに鬱積した感情が溜まって、書くことがストレス解消の道具となりました。

いま読み返すと、行間に滲みでている感情が懐かしい風景のように思い出されます。

 

長く続けただけに、今では日々約50人から100人の方に見ていただいています。

「この話題は面白くないなぁ」と、自分自身で思うことも頻繁にありますが、自由気ままに書いています。

取りあえず更新することを義務付けています。

何十回に一回くらいは、心に残るものを書けたらなぁと思いながら続けています。

 

今後、私の人生にどんな出来事が降りかかってくるか、分かりません。

「ガン闘病記」、「老老介護の記録」、はたまた「老いらくの恋」など、深刻なテーマに変わるかもしれない。

 

とにかく、未来は予測不可能なんですからね。

author:金ブン, category:人生, 10:08
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