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旅行の世話役

JUGEMテーマ:旅行

 

私の参加している文化財ボランティアの会では、毎年秋に日帰りバス旅行を実施している。

大型バス1台にチャーターし、45人程度で出かける。

出かける先は文化財のある近郊の観光地だ。

ここ数年は兵庫県の観光地に立ち寄っている。

 

兵庫県の観光地に行くには訳がある。

県が指定した箇所を1か所立ち寄ることで、県から補助金が出るのだ。

昨年はそれを利用して、加西・福崎方面へ出かけた。

 

旅行費用は5千円と安く設定されている。

それは補助金や会費からの支援があるからだ。

 

ところが、会費が安いのだが、毎年参加者が減少している。

会員が減少していることや会員が老齢化して健康上の理由で参加できない等が主な理由だ。

バス代が安くなる12月に実施していることも参加者が減少する要因のひとつだろう。

寒さに弱い老人は9月や10月の気候が良いシーズンに旅行がしたいのだ。

 

そのため会員だけでは半分の20名程度しか集まらないので、会員の家族や知り合いの参加を認めている。

それで、何とか最低催行人員の40名以上が確保でき、実施されている。

 

会の運営を決定する幹事会では会員の参加者が少ないので、日帰り旅行はもう止めるべきだとの意見が出た。

会計を担当する幹事からは会員以外の人が参加する旅行に、会費が使われるのはいかがなものかとの意見も出る。

実行するなら、受益者負担として会費は出さないことにすべきとも。

 

結局、旅行費用には会費を補てんしないことに決まった。

それでは会費がぐっと上がるので、もっと参加者が少なくなることが想像される。

 

私も参加する幹事会で、今年の日帰り旅行をするかどうかが検討された。

会員の参加者が集まらないのなら中止するほうが良いとする意見が大半を占めた。

だが、一部の幹事、特に役職(会長・副会長)や古参の幹事から、せっかく毎年やっている行事だから募集してみるべきだとの意見が出る。

それに、一番大切な旅行の世話役がいない。

旅行をやるべきだという人の中からも、世話役を引き受ける人は出てこない。

もちろん、私は世話役幹事に立候補することもなく、中止する旨の意見に同調した。

 

結局、世話役が出てこないので、幹事会の結論として今年の日帰り旅行はやらないことになった。

 

ところが、日帰り旅行をやるべきだという役職の人から自宅に電話が掛かってくる。

「旅行の世話役をやってもらえないだろうか?」との依頼だ。

「幹事会ではやらないと、決まったのではないのですか」と私が言うと、その人はせっかく続けてきた行事だから続けたいという。

旅行を楽しみにしている人もいるし、会の行事を取りやめていくと会の運営が徐々に廃れていくというのだ。

熱い思いを伝えながら、私に世話役を依頼してくる。

ご自身がやれば良いじゃないですかと返すと、3年連続でやっているので、是非新しい人にやってもらいたいという。

結局、<考えておきます>と曖昧な返事をして、受話器を置いた。

 

会費からの援助が出ないとなると旅費は高くなるし、余計に参加者が集まらないだろう。

到底、旅行が成立するとは思えなかった。

幹事会の大勢は、会員の参加が少ないのだから、旅行する意味がないという意見だった。

 

どうみても、旅行の世話役は大変そうだ。

年寄りたちの意見を集約するのも面倒だ。

 

断るつもりだった。

だったのだが、引き受けてしまった。

 

私は大学を卒業して旅行会社へ入社したが、広告代理業の部署に配属され、旅行の仕事を経験することはなかった。

それに、町内会や会社の旅行に参加したことはあるが、世話役をしたことがなかった。

一度くらい旅行の世話役をやってみてもいいかも、とふと思ってしまったのだ。

それに、最低催行人員を決めて集まらなかったらやめればいいのだからと、安易に考えていた。

 

幹事会の1週間後に、会員の全員が参加する定例会があった。

私に世話役を勧めた役職の人は旅行のことを発表するつもりでいた。

幹事会でやめると決定したことを、私が世話役を引き受けたので催行することをみんなに公表しようとしたのだ。

私は世話役を了承する時、「来月の幹事会で再度幹事に諮ってから、決定しないといけませんよ」と言っていたのだが、その人は定例会の席で発表をしてしまった。

 

驚いたのは幹事たちである。

幹事会で旅行の中止が決まっていたのに、突然実行することになっていたのだから。

幹事の人たちは「なんで、突然こうなったの?」と、ヒソヒソとつぶやいていた。

 

会計を担当する幹事の人が私のところへ来て、「なんで、引き受けはったん?」というので、私は「先輩に頼まれて、あんまり固辞するのも失礼かと思って…」と応えた。

すると、「私は参加しないし、会計する人がいないので、大変ですよ」と、小言のように言い放った。

他の幹事にも、「反対してたのに、なんで、世話役を引き受けたの?」と言われる。

 

今週行われた幹事会では、会の運営方法に異議を噴出する始末。

 

なんか、面倒なことに足を突っ込んでしまったようだ。

author:金ブン, category:旅行, 09:17
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冬の日帰り旅行

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90年代に比べると、宿泊を伴う社内旅行は減っているそうだ。

上司と宴会をして、同じ部屋に泊まるのはやはり抵抗がある。

私が新入社員だった頃の70年代は盛んに行われていた。

1泊で行く旅行は結構楽しかった。

昨今、若者の趣向も変化し、団体旅行自体が人気薄になっているという。

 

日帰りバスツアーは健在だ。

高齢化で、むしろ近郊の日帰り旅に人気が集まっている。

さすがに、私はまだ老人会に入る歳ではない。

今年9月に自治会のバスツアーに誘われたが、お断りした。

 

私が入っている文化財ボランティアの会も毎年バスツアーを行っている。

先週、出石のほうへ日帰りツアーがあった。

運営する委員になっているため、私も参加した。

 

今の豊岡では雪が積もっているようだ。

日帰り旅行は雪を降らせる寒波が訪れる少し前だった。

当日の天候は寒かったが、快晴だった。

 

市役所前の集合場所に、44人のお年寄りが集まった。

65歳以下は私を含めて5人程度。

平均年齢は自治会の老人会と変わらない感じ。

 

バスは中国自動車道から舞鶴道に入り、豊岡市へ向かう。

目的地の出石の町は豊岡市にある。

豊岡といえば、寒暖差の激しい土地としてもその名前を聞く。

夏になれば、最高気温として天気予報で紹介されたりする。

反対に冬は豪雪地帯になる。

 

最初の訪問地、豊岡市立歴史博物館。

豊岡市内にはたくさんの遺跡があり、今から1250年も昔、この地に国府(現在の県庁)があったという。

但馬国府の所在地は謎だったが、最近の発掘調査からその実態が徐々に明らかになってきている。

博物館には出土した土器や木簡等が展示されている。

やはり、文化財ボランティアのメンバーは古代から近代まで歴史には興味が尽きないようで、解説者に熱心に質問していた。

 

 

出石といえば、蕎麦。

昼食は蕎麦が5皿付いた蕎麦定食。

 

 

あたりには40軒の蕎麦屋が軒を並べている。

どこも何枚か皿に小分けして蕎麦を提供している。

量が少ないので、追加の皿を別料金で出しているが、その料金がまちまちだった。

1皿120円のところもあれば、140円で出しているところも。

出石そばのルーツは出石藩主と信州上田藩主がお国替えになった時、長野の蕎麦職人が出石に移り住んだ時に始まる。

信州そばの技法が取り入れられているわけだ。

その後、出石焼の白地の小皿に盛られるようになったという。

 

やはり、寒い時期は温かい蕎麦の方が良かったが…。

 

出石の町は城を中心に栄えた城下町だ。

高台にある出石城跡を見学した後、顔見知りのメンバーたちと町中を散策した。

江戸後期の上級武士の家老屋敷や近畿最古の芝居小屋の永楽館など、歴史の足跡が残っている。

 

<家老屋敷>

<日本最古の時計台 辰鼓楼>
<近畿最古の芝居小屋 永楽館>

 

だが、老人は寒さに弱い。

昼を過ぎると、風が強くなり一層寒さを感じてくる。

どこの見学場所も寒いのだ。

結局、見学もそこそこに喫茶店で温かい珈琲を啜るのだ。

蕎麦を食べたことで、旅は終わった感がある。

 

最後に、近くの「コウノトリ文化館」に立ち寄った。

46年程前、野外の生息していたコウノトリが絶滅した。

最後の生息地がこの豊岡だった。

その後、再びコウノトリを野生復帰させようという事業が始まり、コウノトリの郷公園が出来た。

今ではたくさんのコウノトリが田んぼや湿地を飛来しているのが見られる。

 

<コウノトリの郷公園>

 

寒空の下で、飼育員がエサやりをしているのを観察する。

見学している我々人類も、いずれは絶滅してしまう時がやってくる。

核戦争か、疫病の蔓延か、惑星の衝突なのか。

それが1千年先か、1万年か先か、それとも100万年先か分からないが、必ずその時が来る。

もしかしたら、もっと近い将来かもしれない。

てな、おセンチなことを考えてしまうのだった。

 

帰りのバスではハーモニカの演奏でクリスマスソングを合唱したり、とんちクイズを楽しんだり…。

昭和な雰囲気の余興で盛り上がる中、段々と老人の世界へ入りこんでいく自分を感じるのである。

 

旅行の善し悪しはほとんどが天候に左右される。

その日は寒い一日とはいえ、全く雨に降られることが無かった。

「みなさんの日頃の精進の賜物ですね」というガイドの常套句を聞いて、バスは終着点に無事到着した。

(この日以後、寒波が訪れて、日本海方面は雪に包まれる)

 

author:金ブン, category:旅行, 10:00
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また、宮崎の旅

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「(孫の)同級生のお父さんの曾祖父さんが山頭火と友達やったんやて」

孫の運動会を見学している時、娘が何気なく私に言った。

種田山頭火がその家に泊まったことがあって、庭に山頭火の句碑が建っているという。

当時の家屋はすでに壊され、今は新築の家が建っているのだが、庭には句碑がそのまま残っている。

その家は娘のマンションの近くで、いつでも見せてもらえるという。

宮崎に来て、思わぬ僥倖に巡り合った。

「頼んでくれへんか」と娘に言うと、すぐに同級生のお母さんにLINEで連絡してくれた。

 

運動会の翌日、その民家を訪ねた。

句碑は草ぼうぼうの中に、ひっそりひざまづいている。

 

 

<こほろぎに鳴かれてばかり>と刻まれている。

 

見学する際、孫の同級生のお母さんから日南山頭火の会が発行している小冊子をいただいた。

曾祖父さんは黒木紅足馬といい、昭和初期に日向(宮崎)俳壇で活躍した人だ。

日向俳壇を率いていた人が杉田作郎氏で、黒木さんはその門下だった。

杉田氏は自由律俳句を提唱した俳人萩原井泉水の影響を受けたため、大正の末ごろから昭和初期にかけて、日向俳壇は自由律句旋風に覆われていたという。

種田山頭火は萩原井泉水の門人で、宮崎県内を行乞行脚する際に黒木宅に立ち寄っている。

 

そのあたりのことを小冊子から引用すると、

<山頭火は、9月25日の「行乞記」に【杉田(作郎)さんを訪ねたが旅行中で会えない、さらに黒木さんを訪ねて会う】と書いている。同夜京屋泊の山頭火を紅足馬・闘牛児が訪ね、山頭火は【初対面からこんなに打ち解けることが出来るのも層雲(自由律句の雑誌)のおかげだ】と記し感謝している。9月27日は、作郎居で同人句会。10月21日には、再び行乞行脚から舞い戻った山頭火が、紅足馬居に泊まっている。かくて山頭火は、その翌日の朝、紅足馬・闘牛児に見送られ日向路の旅を急ぐ。>

 

私が黒木宅を訪ねたのが9月25日で、黒木紅足馬さんと山頭火が初めて出会った日と同じ日付であった。

句碑は黒木紅足馬さんがその想い出に建てたものという。

横には「君の道も 私の道も 月に別れて行く」の対句碑が建てられている。

 

 

同級生のお母さん曰く、「山頭火は宮崎の美酒に魅かれて、飲み歩いていたようですよ」

 

 

退職して以後、宮崎への旅は4回目だった。

昨年同様、目的は孫の運動会。

午後4時10分発、関西空港から宮崎行きのピーチに乗った。

今回は6月のキャンペーンで航空券を買ったので、運賃は往復でなんと7350円だ。
LCCはさすがに安い。

 

今回、ピーチ機内で楽しみがあった。

「うなぎ味のナマズ丼」を食べることだ。

昨今のうなぎ不足で、高級魚「クロマグロ」の完全養殖を成功させた近畿大学がうなぎに変わるものとして、新たな魚の開発を進めていた。

そこでナマズに行きついたという。

ピーチはその話を聞きつけ、機内食として「ナマズ丼」を販売したのだ。

ナマズはうなぎに成れるのか。

興味が湧くではないか。

だが残念なことに、私が搭乗した飛行機に、お目当ての「うなぎ味のナマズ丼」は販売していなかった。

それなら帰りの便で食べようと思ったが、復路でも販売してなかった。

まぁ、仕方が無いか。

その腹いせに、今回は宮崎のB級グルメを食べ歩いた。

 

まずは日本の国民食とも云われるラーメン。

宮崎もラーメン店が多い。

宮崎ラーメンは博多ラーメンと同様、とんこつが主流。

 

ランキング上位に登場する<栄養軒>を訪ねた。

土曜日の昼前に行ったが、もう満席だった。

焼き飯や餃子のサイドメニューは無く、ラーメン一本で勝負している。

麺が多い<メンデラ>、チャーシューが多い<肉デラ>、生卵を入れた<卵ラーメン>等のメニュー。

 

 

料金はラーメンが570円とリーズナブル。

スープはあっさり系のせいか、年配の人も多かった

特色があるラーメンだとは思えなかったが、1杯食べただけでは判らないのだろう。

食べログで3.51の評価を受けているが、通ううちに病みつきになるようだ。

 

1軒だけでは宮崎ラーメンの真髄が判らないので、もう1軒食べてみた。

<ラーメン響>の評価は3.21と低めだが、市内に3店を出店している。

こってり味とあっさり味があるので、あっさり味を選択。

やはり、とんこつスープ。

もやしの量がかなり多い。

 

 

サイドメニューに、ラーメン店定番の焼き飯や餃子を出している。

これらも食したが、これといった特色がなかった。

ただ、ラーメンは<栄養軒>よりも美味しく感じられたのだが…。

 

次は肉巻きおにぎり。

夕食時、娘婿が買って来てくれた。

最初に作ったのが宮崎の<元祖にくまき本舗>で、販売当初かなりブレイクしたという。

今では全国各地でご当地名物として売られているが、ここの肉巻きは別格と評判の店だ。

タレが滲みた豚肉が白飯に良く合っている。

宮崎は肉文化が浸透しているだけに、おにぎりを肉で巻くのは当然の発想なのだろう。

しかし、のり弁当より高い1個330円にはちょっと引っかかるが…。

 

 

そして、レタス巻き。

これも全国に広がったメニューだが、発祥は宮崎の<一平寿司>だそうだ。

その生い立ちの話がホームページに載っている。

そこにはなぜか、作曲家の平尾昌晃氏が登場する。

平尾氏は初代店主の友人で、創業当時ふたりで新しいメニューを開発しようと試みた。

様々なアイデアを試した末、<レタスと大海老を有明産の海苔で太巻きに仕立て、オリジナルのマヨネーズソースで味を調えた「レタス巻き」>が完成したそうな。

 

 

今では、寿司ネタにマヨネーズを加えることは当たり前だが、発想当時はマヨネーズと寿司の組み合わせが斬新過ぎて、客が難色を示したそうだ。

今では、「サラダ巻き」は全国のスーパーやコンビニで、当たり前のように売られている。

 

「本当に美味しいと思えるものを、信念を持って提供し続ければ、それがやがて故郷の味となる」

初代店主の口癖として紹介され、そのとおり「サラダ巻き」は宮崎の郷土料理のひとつになっているという。

 

さて、次に紹介する「九州パンケーキ」は一平寿司の二代目店主が作りだしたパン生地の粉だ。

九州産の小麦と雑穀を使用し、九州産のバターミルクパウダーを配合している。

小麦と雑穀の生産者たちは二代目店主が九州中を歩いて探しだしたといい、その物語はテレビ東京のカンブリア宮殿でも紹介された。

<魔法のようなホットケーキの粉>と評判になり、この粉を使った飲食店は全国に広がり人気メニューを作って繁盛しているという。

九州パンケーキの本店が宮崎市内の繁華街にある。

本店にしてはこじんまりした、20席程度の店だ。

ほとんどが女性客だった。

 

正午に予約を入れていたので、ランチとしてエッグベネディックトのドリンクセットを注文した。

 

パンケーキといっても、生地に甘みはない。

3枚重なった生地に、ベーコン・アスパラ・半熟卵が乗っている。

ふんわりとした弾力に富んだパン生地だった。

家で作ろうと、プレーンのパンケーキ粉を買って帰った。

 

毎食娘たち家族と食事を共にしたのだが、やはり若いだけに脂っこい食事が多かった。

宮崎のB級グルメはカロリーが高めだ。

そのせいか、帰ってから体重を計ってみたら2キロほど増えていた。

author:金ブン, category:旅行, 11:47
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湯快です。
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クイズです。
 
子規
坂の上の雲
坊ちゃん
 
連想する地名はどこ?
 
簡単すぎたでしょうか。
 
そう、松山です。
 
行ってきました。
 
わが家(伊丹)から1泊で行ける名の知れた観光地はほとんど行ったような気がしたのですが…。
松山は処女でした。
 
伏線はいろいろありまして。
昨年大学時代の友人が旅行し、現地から写真を送ってもらったこと。
高校時代の友人が四国なら松山へとの助言をもらったこと。
膝の故障で、温泉に行きたかったこと。
などなど。
 
松山といえば道後温泉ですが、白浜温泉や皆生温泉と違って、リゾート感が薄い印象なんですが。
暗いというか。
後期高齢者がこぞって湯船に浸かっているような感じというか。
そう言いながらも、われわれ夫婦も温泉に浸かって、「ふうっ、いいお湯」と感嘆の言葉を漏らす歳でありますが。
 
決定的な引き金は、7500円にあります。
1泊2食で、この値段。
テレビで何度も流れている、あのコマーシャル。
若いオナゴが3人、温泉に浸かって、食事を食べて…。
そう、湯快リゾート。
 
温泉地のちょっと名の知れた旅館なら、2万円は下らないじゃないですか。
それが7500円なんですから。
年金生活者にとってはありがたいことです。
 
でも、<安かろう悪かろう>なのではという、若干の心配はありましたが。
 
自宅を昼ごろ車で出発。
旅行の良し悪しは天気で決まると言いますが、◎。
旅の日の天気が日頃の行いと深い関係があるのは間違いないようです。
 
山陽道を通り、しまなみ海道を渡り、宿泊する「道後彩朝楽」着いたのが18時。
安いので、貧相な旅館を想像しておりましたが、立派な佇まいのホテル。
となりに、素泊まり3200円のユースホステルがありました。
こっちは7500円で朝夕2食が付いているんだと、自分に言い聞かせるのであります。
 

 
食事の時間は前半が18時からと後半が19時半からの2班に分かれていて、われらは後半の部。
時間があるので、道後温泉本館で風呂でも入ろうかと思ったのでありますが、フロントにいる女将風の人が言うには、「今日は混雑していて、今の時間は入れそうにない」とのことだった。
この女将、どこかで見たことがある顔と思いながら考えていて、後で思い付いた。
渡辺美佐子と中島みゆきを足して2で割ったような感じでした。
愚妻も「そういえば、そうやね」と同意していました。
 
とりあえず、食事までの時間は道後温泉本館あたりの散策と相成りまして、ホテル前から30分おきに出ているマイクロバスに乗ろうとしたのですが、バスは出たばかりだったので、徒歩で行くことに。
ホテルは高台にあるので行きは下りで、徒歩10分ほどで本館に到着です。


 
道後温泉本館正面の風景は良く知っています。
何度もテレビやパンフレットなどで拝見しているのですから。
日本を代表する温泉観光地の風景なのでありまして、想像してたとおり。
札幌の時計台のような、「なんや、これか」という失望感はなし。
 
本館前には浴衣に丹前を着た観光客が並ぶように、入浴券を買っています。
こんなに続々と入館していく旅行客を見ていると、とても入る気が起きないものです。
温泉はゆったりと浸かるもの。
芋の子を洗うような湯船に、とても400円も出して入る気にはなりません。
 
結局、旅行中、この本館の風呂に入ることはなかったのですが、残念な気持ちはありませんでしたね。
もともと私の入浴は「カラスの行水」で、温泉に来たからといって風呂に執着する気持ちがないのです。
 
というわけで、私はホテルに戻って、食事前の入浴を楽しみました。
ホテルの風呂は3人程度しか入ってなくて、ゆったり、広々とした湯船に使ったのであります。
露天風呂は眼下に道後温泉の街並みが眺められるのです。
夜空には星が輝いていて、ひとりで岩風呂に浸かって、「ふうっ」と感嘆のため息を漏らすのです。


 
さて、夕食です。
バイキングとか食べ放題に向かうにはかなり意気込みが必要です。
食いつくしてやるという意気込みが。
いや、食いつくすというより、<元を取る>という意気込みですね。
 
いくら食べても同じ値段というアドバンテージ(?)をどう活かすのか。
 
しかし、食べ終わってから、決まって、後悔したりするのであります。
一口ステーキをもう少し食べておいた方が良かったとか、腹にもたれるスパゲティを食べない方が良かったとか、回鍋肉やシュウマイを食べすぎて寿司に行きつけなかったなあとか…。
なんか、後悔が残るのだなぁ。
 
それに、歳を取ると、食べる量が減ってくる。
そんなに食べられない。
少しずつ、多くの種類を食べたい。
バイキングでは選択する力が重要なのだ。
 
大広間の中央に、たくさんの料理が並んでいるぞ。
みんな、手にお盆を持って、物色している。
私もお盆を持って、ひと通り観察する。
そして、あれを食べて、これを食べて、計画を立ててみる。
 
しかし、グルメでない私は揚げ物中心になってしまう。
から揚げ、コロッケ、天ぷら、キャベツのみじん切り、茶碗蒸し、牡蠣の煮物…。
並んだおかずを見ると、ビアガーデンと変わらないなぁ。
 

 
その時、館内放送が。
「アワビが焼けました。食べ放題ですよ」
好物というわけではないのだが、高級食材の名前に惹かれて、早速食べてみました。
取り立てて、美味しいものではなかった。
 
ビールを飲みながらおかずを摘まんでいると、腹が満たされてくる。
ギャル曽根みたいな胃袋だったら、もっと楽しめるのだろうが、還暦過ぎた老人の胃袋はすぐに満たされる。
 
元は取れただろうか。
 
昨今、世間では<食べ放題>が流行っている。
焼き肉食べ放題、串かつ食べ放題、ピザ食べ放題…。
先ほど、この<食べ放題>では意気込みが必要と言いましたよね。
 
そうではなく、必要なのは<諦観の念>のようだ。
あきらめに似た感情であります。
やり残した感と闘い、満足したのだと自分に言い聞かせることですね。
 
なんか、理屈っぽくなりましたが、俗人の戯言として聞き流してください。
 
とにかく、7500円で道後温泉に泊まれて、食べ放題のバイキングが付いているのですから、何も文句はありませんぞ。
 
ただね、ひとつだけ、気になることがあったのです。
 
それは泊まった部屋なんですよ。
室内の真ん中に、直径1メートルの柱が建っているのです。
異様な存在感で、部屋を支配している感じ。
 

 
なぜ、こんなところに柱があるのだろう。
ホテルの人に訊くわけにもいかず、結局想像して結論を出してみたのです。
 
泊まった3階は以前大広間だったのだろう。
宿泊費を安くするため、たくさんの人を宿泊させなければならない。
そこで大広間を客室に改装して、宿泊人数を増やしたのだ。
それでえ、大広間の柱が客室のひとつに残ってしまったのだろう。
てな、結論です。
 
この湯快リゾートの親会社はカラオケのジャンカラというのを知っていますね。
 
私は京都営業所に勤務していた時、部下に付いて、ジャンカラの本社を訪問したことがるんです。
正式な社名は、東愛株式会社というんですが。
全国で店舗展開している成長企業ですね。
 
本社事務所に行って、驚いたことがありました。
 
広い本社事務所の中に入ると、社員全員が立ち上がり、訪問者の私たちのほうを向いて、「いらっしゃいませ」と言うんです。
パソコンに向かって仕事をしている人も、窓際に座っている管理職っぽい人も、全員が立ち上がって礼をするのです。
訪問した私たちは客でもなく、ただ仕事をもらいたいがためにセールスに来た人間なんですけど。
 
なんと、教育の行きとどいた会社だろうと、感心した記憶があります。
 
安価な宿泊代で、客を満足させるのは難しいはずです。
ポイントは合理性でしょうか。
出来るだけ少ない従業員で、旅館やホテルを運営する訳ですから、合理性が無ければ成り立たないでしょう。
夕食のバイキング形式もその一つ。
また、浴衣の提供も、フロントの前で客自らがサイズを選んで受け取ったり、通常部屋で出すお茶菓子も売店で部屋番号を告げて受け取るようになっています。
 
1泊2食7500円だと、学生も利用しやすい料金です。
家族連れ、若者たち、私たちのような年金生活の老夫婦が気軽に泊まれるのです。
館内には、いろんな工夫も見られます。
たくさんの漫画本が並んだ漫画コーナーや卓球コーナーが用意されています。
もちろん、温泉には付きもののマッサージ機も無料で提供しています。
面白いのは、任天堂の古いファミコンソフト(スーパーマリオの初期)で遊べるスペースが作ってあることです。
若い時スーパーマリオに興じた人たちは定年を迎える歳になっているのですから。
 
つまり、老若男女、幅広い年代の人たちが楽しめる工夫を施しているのです。
 
ちょっと、褒め過ぎになりましたが…。
(東愛蠅ら宣伝費を貰っていませんよ)
 
道後温泉に泊まって、朝夕2食7500円は◎でありました。

※「丸かじりシリーズ」の本を持参したので、少し、東海林さだお調になりました。
author:金ブン, category:旅行, 18:19
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のんびり、宮崎
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甲板に立つと、そこには大海原が広がっていた。
陸地も山も見えない。
ただ、大量の海水があるだけだ。
フェリーは白い波跡を残して、ゆっくりと進んでいく。
 
娘に誘われて、ひとり宮崎へ旅をした。
旅というより、孫の子守りに行ったようなものだったが…。
 
孫はふたりいる。
5歳の長男と3歳の長女。
長女の幼稚園でバザーがあった。
娘は今年バザーの役に当たっていたので、準備や運営などで何かと忙しい。
そこで、その間子どもの面倒を看てくれないかというのだ。
 
娘夫婦は結婚して7年になる。
結婚後、姫路・広島・福岡と移り住み、2年前宮崎に転勤となった。
娘婿の仕事は外資系の薬品会社に勤めるMR(医者の薬物治療パートナー)。
転勤が多い会社のようだ。
 
孫は可愛いのだが、酔っ払いの面倒を看ているようで疲れる。
でも、1週間の旅行を十分楽しんだ。
 
宮崎県というのは南国のイメージで、陽光が降り注いでいる印象がある。
確かに、都道府県別「快晴日数ランキング」(2011年公表)では1位なのだ。
それが、今年の6月7月は雨ばかりだという。
梅雨ということもあるが、今年は異常に雨が降っている。
私が宮崎に着いてからも3日間は雨が続いた。
 
宮崎市内を歩くと、至る所にフェニックスやソテツが植えてある。
それらが自然と南国の雰囲気を醸し出す。
娘の住むマンションは宮崎市の中心街の近くにある。
 
繁華街を自転車で散歩をしていると、気になることがあった。
太り気味の人がやたらと目に付くことだ。
都道府県ランキングによると、宮崎県の肥満率が、沖縄県に次いで高いという。
原因は食生活にあるようだ。
とにかく、脂っこいものが多く、甘いものが多い。
南国特有の食生活なのだろう。
私が食したもので紹介してみよう。
 
宮崎に着いて、最初に食べたのが「きっちょううどん」。
宮崎では名の知れたうどん店だ。
名物という「スペシャルうどん」を食べた。
エビ天の下に、ねりものの天ぷらが入っている。
それだけでも脂っぽいのに、その上から天かすがこれでもかと掛けてある。
 

 
高脂血症の私には、さすがにこのだし汁を全部飲み干す勇気は無かった。
 
脂っぽいといえば、県民のソウルフード「チキン南蛮」だ。
揚げた鶏肉に、たっぷりのタルタルソースを掛けて食べる。
人気店「おぐら」のチキン南蛮を食べようと思って出かけたが、店前に列が出来ていたので、弁当を買って食べた。
 

 
鶏肉が胸肉なので、見た目よりあっさりしているのだが。
それでも、タルタルソースをすべて掛けて食べると、かなりのカロリーになる。
 
呑み屋街を歩くと、どこの居酒屋の看板に書いてあるのが、「もも焼き」なるものだ。
ニワトリのももの部分を炭火で黒く焼いたものだが、香辛料が効いていて、ビールによく合う。
 
また、宮崎牛が有名だ。
肉質の優れたものだけ宮崎牛を名乗れるとあって、とろけるほどの柔らかさと甘さが特徴という。
市内の至る所に宮崎牛の看板が立っている。
娘婿と孫ふたりを連れて、「みやちく」という店でランチを食べた。
夜は結構な値段なのだが、焼肉のランチなら二千円程度のメニューがあった。
 
とにかく、宮崎県は海に近いというのに、肉料理が中心だ。
それが肥満率を押し上げているのだろう。
さらに、アルコール消費量が高く、都道府県ランキングでは鹿児島県に次いで2位というところも影響しているようだ。
 
宮崎県のもうひとつの弱点は所得が低いことだ。
平均年収ランキングでは、沖縄に次いで46位となっている。
宿泊・飲食業界の年収に至っては沖縄より低く、最下位だ。
 
しかし、「むちゃくちゃ物価が安いんよ」と、娘は言う。
所得が低い代わりに、物価が極めて安いという。
県の産業全体に第一次産業(農業・漁業等)が占める比率が高く、都道府県ランキングではトップクラスだ。
近くのスーパーに出かけたが、特に野菜類が安かった。
 
宮崎を旅して感じるのは、のどかということだ。
南国特有ののんびりとした雰囲気がある。
会話をすると、特にそれを感じる。
宮崎弁の持つ独特のイントネーションに因るものだろう。
 
今回の旅行で、私は宮崎に住んでいる大学の友人に会った。
卒業以来、40年ぶりの再会だ。
在学中良く麻雀をした友人で、やはり宮崎弁が印象に残っている。
やはり、のんびりとした感じだった。
 
40年の歳月で友人がどんなに変化しているか、楽しみにしながらも不安な気持ちを抱きながら、待ち合わせ場所のJR宮崎駅で待っていた。
現れた友人に、全く昔の面影は無かった。
おそらく、道ですれ違っても、判らなかっただろう。
でも、話している内に、「そういえば、こんな奴だったなぁ」と、徐々に思い出してくる。
 
大学卒業後、宮崎フェニックスホテルへ就職した。
バブル経済の崩壊後、勤めていたホテルグループは倒産し、後を外資の企業が経営することになり、解雇された。
51歳の時だ。
ふたりの娘さんが大学生で、教育費が掛る頃、何とか退職金で食いつないだという。
その後再就職し、10年間勤めて、2年前に退職した。
 
車でフェニックスのホテルやゴルフ場周辺を案内してくれた。
使われなくなった旧ホテル跡やシーガイヤの前を通った。
過去の栄華を思うと、ところどころ錆びている外壁が痛々しい。
バブル景気に踊った日々や倒産した当時のにがい想い出を、淡々とした口調で語ってくれた。
日本経済の繁栄と低迷の時間をなぞっているかのようだった。
 
ラーメンを食べて珈琲を飲んで、3時間が過ぎた。
とにかく、友人は食べるのも飲むのも、ゆったりしている。
私が珈琲を飲み終えても、まだ、氷の溶けた珈琲を半分以上残していた。
いつも、焦らず急がずのようだ。
県民のスタイルを代表しているかのように、のんびりしている。
 
「今は何もしてないよ。のんびり暮らしている」と、タバコを吹かしながら話す。
「まだ、タバコ、止めてないんや」というと、「学生時代からずっとタバコは吸い続けているよ。意思が強いやろう」と笑う。
笑った歯はヤニ色になっていた。
おそらく、これまで同様、ずっと泰然自若として暮らしていくのだろう。
何かを教えられたような気がした。


 
宮崎県南部の日南市に、飫肥という町がある。
宮崎駅から電車で南へ1時間半下ったところだ。
飫肥藩の城跡や日露戦争当時の外務大臣小村寿太郎の生家がある。
城下町で、商人が暮した家や武士の資料などが残されている。
私はJRの1両電車に乗り、飫肥町まで1日ぶらり旅を楽しんだ。
 
ここにも、のんびりと人生を旅した人物の足あとがあった。
山頭火だ。
昭和5年10月4日に、この飫肥町の橋本屋に宿泊している。
句碑があった。
 
水の味も 身にしむ 秋となり
 
ここに白髪を 剃りおとして去る
 
誰もいないで、コスモスそよいでいる
 
句碑の下に日記の抜粋が刻まれていた。
「此宿の老爺は偏屈者だけれど、井戸水は素直だ、夜中二度も腹いっぱい飲んだ」
 

 
酒と旅を好んだ種田山頭火は、多くの知人から無心を繰り返し、他人に迷惑を掛け続けた人生だった。
しかし、自由奔放なその生き方はどことなく愛らしい。
のんびり生きたら良いんやと言っているような…。
思い掛けず、山頭火の句碑に出会えるのも旅の醍醐味のひとつだ。
 
名物の飫肥あげと砂糖を入れ過ぎたような卵焼き(厚焼き)を買い、食べ歩きした。
まだ腹が空いていたので、コンビニに立ち寄った。
コンビニはその名の通り、便利だ。
日本国中どこにでもある。
山頭火の生きた時代にコンビニがあったら、利用していただろう。
そんなことを思いながら、おにぎりとコロッケを買って、川の土手で食べた。
川面を滑る風が心地よかった。
 
慌ただしく、宮崎の1週間が過ぎた。
台風が近づいていて、神戸港へ帰るフェリーの運航が気に掛った。
何とか、太平洋を通る航路から瀬戸内海を通る航路に変更して運航することになった。
波が高く甲板には出られなかったが、船窓から見える夕日は素晴らしかった。
空と海からの贈り物だ。
 
とにかく、のんびり生きようと思った。
 

 
author:金ブン, category:旅行, 07:39
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小豆島を旅する
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長く暮らしていると、夫婦の考え方や行動が良く似てくるといわれる。



妥協の産物なのだろう。



けれど、生まれ育ちからか、性格のなせる業か、交わることのない夫婦の違いを感じることがある。



今回の旅でも、再認識した。





先週、夫婦で小豆島へ旅行した。



「退職したら、どこかへ旅行」を約束していたからだ。



本当は10日間程度の北海道旅行をしたいと思っていたが、二人の年寄り(愚妻の母と私の父)を放っていく訳にはいかない。



それで近場の12日になった。





これまで、3度小豆島を訪れた。



1度目は高校生の時で、初めて自分自身で計画し、友人との出かけた旅行だった。



その頃はまだ、ろくに旅館の予約する方法も知らなかった。



土庄の旅館で、大広間に2泊したのを覚えている。



2度目と3度目は、姉夫婦の商売の手伝いだった。



姉夫婦は、ランニングとトライアスロンのグッズ販売をしていて、大会があるところに出かけて行っては店舗を出させてもらっていた。



関西で大会がある時は、私が姉に付いて手伝った。



そのころ、小豆島オリーブトライアスロン国際大会が毎年開催されていて、2度姉と販売に出かけた。





神戸港から小豆島ジャンボフェリーに乗り、約3時間で坂手港に着いた。



船内は平日なので、旅行客は少ない。



今までのように土日祝の旅行だと、乗船したら慌てて座席を確保しなければならなかったが、その必要がない。



平日の旅行はゆったりのんびり出来る。



これも、退職後の特権だ。



ホテルに着いても同様で、ロビーには宿泊客が見当たらない。



暇そうなスタッフが5人で出迎えてくれた。





午後6時前にチェックインしてから夕食を食べようと、車で土庄方面へ向かった。



土庄港近くのレストランで夕食を済ませ、ホテルに戻る。



海岸線の道路を走ってホテルに着く頃、愚妻は気味の悪いことをいうのだ。



幽霊を見たと。



走っている車の横を白い姿の人間が、ふっと通り過ぎたという。



愚妻は霊感が強い。



今までにも何度か、幽霊を見たと言っていた。



結婚した当初、私は愚妻の言うことを信じていなかった。



いつも、「ウソやろ」と返していた。



私には霊感というものが全くないのだから、疑う気持ちしか起こらなかった。



さらに愚妻は、幽霊を見た時いつも不吉なことが起きるという。



気味の悪い話ではないか。



12年前天橋立に旅行した時も幽霊を見たと言い、その後息子がガンに罹っているのが判った。



霊の存在なんて信じない私には、偶然の一致としか考えられないのだが…。









ホテルは海に面している。



部屋はオーシャンビューで、9階の客室からの眺めが良かった。



特に、大浴場は最上階の12階にあり、露天風呂からの見晴らしは最高だった。





朝起きて、ホテルの周辺を散歩した。



辺りは醤油工場が多く、香ばしい醤油の香りが漂っている。









小豆島の名産品は、醤油、佃煮、オリーブ、素麺に代表される。



朝食のバイキングには、それらの加工商品が並んでいた。



バイキングとなると、出来るだけたくさんの種類を味わわないと、何だか損した気分になる。



貧乏性の業なのだろうか。



オカズを少しずつ皿に並べた。









こんな時、愚妻は良く他人の分までオカズを取ってくることがある。



「これ、美味しそうだから取ってきたよ。食べるでしょ」と言って、私の前にオカズが並んだ皿を置く。



自分のお腹と相談しながら、計画的にオカズを取っているのに…。



そういえば、勤めている時にもそんな人がいた。



天満橋のホテルに中華料理店があり、同僚たち何人かで昼ごはんを食べた。



その店はスープ、大学芋、杏仁豆腐、珈琲がバイキング形式になっていた。



同僚のひとりがいつも大学芋を他人の分までたくさん取ってきて、テーブルに置いた。



気を利かせたつもりなんだろうが…。



食べ残す訳にもいかず、みんなが無理して食べていたのを思い出す。





私の実家は商売をしているため、食べる時間がまちまちだった。



個人主義が徹底していて、他人の食べ物まで余り干渉しない習わしだった。



対して、愚妻の実家はみんなが一緒に食卓に揃い、食事をする。



「これ、美味しいよ」とか言って、時折食事を分けあったりして楽しんでいたのだろう。



また、愚妻は一人っ子で何かと干渉されて育った影響から、人に対しても干渉する習慣が付いているようだ。





小豆島といえば、壷井栄の「二十四の瞳」。



ホテルをチェックアウトし、二十四の瞳映画村へ行く。



友人の薦めもあって、2年前のちょうど今頃、私は木下恵介監督の映画を観ている。



戦争に突き進んでいく時代を背景に、運命に飲み込まれていく女性教師と教え子たちの悲哀を描いている。



高峰秀子が人間味あふれる表情で、教師役を演じている。



昭和62年にも、田中裕子主演でリメイクされている。



映画村はリメイクのロケ用セットを改築したものだ。









他に、原作者壷井栄の文学館や映画館「松竹座」などが併設されている。



観光地だけあって、土産物屋も多い。



当然、醤油、佃煮、オリーブ油などを販売している。



愚妻はここで佃煮を買っていた。





私の実家はパン屋をしていて、洋菓子や和菓子も売っていた。



甘い物が揃っていたので、旅行のお土産を買って帰る習慣が無かった。



それに反して、愚妻の場合、旅行の主目的であるかのように、お土産を買って帰る。



この後訪問した醤油工場、オリーブ園でも、熱心にお土産を選んでいた。



近所の人たち、娘の嫁ぎ先の実家、義母へのお土産は必ず買っている。





ロープウェイが運休していたので、車で寒霞渓の展望台まで上った。



日本三大渓谷美のひとつだと書いてあったが、さすがに絶景だった。



で、あと二つはどこかというと、群馬県の妙義山と大分県の耶馬溪だそうだ。









展望台のレストハウスでコーヒーを飲んでいると、「ひしお丼」というメニューが目に付いた。



昨晩夕食を食べたレストランのメニューにもあったし、フェリーの船内でも見かけた。



これは小豆島商工会が地元振興のために作り出されたメニューで、「ひしお丼」であるためのお約束事が三つあるという。



1.「醤の郷」で作った醤油やもろみを使っていること



2.小豆島の魚介、野菜やオリーブなど地元の食材を使っていること



3.箸休めはオリーブ煮を使っていること。





この条件に合うならどの食材を使っても良いので、提供する店によって全く違う味になる。



その違いを味わうのが「ひしお丼」の楽しみなのだろう。





次の観光地小豆島オリーブ公園で、その「ひしお丼」を食べてみた。



パプリカ、ピーマン、魚の揚げ物などがご飯の上に乗り、全体にもろみが掛けられ、細切りダイコンで飾り付けが施してある。



箸休めはオリーブで煮たソラマメ。



ちゃんと、三つのお約束事を守っている。



メニューには2種類のひしお丼があり、愚妻は魚の揚げ物の代わりにカシワの胸肉を使ったひしお丼を食べていた。









こうして別々のメニューを食べている時、愚妻が必ずすることがある。



「ちょっと、食べてみて」と、自分が食べているものを薦めながら、器を交換して食べることを求めるのだ。



今回もひしお丼を交換して食べた。



一口二口食べると納得して、器を戻す。



自分の食べたいものを注文したのだから、それだけを食べていたら良いのではと、いつも思うのだが…。



これも、育った環境の違いなのか。





帰りは大部港から日生港までフェリーに乗った。



甲板に立って、離れて行く島を眺めた。



小豆島を十分満喫した旅だった。



5度目に訪れることはないだろうと思った。









追記:



壷井栄の夫の壷井繁治は詩人で、映画村の近くに詩碑がある。



石は 億万年を 黙って 暮しつづけた



その間に空は晴れたり 曇ったりした





他に、島内には種田山頭火や荻原井泉水の句碑がある。


author:金ブン, category:旅行, 07:24
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ひっそりと、金福寺
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「由緒あるお寺だからね」とか、「我が寺には国宝があるからね」とか、威厳を見せつけるお寺がある。
威張っているお寺は私の好みではない。
拝観料は高いし、売店にはファンシーグッズのようなお守りが並んでいる。
時には、パワースポットなどと紹介され、怪しい雰囲気で参拝者を呼び寄せている。
 
情報誌編集の仕事をしていた頃、京都市内の有名な社寺仏閣はほとんど訪ねて歩いた。
紅葉を紹介する号の取材で、叡山電鉄の一乗寺を歩いた。
詩仙堂や曼殊院など、この界隈には紅葉の名所がある。
紅葉の季節になると、たくさんの観光客でにぎわう。
 
一乗寺駅から東へ10分程歩くと、一乗寺下り松がある。
大きな松の木と碑石が立っている。
ここは宮本武蔵が吉岡一門と決闘した場所として有名だ。
この分岐点をまっすぐ進むと、宮本武蔵が決闘の前に立ち寄った八大神社と詩仙堂がある。
左に進むと、曼殊院や修学院に通じる。


 
分岐点には右へ導く小さな標識があり、金福寺と書いてある。
大学生の時にもこの辺りを訪れたことがあったが、こんな寺があることに気付かなかった。
ほとんどの観光客と同様に、その時の私は詩仙堂と曼殊院だけを観光して帰った。
 
情報誌に掲載する名所散策の取材で、初めて金福寺を訪れた。
紅葉の美しい寺なのだが、訪れたのは夏の終わりで、まだ蝉が鳴いていた。
住宅街の中にひっそりと佇むお寺には、こじんまりした枯山水と高台に茶室があった。
茶室は松尾芭蕉ゆかりの庵で、近くに与謝蕪村の墓石があり、俳句の聖地ともいわれている。
この寺を有名にしたのは、舟橋聖一の「花の生涯」。
小説に登場する村山たかは井伊大老が彦根城で生活していた頃の愛人で、京都にいた頃幕府のスパイとなって、薩摩や長州の動向を探っていた。
その情報を井伊大老の家臣長野主膳に密報し、「安政の大獄」に加担した。
井伊大老が江戸城の桜田門外の変で暗殺されると、たかは勤皇の志士たちに捕えられ、京都三条河原で3日間生き晒しにされる。
女性であることから死罪は免れ、その後尼僧になって金福寺に入る。
この寺で14年間の余生を送り、六十七歳で生涯を閉じた。
この「花の生涯」はNHKの第1回大河ドラマとして放送されている。


 
名前の<金福寺>からしていかにも金儲けにご利益がありそうなニオイがするのだが、名前とは異なりこぢんまりとして質素な佇まいをしている。
自己顕示欲が無いというか、自分の存在をあまりアピールしたくないなぁという姿勢が見受けられる。
村山たかの思いが滲みついているような…。
昔はもっと蟄居するのに恵まれた環境だったのだろう。
取材で訪れた時、この寺の雰囲気に魅せられた。

 
いつかまた、機会があれば再訪したいとずっと思っていた。
 
連休の1日、いとこから絵画のグループ展に出展しているとのハガキが届いたので、京都に出かけた。
画廊で絵画を観終わった後、金福寺へ出かけた。
期待した通り、境内はひっそりとしていて静かだった。



光客は私たち夫婦以外に、枯山水の前の濡れ縁で猫をあやしているふたりの女性だけだった。
猫は女性に撫ぜられながら、気持ち良さそうに寝ていた。
4月は雨が多かったが、5月の連休は晴れが続いた。
境内の木々は緑が映えて、鮮やかに色づいていた。
高台にある芭蕉庵と与謝蕪村の墓を見た後、村山たかが晩年を暮らした境内に入った。



奸婦と呼ばれ、幕末という激動の時代に生き抜いた女性がどんな思いでこの寺での時間を過ごしたのかと思うと、感慨深い気持ちになる。
諸田玲子の「奸婦にあらず」を読んでみようと思う。
そして、何年か後に、また来たい。


 
帰りに詩仙堂に立ち寄った。
金福寺と違って、やはり観光客は多かった。
漢詩と庭園設計で有名な石川丈山が造営し、ここで30年余りを過ごした。



詩仙堂の正しい名称は「凹凸窠(か)」といって、でこぼこした土地に建てられた住居という意味庭園は起伏がある。
時折、ししおどしの音が響く。
昔この辺りはいのししや鹿が夜中に出没したので、庭を荒らされないように設置していたという。
詩仙の間には石川丈山が狩野探幽に描かせた中国詩家36人の肖像が掛けられている。
「これは探幽が書いたという絵なのですね。えらい、きれいですね」
その絵が余りにも鮮明なので、案内の人に尋ねた。
「いいえ、これは模写なんです。絵は確かに残っていますが、かなり色落ちしています」
と案内の人は応える。
本物は蔵で保管していると言い、「5月25日からの<遺宝展>で公開しますので、是非お越しください」と付け加えた。
 
一乗寺からバスに乗り、三条まで戻った。
晩御飯を食べて帰ることになっているのだが、ここで愚妻と意見が合わない。
愚妻は京都を観光地と捉えている。
私は京都を5年間働いた場所として、懐かしい場所と捉えている。
愚妻はせっかく京都に来たのだから、京料理を食べたい様子だ。
私は京都営業所で勤務していた時に通っていた懐かしい店で食べたい。
(京料理は高い、懐かしい店は安いという作用も働いているが…)
 
そこで、愚妻を三条の「大戸屋」へ導いた。
定食屋だが、「やよい軒」や「宮本むなし」等のチェーン店より品質が良い。
食器選びも凝っているし、盛り付けも丁寧だ。
値段もリーズナブルだ。
また、メニューにカロリー表示してあって、女性客が多い。
何より店員の接客が良かった。
来店する間隔が空くと、「久しぶりですね」と声を掛けてくる。
店員は常連客でもない私の顔を覚えていた。
私はひとつの店に固執してなじみ客になるタイプではないが、大戸屋は良く足を運んだ。
 
ここのメニューで一番気に入っていたのが、「鶏と野菜の黒酢あん定食」。
素揚げした野菜と鶏の竜田揚げに、黒酢あんでからめてある。
愚妻はこれを食べて、満足していたようだ。


 
注文を取ってくれたのは見覚えのある店員だった。
あれから5年過ぎたが、まだここで働いていた。
しかし、さすがに私の顔は覚えていないようだった。
author:金ブン, category:旅行, 17:08
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竹田城へ行く
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1泊2日の旅を計画していた。
出石に泊って、竹田城へ登る。
きっかけは出石にあるホテルの折り込みチラシ。
豪華な食事の写真入りで、1泊2日9800円。
ここに泊って、竹田城へ行こう。
積極的に旅行の目的地を決めることがない愚妻が乗り気になっていた。
 
愚妻の友達からの情報によると、竹田城は土日、観光客でいっぱいになるという。
そこで天気の良い平日に行くことになり、24・25日の金土に決めた。
ところが…。
 
1週間前ホテルに予約を入れようとすると、愚妻が顔をしかめている。
歯痛である。
前から歯痛を訴えていて歯医者に行くと言っていたのだが、横着をかましていたのだ。
歯科医院というところは深刻な痛さならないと、行かないものだ。
すぐに、歯科に予約を入れ、治療が始まった。
折角の旅行なのだが、歯の治療中では豪華な料理も楽しめたものではない。
旅行は繰り延べとなった。
 
でも、私の気持ちは24日の金曜日を休んで、3連休することを決めていた。
そこで、日帰りでの竹田城探訪となった。
 
昨今、竹田城跡の入城者が急増しているという。
2010年の入城者年間5万人程度だったのだ、昨年2013年には45万人を超え、今年は50万人を超える勢いなのだ。
高倉健主演の「あなたへ」のロケ地になったことが人気に火を付け、NHK大河ドラマの「軍師官兵衛」でも取り上げられた。
それと、テレビ番組でも頻繁に「日本のマチュピチュ」として紹介されたことも影響している。
周辺では秋から冬にかけての晴れた日には朝霧がよく発生し、雲海に包まれた城跡はまさに天空に浮かぶ城なのだ。
紹介している写真が幻想的で、一度行ってみたい気分にさせる。
 
自宅から車で2時間半程度。
9時半ごろ出発しのんびりと高速道路を走って、竹田に到着したのは12時半ごろだった。
山頂までは車ではいけない。
「山城の郷」の駐車場まで行き、そこから「天空バス」で中腹駐車場へ向かい、そこから徒歩20分で城跡に着く予定だった。
 
ところが、JR竹田辺りの登り口で車を止められる。
駐車場が満車なので、臨時駐車場へ回ってくれと言われる。
平日なのに、もう満車になっているのだ。
仕方が無いので、指定された臨時駐車場へ向かう。
一番遠い臨時駐車場だ。
 
向かう途中、道沿いのうどん屋で昼食。
カレーうどんが名物らしく、カレー味を使ったメニューが多い
私は名物カレーカレーうどんを、愚妻はカレー丼を所望する。
店内には有線の演歌が流れていて、田舎食堂の雰囲気を醸している。
思いっきり汗をかいて、うどんをすすった。
玉ねぎがたくさん入っていたのが気に入らなかったが、味のほうは結構美味かった。
 
竹田カレー 
 
ここで、私は被っていた野球帽を置き忘れて後で取りに来るはめになったが、親切にレジ―の横に置いてくれていた。
 
昼食後、臨時駐車場へ行くと、だだっ広い駐車場には車が1台しか停まっていない。
ここから竹田駅近くのバス停まで5分程度歩くのだが、バス停まで行ってみるとそこの無料駐車場もかなり空いていた。
「山城の郷」の駐車場も空いていたのではないかと疑問がわく。
不満を思えながら、やってきた満員の循環バスに乗り込んだ。
 
バスは「山城の郷」を経由して、終点の「中腹駐車場」へ。
車窓から「山城の郷」を見たが、たくさんの観光バスが停まっている。
平日にも関わらず観光客が土産物屋の店頭を闊歩している。
やはり、年配者が中心だ。
 
「中腹駐車場」から20分程度、舗装された坂道を登ると、城跡に着く。
途中、300円の入城料を払った。
城跡に立って、眼下を見下ろす。
まず思うことは、「よくもまぁ、こんな高いところに城が建てられたものだ」という感想。
きちんと並んだ石垣が残っている。
 
竹田城

京阪電車大津線に「穴太」という駅がある。
40年前、今の会社(当時は旅行会社)に入社した時、研修で京阪沿線の駅名を覚えさせられた。
教官に読み方を訊ねられ、「あなぶと」と答えて、笑われた。
「あのう」なんか、読めるかいな。
そこには「穴太衆」という石積みの技法をもった職人がいて、石工集団として安土桃山時代に活躍したという。
この城も「穴太積み」の技法なのだ。
 
それにしても、こんな恐ろしく高い場所に城を建てることを考えた人物は、相当傲慢な人に違いない。
こんなところまで石垣を運ぶ人の身になって考えたら、とてもそんな構想は思い付かないだろうに。
それに殿様がこの天守まで登るのは徒歩ではないはず。
駕籠かきの苦労は相当なものだったに違いない。
バカと煙は高いところが好きというが…。
 
そんないらん心配をしながら、竹田城を後にしたのだ。
再び、「天空バス」で竹田駅近くのバス停まで降りると、無性にソフトクリームが食べたくなった。
この点では、珍しく愚妻と意見が合った。
しかし、駅近くにはソフトクリームを販売してそうな売店は無かった。
仕方なく臨時駐車場まで歩き、近くの喫茶店に入ったが、パフェ系統のメニューは無かった。
アイスコーヒーを所望するが、これがひどい味だった。
愚妻曰く、「これ、濃い麦茶みたいやね」
そのとおり。
結局口直しに、帰りの道の駅でソフトクリームを食べる。
 
家を出る前、留守番の父親が「美味しいものを食べてこい」と、私に言った。
帰途、美味しいものを食べようと考えていたが、思い付かず。
私の場合、「美味しいもの」といえば、大概B級グルメ。
粉もんかどんぶりもの。
それに、ビール1杯飲めたら、十分幸せになれる。
 
帰る時間も考えていると、結局家の近くお好み焼き屋になってしまった。
author:金ブン, category:旅行, 13:27
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宮崎・鹿児島を旅する(2)

翌日は残念ながら雨。

旅の楽しみである朝の散歩は出来ず、朝風呂に入ってから朝食を食べる。

そして、鹿児島市内へ。

 

「県の代表する人物は誰ですか?」

そう尋ねると、ほとんどの人が一人の人物を挙げる。

西郷どんだ。

こんなに明快な県は、他に無いのではないか。

強いて言えば、高知県の坂本龍馬ぐらい。

鹿児島県は桜島と西郷隆盛の大きさが精神的な支柱になっているようだ。

どこを切っても西郷どんが出てくるし、桜島が見える。


桜島

 

西南戦争を偲んで城山を散策したかったが、あいにくの雨なので、鹿児島水族館へ。

鹿児島まで来て、ジンベエザメを見てもしかたが無いのだが、孫の子守りも兼ねていると思えば諦めもつく。

「西郷さんの終焉の地だけでも、見せて」と、娘夫婦に言い、帰りに西郷さんが自決した場所へ寄ってもらう。

西南戦争は日本の最後の内戦だ。

この戦争以後、清国やロシアとの、国家間の戦いになっていく。

 

薩摩軍は西郷隆盛を立てて反乱を起こし、政府軍を闘う。

九州各地で闘ったが、圧倒的な勢力の政府軍に押され、最後は城山へ追い込まれる。

「晋どん、もうここらでよか」

追い詰められた西郷は別府晋介の介錯で切腹する。

うろ覚えだが、司馬遼太郎の「翔ぶがごとく」には、西郷さんが肥満のため、ちゃんと座ることが出来ず、自分で腹を切ることができなかったと書いてあった。

終焉の地は鹿児島市電に面した、住宅地の一画にある。


西郷終焉


「今度転勤するなら、熊本がええな」と、娘婿に言う。

「お義父さん、あんまり転勤が多いから、会社変わろうと思ってます」と、返す。

 

娘婿は外資系医薬品会社のMR(医薬品情報担当者)をしている。

医院や病院に薬を売り込む仕事だ。

とにかく、転勤が多いのだ。

5年の間に、姫路、広島、福岡、そして宮崎と移り住んでいる。

転勤ごとに、私たち夫婦は旅行が味わえる。

 

次は熊本の黒川温泉に行ってみたいのだが…。

author:金ブン, category:旅行, 15:24
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宮崎・鹿児島を旅する(1)

飛行機の座席に着き、シートベルトを締める。

読みかけの本を開いた。

 

ネットで知り合った二人の男がATMの強盗を企む。

行き当りばったりの行動で失敗し、次にコンビニを襲う。

最後に歯科医師一家4人を惨殺する。

高村薫の「冷血」

逮捕された犯人の行動や犯行に至る動機を追い求めていく合田刑事。

不条理な犯行に、戸惑いながら立ちすくむ。

余りに詳細な内容にうんざりしながら、それでいて止められない。

しかし、読み進んでいくと、ふと、白けた気持ちになる。

そうや、これって、小説なんや。

いくら詳細に表現していても、やっぱり、ノンフィクションには勝てないなぁ。

 

飛行機が宮崎空港に着くころ、小説は終盤に差し掛かっていた。

それにしても、こんな暗い物語、楽しい旅行に持ってくる本ではないな。

 

その日の宮崎は春のような陽気だった。

ヤシの木が立ち並ぶ通りは南国の雰囲気だ。

娘夫婦と2人の孫が迎える。

「家に行く前に、どこか行く?」と娘。

 

まずは青島へ。

宮崎南バイパスを走ると、左手に球場が見えてくる。

駐車場は満車状態。

巨人軍がキャンプをしているからだ。

娘婿曰く、「この時期、宮崎で賑わっているのはこの球場だけ」

確かに、道路は空いていた。

飛び石三連休の土曜日というのに、青島も観光客が少ない。

常に大阪の繁華街を見ているせいか、この空きようにホッとする。

落ち着きの無いふたりの孫を連れているので、なおさらホッとした。


青島

 

「鬼の洗濯板」が島を囲み、中央に神社がある。

案内版には、「海幸彦と山幸彦の遊び場だった」と。

宮崎は神話のくにと言われ、至る所に神社がある。

ここ青島神社は縁結びの社だとか。

商売根性に徹しているというか、やたらとお守りが多い。

たくさんの絵馬がぶら下げてある。

巨人軍の選手の絵馬も、丁寧に陳列してある。

 

娘夫婦の家はJR宮崎駅の近く。

駅から歩いて3分のマンションだ。

翌日、朝早く起きて、JR宮崎駅の周辺を散歩する。


宮崎駅前


等間隔に植えられているフェニックスの木が、のんびりとした雰囲気を醸し出す。

やはり、人が少ない。

道路が広いこともあるが、車の量も少なく感じられる。

赤信号で止まっているのが、馬鹿らしくなってくる。

大阪の人ごみに飽き飽きしているので、この人口密度の少なさにあこがれる。

娘曰く、「大阪に比べて、物価が安い」そうだ。

何だか、この地で暮らしてみたい気分になってくる。

 

しかし、それは観光客の気まぐれだ。

表面的な心地よさの奥底には、違った苦悩が潜んでいるようだ。

少ない人口密度や物価の安さは、反面、経済活動の弱さを表している。

最低賃金は664円、大阪の800円に比べると2割も低い。

「どげんかせんといかん」と、知事が自ら宮崎のセールスマンとして走り回っていたが、現在、宮崎の産業はどうなっているのだろうか。


宮崎県庁

 

当時、何度も知事の会見場となっていた県庁前は、閑散としていた。

 

ぼんやりと歩いていると、突然幸運はやってくる。

県庁から南へ歩き、中央公園の芝生を歩いていた時、白く光る物が目に付いた。

良く見ると、500円玉と100円玉だった。

600円の思わぬ収穫に、大きな得をしたような気分になった。

欲の深い私は、その後視線が下向きになり、娘のマンションまで歩いた。

 

翌日、娘家族と鹿児島の指宿に向かった。

途中、知覧に立ち寄る。

知覧といえば、太平洋戦争末期、沖縄へ出撃する特攻隊の飛行場があったところ。

今は観光地のひとつとなり、多く人が訪れている。

百田尚樹の小説を映画化した「永遠の0」が大ヒットしているため、普段より賑わっていると売店のオネエサンが言っていた。


特攻に参加した二十歳前後の若者たちの遺影と遺書が涙を誘う。

 

大西瀧治郎海軍中将が発案した神風特別攻撃隊(特攻隊)はフィリピン沖海戦で、圧倒的な戦力を誇る連合軍に対して、相当の戦果を上げた。
特攻隊は敵艦に体当たりを敢行し、自爆死する戦法だ。
自身の命を犠牲にして戦う、究極の作戦だった。
狩りだされたのはまだ二十歳そこそこの若者たちだ。

初戦の成功で、軍は特攻隊の作戦をさらに推し進めることを決める。

戦局が悪化した昭和20年、多くの若者が志願し、この知覧飛行場から沖縄へ飛び立っていく。

 

三角兵舎


飛び立つ前の夜を過ごした、「三角兵舎」を見学する。

勇ましい遺書とは裏腹に、ふとんを被って泣いていた若者も多くいたという。

国家が若者に自己犠牲を強いた、残酷な歴史の1ページだ。

 

指宿といえば、砂風呂。

テレビの旅番組でよく見るが、もちろん初めての経験だ。

泊るところは「白水館」

娘婿の会社が保養所として契約している旅館という。

想像していたより、りっぱな旅館だった。

わが社が毎年忘年会をしている保養所と雲泥の差だ。

(当たり前か)

 

旅館に着くと、早速、砂風呂へ。

ところが、日曜日とあって長い行列。

1時間近く待たなければならないようで、出直して終了間際夜の9時半に入る。

全身に砂を掛けてもらう。

10分から15分を目安にしてください」と、砂掛けオジサンがいう。

熱い。

折角、1000円と消費税50円の大枚を支払うのだから、20分以上は入ってやろうと思っていたが、10分も経たないうちに沈没。

背中が熱くて、心地よいどころではない。

となりにいたオバサンは5分も経たない内に、「こりゃ、たまらん」と言って出て行った。

旅館にとっては、熱くして早くギブアップさせる程、回転が良くなる。

そんな姑息なことを考えていないだろうが…。

南国の人は大阪人のようにセコく無いのだ。(と信じたい)

 

風呂上がりに、「森伊蔵」を無料で試飲する。

鹿児島の酒はほとんどが芋焼酎だ。

みやげ物屋の陳列には数え切れないほどの芋焼酎が並んでいる。

その中でも、この「森伊蔵」は特別に美味しいと、娘婿がいう。

でも、高いのだ。

それが無料で試飲できるというので、大浴場の横にある酒売り場に立ち寄った。

高いだけに、お猪口半分程度しか試飲できない。

「美味いでしょ!」と、娘と娘婿に言われるが、芋焼酎を全く飲まない私にとって、その美味さが判らない。

最後に残る芋の風味がどうも好きになれない。

随分昔に与論島で飲まされた、有泉という黒糖焼酎の臭みが忘れなれないからだ。

地元の漁師に、与論憲法というお題目で無理やり飲まされ、苦しい思いをした。

芋の後味が残る焼酎を飲むと、この臭みを思い出してしまう。


<宮崎・鹿児島を旅する(2)につづく>

author:金ブン, category:旅行, 15:21
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