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休刊
毎週土曜日に発行しておりましたが、今回やんごとなき事情により、休刊いたします。
悪しからず。
author:金ブン, category:家庭の話題, 20:52
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遠い祖先に

JUGEMテーマ:家庭

 

井原西鶴の「好色五人女」の三巻に「暦屋おさん」という話がある。

今から三百年以上前の天和年間に、京都で姦通事件を起こして処刑された、<おさんと茂兵衛>の実話を題材にした物語だ。

この話は近松門左衛門が浄瑠璃「大経師昔暦」でも取り上げている。

 

なぜ<おさんと茂兵衛>の話を書くかというと、この茂兵衛なる人物が私の遠い祖先だということ知ったからだ。

「好色五人女」や「大経師昔暦」ではかなり物語が脚色してあるのだが、伝わるところの話はこうだ。

 

茂兵衛の実家金川家は氷上郡船城村山田(現丹波市氷上町山田)にあり、この地方では有名な大地主で豪農だった。

戦国時代には黒井城(城主荻野直正)で兵糧が必要になると、その必要量を運び込んで援助したという。

9歳の茂兵衛にはおさんという7歳になる許嫁がいたが、まだ幼いので許嫁という意識はない。

おさんは山田村から西北に山一つ越えたところにある南由良の出身で、槍の名人といわれる由良豊後の長女である。

 

金川家には「降呼力」と呼ばれる伝来の名刀があった。

或る時、武芸者の由良豊後がこの「降呼力」を貸してほしいと言ってきた。

金川家は将来親戚関係になることもあり、仕方なく承諾した。

数年後、返却を求めたが、豊後は又貸しをして行方がわからなくなっていた。

責任を感じた豊後は娘のおさんを刀探しの旅に出発させた。

これを聞いた金川家でも、三男の茂兵衛を捜索に旅立たせた。

数年がたって、茂兵衛は京都の大経師屋(表具屋)で男衆として住み込みをしており、偶然にもおさんは女中頭兼妾としてこの家に入り込んでいた。

当初お互いに気づかなかったが、何かの機会にお互い同じ故郷であり、おまけに許嫁だったことを知ることになる。

ふたりはたちまち惹かれあうようになり、通じ合うようになった。

そのうち情事が旦那にばれそうになり、一緒に故郷の丹波へ駆け落ちする。

結局二人はお尋ね者になってしまうのである。

 

こうなれば、金川家も由良家もお尋ね者の二人を家へ入れるわけにはいかない。

それに、庄屋でもあり村の役人でもあるので、犯人を逮捕しなければならない。

考えた末、近くの森(現在「おさんの森」という)に小さな家を建てて、ふたりを住まわせたのである。

ところが、二人の噂が京都にまで届で、大経師屋では変装した密偵を派遣し、居所を探した。

結局、奉行所に逮捕される。

この時代、妾は妻と一緒ということで、姦通罪で死罪ということになる。

こうして、二人は京都市内を引き回され、はりつけ刑に処せられたが、当時の民衆はその内情を知ってからおさんと茂兵衛に同情して、奉行所の非人道的なやり方を非難した。

後に、この民衆感情を西鶴や近松が取り上げ、小説や浄瑠璃に仕立て上げたという。

 

山田村から南に下った柏原町の山すそに、おさんと茂兵衛を祀る祠があり、その付近は「おさんの森」と呼ばれている。

この祠を参ると咳が治るというので、近郊からだけではなく遠くは大阪などから参詣者が多いという。

この謂れは、小屋に隠れていた二人だったが、おさんが咳をしたため、猿回しに変装した密偵に居所が判り捕まってしまったという話からきている。

 

以上の内容は神戸新聞社発行「謎の丹波路」に、<ゼンソクの森(おさん茂兵衛の道行きとセキの神)>の章から抜粋した。

書物の最後には<寛政六年(1794)発行の「丹波志」には<金川甚之>の項目があり、「本は船井郡鎌谷のひとなり、甚之屋敷跡字金川という流あり。今本家金川七右衛門、庄屋喜八郎 二軒、定紋梅鉢」と記されている>との引用があり、この<金川甚之>が山田村の豪農の末裔であり、与兵衛の実家であることは信用できるというのだ。

 

昨年、金川家を継いでいた叔父さんが亡くなった時、法事の席で「金川株系図」を見せてもらい、コピーをいただいた。

 

 

その一番上に、<甚之>の名前が載っており、横に天文元年(1736)の記述があった。

それから遡ること50年前に、おさんと茂兵衛の事件は発生したようだ。

 

金川家では茂兵衛が犯罪人として処刑されたことで、以後この話を秘し隠しており、現在に至るまで真実を語ることを避けていたという。

それでも茂兵衛が可哀そうなので、戒名もない五輪塔立てて弔ったようだ。

 

私はその話を始めて知ったのだが、姉に話すと昔法事の席で酒に酔った親戚の人からこの話を聞いたという。

 

一度、<おさんの森>と<与兵衛の墓>を訪ねてみたいと思っている。

author:金ブン, category:家庭の話題, 09:46
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取扱説明書を読んで

JUGEMテーマ:家庭

 

女性の脳みそは男のそれとかなりしくみが違っているそうだ。

夫婦生活が40年近く経過すると、その違いは感じる。

 

男性はすぐに結論を求めるし、数字を出して説明したがる。

それは会話を問題解決するための手段と考えているからだろう。

ところが、女性の会話は問題解決を目的としていない場合が多い。

 

そんな行き違いを40年の結婚生活の中で、何度も経験している。

わが妻は結婚以来ずっと専業主婦で、妻の戦場は家庭だったし、私は終身雇用に守られてずっと会社を戦場にしてきた。

そんな二人の脳みその構造はその戦いのなかで自然と異なってくるし、物事の見方や捉え方もずいぶん違ってくるものだ。

 

退職から3年余り、私たち夫婦は多くの時間を一緒に過ごすことになった。

私は出かけることが多いが、それでも同じ空間で過ごす時間は現役の時に比べると多くなった。

それとともに、脳みその構造の違いが実感として心の奥に沁みてくる。

 

そう感じている男性が多いようで、最近、「妻のトリセツ」という本が読まれているという。

「定年夫婦のトリセツ」を併せて、読んでみた。

 

<男性脳にとって意味のない会話は、実は女性脳にとって大きな意味を持つ。

女性脳の、もっとも大きな特徴は、共感欲求が非常に高いことである。>

 

そして、<女性脳は、「心の通信線」と「事実の通信線」の2本を使って、会話する。

男性脳は、「事実の通信線」のみである。「それ、間違ってる」といきなり結論を出す。

悪気はないのだけれど、「心の通信線」をわざと断たれた、と女性は感じるのである。>だそうだ。

 

確かに、うなずける。

常日ごろから「同情」し、「ねぎらい」、「いたわり」、「思いやり」、そして、ちゃんと「優しい言葉」にして、気持ちを伝えなければならないという。

男にとって、邪魔くさくて、かなり面倒な話だ。

 

そして、<女性は、感情に伴う記憶を長期にわたって保存し、しかも「みずみずしく取り出す」ことが得意な脳の持ち主だ。日常生活で起こる感情が、さまざまな色合いを帯びており、この感情の色合いごとに体験記憶が収納されている。>なのだそうだ。

 

私の場合は…

妻から長女が生まれた時の話を持ち出される。

臨月でお産の兆候が出始めた正月、友人の家で麻雀をしていた時のことだ。

そろそろ病院へ連れて行ってと電話されたにも関わらず、「あと半荘が終わったら」と返事してすぐ帰ってこなかったことだ。

帰宅するとすぐに病院へ連れて行き、未明に長女が誕生する結果になった。

その後夫婦が険悪になる場面で、妻はこの話をよく心の収納庫から持ち出してくるのである。

 

また、<働く妻は、心の通信線が繋がらない男社会で揉まれているので、夫と会話をしているときに心を否定されても、「男あるある」だと諦めがつく。しかし、専業主婦の場合、夫がすべてなので、心の通信線を認めない夫だと妻のストレスは半端ない。>そうだ。

 

そして、

<家は寛ぐとこじゃない>

<家庭は戦場へ行くベースキャンプ>ともいう。

 

とにかく、死ぬまで、妻と平和な生活を営まなければならないのが現実である。

これからは、「ねぎらい」、「いたわり」なのだ。

 

今週、日ごろの介護疲れを癒すため、和倉温泉へ出かけた。

 

和倉温泉にある「桶浦乃湯壺」

 

越前トンネルの事故で高速道路が通行止めになったり、道路工事の影響で渋滞に巻き込まれたりしたものの、久しぶりの一泊旅行で妻は満足していたようだ。

些細な「ねぎらい」、「いたわり」だ。

 

いつか、夫婦のどちらかが亡くなり、一人暮らしになる。

夫婦において、相手への最大の「思いやり」は相手より長生きすることだろう。

 

参考:「定年夫婦のトリセツ」から

・妻が夫に離婚を言い出すときの最初のセリフの1位は「一緒にいる意味がない」。

・夫の禁則 ことばをケチらない、「たまの正論」を振りかざさない、妻を手足がわりにしない。

・妻の禁則 言葉の裏を読まない、縄張りを侵さない、口角を下げない。

author:金ブン, category:家庭の話題, 09:44
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喪中はがき

JUGEMテーマ:家庭

 

先週、数通の喪中はがきが届いた。

最近、喪中はがきが多くなったのに気付く。

これも歳を取ったからなのだろう。

 

その中の1通は、私が勤めていた会社でデザイナーとして働いていた女性からの喪中はがきで、亡くなったのはご主人のY君だった。

Y君は私と同年齢である。

 

結婚した頃、Y君夫婦と同僚のM君夫婦との3家族で、北海道のニセコにスキーに行った事があった。

Y君はスポーツマンで、スキーの他にテニスも得意だった。

Y君は京都の新聞社に勤めていた。

私が京都営業所に転勤になった頃、何度か新聞社で会った。

その頃、Y君は血液の難病に罹り、病院に通っていると聞いた。

私が15歳の息子をガンで亡くしたことを知ると、1冊の本を貸してくれた。

井上靖の「星と祭」。

17歳の娘を琵琶湖で亡くした主人公が、十一面観音を拝観して感銘を受け、琵琶湖の周辺にある十一面観音を訪ねてあるく物語だった。

私を慰めようと、その本を選んでくれた。

 

最近知人から、Y君が入院していることを伝え聞いた。

一度会いに行こうと思っていた矢先の訃報だった。

歳を取ると、会いたいと思った時に会っておかないと後悔する。

 

今週はボランティアの会の日帰り旅行があった。

師走にしては異常な暖かさの中、加西から福崎周辺を散策した。

 

五百羅漢

 

柳田國男の生家

 

一乗寺(国宝三重塔)

 

紅葉も終わりかけていた。

author:金ブン, category:家庭の話題, 09:45
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ガンで死ぬか、ボケて死ぬか

JUGEMテーマ:家庭

 

亡くなった母には7人の兄弟姉妹がいる。

長女、次女、長男、次男、三男、三女、四男の7人だ。

昭和の初めは「生めや、増やせや」の時代だった。

母は次女で、2番目に生まれた。

長女は14年前に亡くなり、母は8年前に亡くなっている。

 

先週、長男Fさん(92歳)と長男の嫁Yさん(87歳)、そして、次男Iさん(89歳)がガンで入院していると聞いた。

私が幼いころ、大変世話になった人たちだ。

FさんとYさんの夫婦は丹波の同じ病院に、Iさんは尼崎の病院に入院している。

尼崎に住む叔母(三女)のTさんと連絡を取り、3人の見舞いに行くことになった。

 

14日金曜日、次男のIさんを見舞いに行った。

一人部屋に入っていた次男はかなり衰弱していた。

わずかに話すことが出来たが、か細い声だった。

昔大工をしていて元気な人だったが、20年前に大腸がんになり人工弁を付けている。

それでも手術して寛解し、今まで生きてきた。

先日家族は医者から、持って2ヵ月くらいだろうと寿命を告げられている。

「気分はどう?」と私が訊くと、「もうアカン。いろいろ世話になったな」と、私の手を両手で握った。

 

その後Tさんと、17日の祝日に丹波の病院に入院しているFさんとYさんの夫婦を見舞いに行こうと打ち合わせをしていた。

ところがその日、突然Yさんが亡くなったとの連絡が入った。

葬式は16日に丹波の葬儀場で行われるという。

9月16日は息子の命日で、この日は家族として1年で一番大事な日なのだ。

お坊さんがお参りに来るだけでなく、亡くなって14年にもなるのに、未だにバスケットの友達たちが連れだってお参りに来てくれる。

 

93歳の父親が私に、葬式に出席してくれというので、息子の法事は妻に任せて、私はTさんを乗せて車で丹波へ向かった。

葬式には東京や横浜に住んでいる親戚関係の人たちも出席していた。

久しぶりに会う人たちだ。

 

式が終了し車で斎場へ向かう時、助手席に座っていたTさんの携帯電話が鳴った。

なんと、次男のIさんが急に亡くなったとの連絡だった。

2日前に見舞ったばかりなのに…。

 

慌てて丹波から戻り、Iさんの自宅へ向かった。

家にはIさんの奥さんが居た。

寿命が2ヵ月と告げられ覚悟はできていたとはいえ、突然の死でかなりショックを受けられていた様子だった。
私は翌日の通夜に参列し、17日の葬儀に出席した。

ここでも、2日前丹波の葬儀に参列していた親戚の人たちに再会した。

私は連日喪服を着ることになった。

 

この16日・17日は、俳優の樹木 希林や山本“KID”徳郁がガンで亡くなったことが報道されていた。

叔母のYさん、叔父のIさんもガンで亡くなった。

ふたりに一人はガンで亡くなる時代とか言われているのだが…。

 

通夜や葬儀で久しぶりに会った親戚たちの話はもっぱら認知症に罹っている身内のことだった。

それぞれ、寝たきりの夫や実父、徘徊する義母の介護で悩んでいた。

私の母も認知症で寝たきりになり、7年間老人ホームで暮らした。

世話する側もツライが、意志を表すことが出来ないで世話される側もツライのだ。

これも、家族を襲う深刻な問題である。

 

<君、ガンで苦しんで死ぬか、それとも認知症で寝たきりになって天寿を全うするか>

もし、神様に訊かれたら、どちらを選ぶだろうか。

 

93歳の父親はいつも言う。

「コロッとと、逝きたい」

 

願わくば、私もそうありたい。

 

author:金ブン, category:家庭の話題, 09:57
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好好爺

JUGEMテーマ:家庭

 

歳を重ねれば、物事に動ずることが少なくなるのだろう。

そう、思っていた。

だが、そんなことはない。

ちょっとしたことで、心が揺れ動く。

いくつになっても、変わらない。

心の平安を保つのは難しいものだ。

 

他人から見れば、私という人間はのんびりとして穏やかな性格に見える(ようだ)。

いわゆる、好好爺。

だが、それも見立てだけ。

 

電車で隣の席に幼児を抱いた女性が座る。

私は本を読んでいる。

突然、幼児が愚図りだす。

大声で泣く。

かなり、うるさい。

本に集中できない。

何とか泣き止ませられないかと、横目で若い女をチラ見する。

女はあやしているが、幼児は泣きやまない。

泣くのが仕事だからと、思う。

私は本を閉じて、幼児の顔を見る。

すると、女性は私の視線を感じて、済まなさそうに軽く頭を下げる。

私は少し微笑んで「大丈夫ですよ」と言い、いかにも好好爺を演じる。

しかし、腹の中は違う。

「泣かすな」と毒づき、心はささくれている。

 

歳を重ねることは、演技が上手くなることだ。

 

若いころは感情を抑えられず、キレることがあった。

北海道の襟裳岬で、コンブ漁のアルバイトをしていた時のことだ。

毎朝3時ごろに起きて、浜辺に出る。

コンブを取った船が浜に帰ってくると、コンブを海岸に並べて干す。

昼から乾いたコンブを倉庫に運んで、仕分けをする。

仕事は連日夜まで続く。

住み込みで働いていた家には、祖父、父親と母親、息子夫婦が住んでいた。

息子夫婦には幼稚園に通う女の子がいた。

この子が面倒な子供だった。

学生の私にまとわりついて来る。

両親は可愛くて仕方がない様子だったが、私には全く可愛さの欠片も感じられない。

ただただ、面倒くさいガキだった。

 

働き出して半月ぐらいが経った朝。

早朝の仕事を終え、みんなで朝ごはんを済ませ、全員がテレビの前に集まってNHKの朝ドラ(北の家族)を観ている時だった。

この家族たちはNHKの朝ドラを観るのが日課だった。

アルバイトも一緒にテレビの前に座って、ドラマを観ていた。

すると、女の子がいつものように私の身体にまとわりつき、うるさい蝿のように絡みつく。

それでも、お婆ちゃんやお爺ちゃん、両親にとって、その蝿が可愛くて仕方がない様子。

連日、その光景が日課になっていた。

私は突然、蝿にキレたのだ。

「うるさい!」

私は女の子の耳元に、大声を投げつけた。

家族団欒の空気は凍りついた。

女の子はびっくりして、私から放れた。

家族にとって可愛い子供であり孫である生き物に罵声を浴びせた学生が、とても奇異な動物に感じられたに違いない。

大海原と向かい合って暮らしている、大らかでおっとりした人たちにとって、ホームシックに罹っていた若者を慮る余地など無かっただろう。

 

先日、孫たちが宮崎から大阪の吹田に引っ越してきた。

娘たちは新居の片付けで忙しいので、その間孫たちを預かることになる。

3月末に私は宮崎まで出かけてずっとお守をしていたので、もう孫たちでお腹いっぱいになっていた。

小さくて可愛かった動物たちも、時折憎々しげな人間に変身する。

甘やかすとつけ上がり、叱ると「爺が悪い」と反発する。

<可愛い率>は安部政権の内閣支持率のごとく半分以下に落ちていく。

 

<なんでこんなに 可愛いのかよ 孫という名の 宝物>

そういえば、老人たちとカラオケに行った時、私は好好爺ぶって、大泉逸郎の「孫」を唄っていたっけな。

author:金ブン, category:家庭の話題, 07:44
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地域社会

JUGEMテーマ:日記・一般

映画「団地」は奇想天外で面白かった。

藤山直美の演技が面白く、上海国際映画祭で最優秀女優賞を受賞して話題になった。

岸部一徳や斉藤工ら脇役の演技も面白い。

老舗の漢方薬局を閉店して団地生活を始めた夫婦が自治会長選挙のゴタゴタに巻き込まれる。

近所の人々の噂話や流言飛語に嫌気が差した夫婦は、薬の販売をしている斉藤工の依頼で五千人分の漢方薬を作り、その見返りとして死んだ息子に会えるという宇宙の彼方の星へ出発する。

団地の人間模様が描かれているが、後半は突如SFになって物語は終わる。

題名が「団地」だけに、狭い地域生活での悲哀がコメディタッチで描かれている。

会社を退職すると、地域社会との関わりが深くなってくる。

現役の時にはほとんど顔を合わさなかった人と、挨拶を交わすことが多くなる。

昨年の4月から妻が自治会の班長になった。

何年かに1回は役員(会長、書記や会計など)と班長の役が回ってくる。

毎月1回班長会議に出かけたり、回覧板を作成したり、自治会の催し物(盆踊りや老人会等)を手伝ったり、何かと面倒なのだと、妻は不満を口にする。

一番の問題は日本全体が抱える高齢化だ。

この地域に住宅が建ち始めてから、半世紀近くが経っている。

20代、30代から住み始めた人はすでに70歳以上になっている。

子供たちは成人し、家を出る。

夫婦のどちらかが亡くなり、独居老人が増える。

誰も住まなくなった空き家は雨戸が閉まったままで放置されている。

昨年、独居老人の家が火事になった。

空き家に泥棒に忍び込んだという事件もあった。

空き家の植栽が生い茂り、道路にはみ出していることが問題になったりする。

高齢化すると、自治会の世話役をする人が少なくなってくる。

順番にやってもらわないといけないのだが、病気や介護等を理由に辞退するのだ。

強制すると自治会を脱退したいと言い出す。

だから、65歳前の夫婦の家庭に役員や班長の役がすぐに回ってくると、妻は愚痴る。

地域の活動に、協力的で無い人が必ずいる。

家の駐車場からボンネット部分を道路にはみ出して車を停めている家庭があった。

道路が狭くなって、軽自動車以外の車はその前を通行できない。

縦列駐車すればギリギリで入るのだが、それが面倒なのだろう。

近所迷惑なので、自治会から注意するのだが、全く聞く耳を持たないという。

狭い住宅街の道をスピード出して、通行する車、犬の鳴き声が絶えない家、ゴミの収集場所に分別できていないゴミを捨てる家…。

毎月班長会に参加する妻は地域内の問題を、私に聞かせていた。

地域社会は我慢することで成り立っている。

今月、やっと班長の役目を終えた妻は胸をなで下ろす。

先日、近所の民生委員の人がやってきた。

妻に次の民生委員をお願いしたいとのことだった。

最近、民生委員という言葉を良く耳にする。

ネットで調べると、<民生委員とは民生委員法に基づいて厚生労働大臣から委嘱された非常勤の地方公務員です。 社会福祉の増進のために、地域住民の立場から生活や福祉全般に関する相談・援助活動を行っており、創設から今年で100年の歴史を持つ制度です。>と書いてある。

要は、地域社会の生活相談係だ。

その民生委員の方は70歳過ぎの方で、最近病気に罹られたこともあり、自分の後任を探しているところだった。

一時、妻は「地域社会に関わるのも大切なこと」と前向きだった。

だが、私の父や妻の母親の世話をしていることが考えると、難しいと判断したようでお断りした。

すると、民生委員の方は市役所の職員を連れて説得にやってきた。

固辞すると、「ご主人はどうですか?」と、矛先を私に向けてくる。

余りに執拗に強く勧められると、拒否反応が強くなってくる。

何度も訪問されたが、やがて諦めたようだ。

今住む家が<終の棲家(ついのすみか)>と思っている。

だから、地域のお世話をすることはひとつの役目だと思う。

70歳になったら地域の役に立てることを考えようと思うが、それまで健康でいられるか。

author:金ブン, category:家庭の話題, 10:00
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わが家の住宅事情

JUGEMテーマ:家庭

 

一生の中で、最も高価な買い物は<家>だ。

土地と建物を含めた買い物を、現金で買える人はほとんどいない。

長い人生の大半、ローンという重石を背負わないといけない。

 

わが家は阪神大震災の時、半壊の指定を受けた。

その頃、尼崎でパン屋をしていた両親はすでに70歳を過ぎていた。

もうそろそろ隠居させて、一緒に住もうと思っていた矢先だった。

 

二世帯住宅を建て、両親はパン屋を引退して同居した。

3階建にしたので、建築費がかなり高くなった。

当時の私の安月給では全額住宅ローンを背負うのは厳しい。

当時ローンの利率は4.3%だった。

所有権を分割して、同居する父親から3分の1の援助をもらった。

 

元々土地は昭和45年に父親が購入している。

昭和45年、私はまだ高校生だった。

その頃土地の周辺は田畑に囲まれていた。

やがて、この辺りもベッドタウン化が進み、分譲が始まっていた。

当時、坪約8万円程度だったという。

 

6年間、その土地は家を建てること無く、放置してあった。

昭和51年に父親がその土地に家を建てた。

私が社会人になって2年目だった。

周辺には住宅がぎっしりと建ち、近くにイズミヤがオープンしていた。

 

両親が尼崎でパン屋を続けたので、新築の家は私が結婚するまでひとりで暮らしていた。

近所の家庭では私の家より狭いのに、家族4、5人が住んでいた。

一軒家にひとり住んでいたのだから、贅沢なことだ。

友達を招いてドンチャン騒ぎしていた私は、近隣の人たちから道楽息子と見られ、冷たい視線を浴びていた。

 

社会人になってから6年目に結婚して、二人の子供が生まれた。

そして、神戸大震災で半壊するまで、その家で暮らしていた。

 

震災後3階建を建て、私の両親と私の家族4人の暮らしが始まった。

しかし、しばらくして母親が認知症に罹り、両親は岐阜に住む姉の家へ引っ越していった。

私たち4人家族の暮らしになった。

 

将来、娘は結婚してこの家を出ていく。

そして、息子が結婚して所帯を構えることになるだろう。

いずれ、息子夫婦は私たちと同居するかもしれない。

いろいろと青写真を描いてみるが、人生は何が起こるかわからない。

 

息子が15歳で亡くなった。

娘がこの家に住まないかぎり、将来この3階建に住む人は居なくなってしまう。

3年後、娘は高校時代の同級生と結婚し、家を出た。

 

息子の死から6年後、岐阜で暮らしていた母親が亡くなり、父親がわが家に戻ってきた。

それ以後、92歳の父親と私たち夫婦との3人暮しが続いている。

 

娘婿の会社は外資系で、異動が多い。

転勤族だ。

最初広島勤務だったが、1年も経たないうちに福岡に異動し、その1年後に現在の宮崎勤務になった。

3年の間に3回も転勤している。

転勤が多いと、子供たちが今後何度も学校を変わらなければならない。

そこで、娘たち夫婦は関西に帰ってくる決心をした。

娘婿が単身赴任することに決めたのだ。

 

娘婿の会社では、家族から離れて単身赴任を選択している社員が多い。

会社は単身赴任する社員ための福祉が行きとどいているという。

たとえば、月に数回の帰宅に対して旅費を負担するとか。

 

娘が孫たちを連れて関西へ戻ってくるとなると、住宅をどうするかが問題になる。

私たち夫婦と父親が暮すわが家で、3世帯が住むのは少し無理がある。

当面、賃貸マンションで暮らしたらどうかと勧めたのだが…。

 

日本人の根底には不動産神話があるようだ。

不動産さえを持っていると、安心できるような…。

 

娘たち夫婦は若いだけに、勢いがある。

いろいろと考えたあげく、結局、分譲住宅を買うことを決めた。

伊丹、宝塚、吹田、池田あたりの土地を探し、万博公園近くの土地を取得した。

土地が決まると、若者夫婦の行動は早い。

工務店を決めて、新築住宅建設に向かって突き進んでいく。

高額の借金を背負うことになるのだが、一生に一度の買い物を目の前にして、夢は膨らんでいくばかりだった。

 

3月末に家は完成し、娘たちは宮崎から移り住む。

すると、幸いにも娘婿が大阪に転勤になった。

関西への転勤願いを出していたのだが、会社が認めてくれたのだ。

 

先週の土日を利用して、娘たち家族が帰ってきた。

家族が揃って、家の壁塗りをするためだ。

そんな儀式があると、工務店がいう。

 

娘婿の両親と私たち夫婦も参加して、壁塗りをした。

 

 

新居を前にして、娘たち夫婦と孫たちは楽しそうだった。

やがて、新居は娘たちの安住の地になっていくのだろう。

人生で一番幸せな時間なのかもしれない。

 

 

最近、私たちの自治会内に空き家が増えた。

子供たちが家を出て、やがて夫婦が亡くなり、住む人が居なくなってしまったのだ。

現在、全国に800万戸の空き家があるという。

そして、15年後には3戸に1戸が中古の空き家になるといわれている。

わが家もその運命をたどるかもしれない。

 

 

 

author:金ブン, category:家庭の話題, 09:48
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福井の友達

JUGEMテーマ:家庭

 

「あの子、本当に純粋な子なのよ」

妻が大学時代の友達Tちゃんをそんな風に表現する。

 

先月、妻が卒業した美大の同窓会があり、親しい友人が集まった。

友人8人は京都で1泊宿泊し、妻はTちゃんをわが家に連れて帰宅した。

Tちゃんは2泊し、福井へ帰って行った。

帰る時、Tちゃんは遊びに来てねと言う。

それで、今週夫婦で福井の自宅を訪れた。

 

Tちゃんの両親はすでに他界している。

母親は陶芸家で、父親が銀行員だった。

その母親の影響で、TちゃんとTちゃんの兄も陶芸家だ。

Tちゃんは去年まで大学で陶芸を教えていた。

今は引退して、仕事はしていない。

 

とにかく、とっても話しやすい人だ。

私の家に泊まっている間、私ともよくしゃべった。

飾り気が無くズケズケといろんなことを訊いてくるが、全く嫌味が無い。

妻が評するとおり、純粋で透明感がある人だ。

 

私が悩んでいる股関節の痛みを告げると、いろんなストレッチを教えてくれた。

ヨガを習っていたらしい。

「どの辺が痛いの?」と訊くので、恥骨のあたりを指し示すと、「おチンチンの横か?」と言い、私が触っているところを自分も指で押さえたりするのだ。
(もちろん、やらしい手つきではありませんぞ)

今まで整形外科、整骨院、整体で恥骨のあたりが痛いと言っても、その患部を押さえてくれた医者や施術師はいなかった。

 

Tちゃんは中国人と結婚し、男の子がふたりいる。

子供は成人した長男と大学院の次男だ。

長男は数年前腰の痛みを訴え、いろんな医師に診てもらってが、結局治らないそうだ。

そのため、精神的に凹んでしまい、その影響で就職浪人している。

そんな経験もあり、私が股関節の痛みで悩んでいるのを聞いて、真剣に診てくれたようだ。

 

ご主人Uさんは大学生の時中国から留学生として来日し、Tちゃんと知り合った。

大学を卒業して就職先に困っている時、Tちゃんが陶芸関係の知人を通じてS社を紹介したそうだ。

S社では中国人を採用するのは初めてらしく、社長曰く渋々引き受けたという。

 

ところが、Uさんは頭脳明晰で、優れたビジネスマンに成長した。

Uさんはその後中国に工場を作り、中国での子会社企業の社長になっている。

福井本社では専務執行役員の地位にいる。

そんな活躍に当時迷いながら採用した元社長は「今では採用したことを誇らしく思っている」と、業界誌に書いている。

 

妻はTさんの夫のことに関して、Tちゃんから詳しく聞いたことが無かった。

今回、私がTちゃんにいろんなことを訊いている時に、妻は初めてご主人の経歴などを知った。
Tちゃんも出世した夫のことを自慢げに語ることも無かったようだ。

 

現在、Uさんはほとんど中国に居て、日本にはたまにしか帰ってこないそうだ。

帰ってきても、会議や打ち合わせなどで、夫婦の時間もわずかになってしまう。

でも、その生活をお互いに認め合っているという。

だが、Uさんは激務の影響から心臓を悪くしていると、Tちゃんは心配げに話していた。

 

今回、1泊2日の短い期間だったが、Tちゃんに福井を案内してもらった。

東尋坊の夕日を見て、近くの温泉に入った。

 

 

翌日、恐竜博物館に行き、永平寺を参拝した。

 

 

 

最後に、Tちゃんが大学で陶芸を教えていた時に制作した、陶芸を散りばめたタペストリーを見学した。

3階までぶち抜いたエントランスに、巨大なタペストリーが掛けられていた。

制作に7年間掛かったという。

 

 

Tちゃんの家のインテリア。

すべて、オリエンタル調。

 

自宅でひとり、墨絵を書いていると話す。

 

今回、陶器のインテリアを3点いただいた。

 

また、12月中旬わが家に泊まりに来るというので、私は楽しみにしている。

author:金ブン, category:家庭の話題, 09:37
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還暦を迎えた妻

JUGEMテーマ:家庭

 

<ゆり子は、夏の朝、庭にユリの花が咲き誇る中、生まれました。

そして、ゆり子と命名されました。>

 

猪瀬直樹は妻ゆり子の葬儀で、挨拶する。

ふたりの出会いは大学生の時。

「目と目が合った瞬間、光の速度で一心同体で生きると決めたんです」と、運命的な出会いを語る。

 

大学卒業後、二人は上京し、同棲生活を始める。

猪瀬は作家を目指すが、なかなか目が出ず、今で言うフリーターとなる。

2人の子供に恵まれるが生活は安定せず、ゆり子が小学校の教師になり猪瀬を支え続ける。

徐々に作家として認められるようになり、「ミカドの肖像」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞して人気作家の仲間入りをする。

 

2001年に小泉内閣の行革断行評議会のメンバーになってから、政治の表舞台に顔を出す。

道路公団推進委員会での活躍がマスコミに取り上げられ、小泉政権の行政改革推進の立役者となり注目される。

 

その頃の猪瀬直樹は弁舌に切れ味が良く、私は大きな期待を抱いていた。

道路族や道路に絡む建設業などのしがらみが無い民間人だから、思い切った改革をやり遂げることが出来たのだろう。

その後、石原都知事の下で副知事に就任し、石原都知事辞任の後東京都知事に立候補する。

 

その頃から、人生のバイオリズムが狂ってきた。

東京都知事に当選した翌年、ゆり子に脳腫瘍が見つかり余命宣言を受ける。

オリンピック招致活動の真っ最中での出来事だった。

2020年東京オリンピック決定の朗報を知ること無く、ゆり子は亡くなった。

 

オリンピック招致決定と同じ頃、徳洲会グループからの資金提供問題が明るみに出て、都議会で袋叩きに遭う。

都議会の席上5000万円に模した発泡スチロールを無理やり押し込む情けない姿が、再三テレビに映し出される。

そして、都知事を辞任する。

 

その1年後に、妻ゆり子との思い出を綴った本「さよならと言ってなかった」を上梓する。

 

作家城山三郎の「そうか、君はもういないのか」や映画監督新藤兼人の「愛妻記」など、先立った連れ合いへの思い出を綴った本は多い。

甘ったるい本を読む気がしなかったが、図書館で何気なく見つけたこの本を手にした。

妻に先立たれた訳でもないが、妻の還暦の誕生日が近付いていたから、読む気になった。

 

結婚は出会い頭の交通事故のようなものだと云われる。

いろんな偶然が重なって、男女が結びつく。

 

私たちは社内結婚だ。

妻の父はK電鉄会社の子会社に勤めていたため、妻は紹介でグループ会社のK社に入社した。

妻が入社する5年前に、私はK社に入社している。

 

私は首都圏のT旅行会社に内定していたが、卒業旅行で立ち寄った東京の雰囲気が合わないような気持ちになり、帰阪してすぐに内定を辞退した。

そして、一旦辞退していた関西が活動拠点のK社へ再度内定をお願いしたのだ。

何とか内定を復活してもらい、K社に入社した。

もし卒業旅行で東京に立ち寄ることが無かったら、私はT社に勤めているのだから、妻と知り合うことも無かっただろう。

 

K社に入社後、私は旅行部ではなく、広告代理店部に配属になった。

K社は旅行部の他に、電車の広告を扱う広告代理店部と駅の売店などを運営する商務部があった。

本来、旅行業を志望して入社したのだから、まさか旅行ではなく広告の仕事をすることになるとは思わなかった。

この配属が無かったら、妻と親しくなる機会は無かった。

 

知り合って40年が経った。

今週、妻は還暦の誕生日を迎えた。

貧しい時から連れ添った妻を「糟糠(そうこう)の妻」という。

そんなに貧しい思いをさせた記憶はないが、阪神大震災や息子の死を経験し、苦楽を共にした同志ではある。

 

長い結婚生活は倦怠期、冷静期、沈滞期を経て、お互いが空気のような存在になるようだ。

今は、居なくては困ってしまう。

 

不満は無いが、ただひとつ困ることがある。

妻は霊感が強いことだ。

たまに幽霊を見たと言い、幽霊を見た時は身近な人が死ぬとか言ったりする。

気持ち悪いではないか。

身近な人が私でないことを祈るばかりだ。

 

<トミコは初雪が降る頃、富山で生まれました。

そして、富子と命名されました。>

妻の葬儀ではそんな挨拶しようと思っているが、先に私が天国へ行きそうな気がする。

 

妻の誕生日に食べた和食(宝塚・花水木)

author:金ブン, category:家庭の話題, 09:50
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