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村田沙代子の小説

JUGEMテーマ:読書

 

今週はエリート政治家や官僚の女性問題で、ワイドショーは大忙しだった。

「男と言う動物は」と、ツッコミを入れたくなるが、家庭内でそんな話題に触れると、自分に矢が向かってきそうなので、ただ黙殺する。

 

以前居酒屋で、友人のT君と夫婦生活の話になった。

その頃友人には愛人がいて、頻繁に奥さん以外と交尾をしていた。

「ところで、最近奥さんと交尾しているの?」という私の問いに、友人の返事が面白かった。

「そんなことしたらアカンやろ。家族で交尾したら、近親相姦になるで」

 

村田沙代子の「消滅世界」を読んだ。

世界大戦後、人工授精の技術が進み、家族もセックスも世の中から消滅してしまう。

夫婦間のセックスは近親相姦とタブー視され、恋愛は夫婦以外で行われ、架空のキャラクターとの恋愛も行われる。

究極的には男性も子宮を持ち、人工授精で妊娠するという実験的な都市が作られる。

家族、恋愛、セックス、子孫などの常識を覆してみたら、どんな世界が訪れるのだろう。

奇想天外だと思われる世界が描かれているのだが、今の人類が進化し続けていると考えると、こういう世界もあながち突飛とはいえないかもしれない。

独特の世界観を持つ村田沙代子はなかなか面白い作家だ。

 

この本を読む気になったのは、芥川賞の「コンビニ人間」を読んだからだ。

芥川賞作品は直木賞と違って、読みづらいところがあるが、この小説は一味違う。

単なるコンビニ店員の物語だが、とにかく、面白かった。

選考委員の評価も高かった。

山田詠美は、「十年以上選考委員を務めてきて、候補作を読んで笑ったのは初めてだった」、村上龍は、「この十年、現代をここまで描いた受賞作は無い」と評価している。

 

マニュアル通りに働くコンビニでしか生きていくことが出来ない主人公。

大学卒業後始めたコンビニのバイトが自分の身体に合っていて、18年目。

彼氏はなく、日々コンビニの食事で満足している。

夢の中でもコンビニの仕事から離れられず、コンビニで働く毎日が安らかな眠りをもたらしてくれる。

婚活目的で働くようになった男性と奇妙な共同生活が始まるが…。

 

社会の歪みを、登場人物のキャラを通じて滑稽に描いている。

作家本人もコンビニで長く働いているとか。

インタビューに応えている村田沙代子はなかなかユニークだ。

 

あと何冊か、この作家の小説を読んでみたいと思っている。

author:金ブン, category:読書, 13:30
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寝不足

JUGEMテーマ:読書

 

図書館で予約していた本の順番が次々と回ってきた。

3日間で7冊も。

 

藤崎 彩織「ふたご」

門井慶喜「銀河鉄道の父」

林真理子「西郷どん!上下」

カズオ・イシグロ「日の名残り」

若竹千佐子「おらはおらでひとりいぐも」

村田沙耶香「コンビニ人間」

 

直木賞、芥川賞、NHK大河ドラマ、ノーベル賞作家と、話題の本ばかり。

図書館の返却期限はT市が2週間、I市は3週間。

通常なら読むのにそんなに時間は掛らない。

だが、この1週間はとにかく多忙だった。

 

先週から今週に掛けて、4泊5日で宮崎へ行っていたからだ。

娘が大阪に引っ越すため、その手伝いのためだったが、ほとんどは孫のお守だった。

それに、その前後の日にシルバー人材センターのアルバイトが入っていた。

加えて、宮崎に旅立つ前日と前々日に、文化財ガイドのボランティアが2件入っていた。

さらに、文化財ホームページの更新やリニューアルする文化財ガイドブックの原稿作成も依頼されていた。

 

そんな状態なので、昼間は読書に割く時間が無かった。

 

最近、私は午後9時にベッドに入る。

録画した番組(英会話や情報番組)を観た後読書をするのだが、数ページ読むとまぶたが重たくなってくる。

以前は、朝方(4時〜5時)に目を覚まして本を読む習慣があった。

しかし、このところ齢のせいかすぐにまどろんでしまう。

 

これでは読書が進まない。

 

夜中、必ず1時か2時にトイレへ行く習慣が付いた。

その時起きると、目が冴えてくる。

不思議と頭がスキっとしている。

先週から、その時間に本を読みだした。

すると、それが習慣化してきた。

(1,2時間程読んで寝るのだが)

 

「コンビニ人間」を除いて、なんとか読み終えた。

翻訳本の「日の名残り」は読みづらいところがあったが、その他の本はスラスラとページが進んだ。

特に、宮沢賢治の生涯を父親の立場から綴った「銀河鉄道の父」は興味深い小説だった。

さすがに直木賞作品は読み応えがあった。

宮沢賢治のイメージが変わった。

 

さて、夜中に起きる習慣は今も続いて、昼間にやたらと眠たくなる。

食後に15分程度居眠りをするのは健康に良いという。

シエスタとはいかないが、昼食後はうとうとしている。

これが気持ち良いのだ。

author:金ブン, category:読書, 09:02
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あん

JUGEMテーマ:読書

 

最近の安部内閣の乱れようを見ていると、功罪はあるにしても、小泉内閣はよくやっていたと思えてくる。

時代背景は違ってはいるが、拉致問題や道路公団の民営化など、前向きに問題解決に取り組んでいた姿が懐かしい。

 

思い出す場面がある。

小泉首相がハンセン病の人たちの手を握って、謝罪する場面だ。

平成13年のことだから、もう15年以上前の話だ。

この年、ハンセン病国家賠償請求訴訟で国は敗訴し、控訴を断念した。

そして、国家賠償請求が認められました。

 

その昔ハンセン病に罹患すると、自宅の離れ部屋に隔離され、ひっそりと暮らさなければならなかった。

家族に迷惑がかからないようにと、住み慣れた故郷を離れて放浪する人たちもいた。

松本清張の「砂の器」には、村から追い出されて各地を放浪する父子が描かれている。

 

伝染力が強いという間違った考えが広まり、偏見を大きくした。

明治の「癩予防法」に続いて、昭和28年に「らい予防法」が成立し、国家による隔離政策は行われた。

 

昭和28年は私が生まれた年で、幼いころ「らい病は感染する怖い病気」と教えられた。

身体に欠損や変形が生じたりすることから、偏見が広がった。

その後アメリカで「プロミン」薬が開発され、その有効性が確率されると、ハンセン病は完全に治る病気になった。

だが、一度広がった差別や偏見は収まらなかった。

 

「らい予防法」は1996年に廃止され、ハンセン病国家賠償請求訴訟勝訴を経て、冒頭に書いたように、小泉政権の2001年国が控訴を止めて結審し、国家賠償請求が認められた。

 

ドリアン助川の小説「あん」に、「舌読」という言葉が出てくる。

主人公がハンセン氏病記念館を訪ねた時のことだ。

 

<ハンセン病を重く患った結果、視力も末端神経も奪われてしまった一人の老患者の写真だった。指先が麻痺しているため、彼は本を開いても点字の凹凸を感じられない。だから展示を舌で舐めていた。舌先で文字をひとつずつ追い、そうやって読書をしていた。たとえばその写真が… 背筋を伸ばした老人が本を舐めているその姿が千太郎(どら焼き屋の店長)の頭から離れないのだ。>

 

 

ハンセン病患者の人生は壮絶だ。

突然隔離され、外の世界と遮断される生活を強いられる。

幼い時に隔離され、施設で暮らす徳江が手紙に書く。

<この場所での歳月が過ぎていくなかで、私には見えてくるものがありました。それはなにをどれだけ失おうと、どんなにひどい扱いを受けようと、私たちが人間であるという事実でした。たとえ四肢を失ったとしても、この病気は死病ではないので、だから生きていくしかありません。闇の底でもがき続けるような勝ち目のない闘いのなかで、私たちは人間であることただこの一点にしがみつき、誇りを持とうとしたのです。>

 

そして、

<本当に神様がいるなら、つかまえてなぐってやりたいことがたくさんあったもの。>と、綴る。

 

人と接したい、語りたい、役に立ちたいと感じながら、それが叶わない人生とは。

「生きる意味」を問いかける。

 

作家中村京子があとがきで書いている。

<人は、どんな人でも、他人の役に立たなくても生まれてくる意味がある。

「その子なりの感じ方で空や風や言葉をとらえるため」に人は生まれる。

というよりも、「その子が感じた世界は、そこに生まれる」のだと。>

 

河瀬直美監督の「あん」も人に薦めたい映画だ。

author:金ブン, category:読書, 11:13
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図書館で本を借りる

JUGEMテーマ:読書

 

「車で、図書館まで送ってくれないか」

嫁さんに頼むのに、戸惑いはあった。

だが、仕方が無かった。

 

右膝の内視鏡手術から2週間が経過した。

当初私は1,2週間もすれば、自転車には乗れるようになるだろうと思っていた。

それは全く私の勘違いだった。

手術前に、医者の説明を注意深く聞いていなかった。

日帰りの手術なので、簡単だと思い込んでいた。

 

1週間後の抜糸する時も、膝はかなり腫れていた。

でも、医者は「術後は順調ですね」という。

「まだ、腫れているのですが、いつ頃腫れが引くのでしょうか」と、私は尋ねた。

すると、医者は「人にもよりますが、完全に引くのに2,3ヵ月は掛かります」と、平然と応える。

術後の説明書を見直すと、歩けるようになるのには2,3月掛かると書いてある。

手術を軽く考えて過ぎていた。

 

1週間後に抜糸した後も腫れは引かず、松葉杖に頼りながらソロリソロリと歩く状態だった。

文化財ボランティアの用事や英会話教室をすべて欠席して、自宅で療養していた。

ほとんど出歩くことは無かった。

 

そんな折、図書館からメールが届く。

予約していた本が入ったとのこと。

今回は伊丹市ではなく、隣の宝塚市の図書館に申し込んでいた。

その本が伊丹市には置いていなかったから。

例の「夫のちん…」だ。

意外に早く順番が回ってきた。

ところが、歩けないし自転車にも乗れない状態だ。

 

読む気は満々だが、受け取りに行けない。

借りる時の恥ずかしさもあってか、気持ちが引けてきた。

受付は大概年配の女性だし…。

ひょっとして受付が知り合いの女性だったらどうしようとか、顔見知りの人が偶然図書館に借りに来ていて声を掛けられたらどうしようとか…。

まるで、ツタヤでHなビデオを借りるような気持ちになってしまった。

 

今回はキャンセルして再度予約すれば良いかと思い掛けていた時、再び図書館からメールが届いた。

以前に予約していた本が入ったとの知らせだった。

昨年芥川賞を受賞した「しんせかい」。

借りる本が2冊になったことで恥ずかしさが少し薄まるのではと、訳のわからない安堵感が背中を押していた。

 

「ちょっと、お願いがあるんやけど」と、嫁さんに図書館まで車で送ってもらうことを頼んだ。

返事は予想通りの「行ってきてあげようか」。

「いやいや、送ってくれるだけ良い」と慌てて返事をし、「図書館の前で待っててくれたら良い。松葉杖で歩く練習もしないといけないから」と付け加えた。

 

なんでこんな借りにくい題名を付けたのかと愚痴りたくなるのだが、この題名だからむしろ読む気になった訳で…。

そんな読者の気持ちを忖度してか、出版社の特設サイトには<お客様がタイトルを声に出して言わなくても書店さんに注文できる申込書>が付いてあった。

出版社のほうもこの題名にするかどうか迷ったんじゃないかとか、大手新聞社も広告を掲載する際に題名を表示するかどうか迷っただろうにと、再び私は余計な忖度したりして…。

 

借りてから、破った先月のカレンダーをブックカバーにして、丁寧に包んだ。

 

 

さっそく読み始め、一気に読み終えた。

 

アマゾンのレビューでは、評価が分かれている。

<共感できる>や<泣きました>と評価する人がいる反面、<内容はKUSO><最悪の本><シュレッダーに掛けた>とカライ評価が並んでいた。

 

宣伝文句に<衝撃の実話>とあるが、にわかに信じられない内容だ。

ツッコミどころは満載だ。

<入らない>のは夫だけで、他の男性とは<入る>という不思議な現実。

「専門の病院へ行けば良いではないか」とツッコミたくなるが、著者はあれこれと考え、躊躇し悩み続ける。

また、山を見て欲情し自慰に耽る、出会い系で知り合った山岳好きの男性にはマイッタ。(ほんとにそんな異常性癖があるのか)

 

そうはいっても、母親との確執、学生時代の孤独、教員生活での苦悩と精神疾患など、切々と綴られる文章を読み進むと、そんなツッコミなどどうでも良いことだと感じてくる。

確かに売らんがため題名が鼻を突くけれど、異常で悲痛な体験を是非とも世間に知ってもらいたかったと著者が言うなら、それはそれで許せるような気がする。

 

<入らない>の問題が物語の本筋ではない。

さまざまな苦悩と闘う人間の姿に共感する。

 

能書きを並べるより、是非読まれることを薦めたい。

ただ図書館で借りるにしろ書店で買うにしろ、ブックカバーを忘れずに!

author:金ブン, category:読書, 12:01
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逃亡者

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小学生の頃、「逃亡者」というテレビの人気番組があった。

 

妻殺害の身に覚えのない罪を着せられて死刑の判決を受けた医師が、列車事故で護送車から逃走し、アメリカ国内を逃げ回る内容だった。

執拗なジェラード警部の追跡をかわしながら、真犯人と思われる片腕の男を追う。

毎週放送されたドラマはかなりの高視聴率だった。

私の家でも家族が茶の間に集まって観ていた。

その頃中学受験をするため塾に通っていたのだが、そこでも毎週このドラマの話題が上っていたのを思い出す。

 

小説を読み続けていると、ノンフィクションものが読みたくなってくる。

ネットで探していたら、7年前に日本中で話題になった事件の本を見つけた。

それは、2年7カ月の間、日本中を逃げ回った殺人者が書いた話だった。

 

2007年、英会話学校の講師で英国人のリンゼイ・アン・ホーカーさんが行方不明になっているとの相談を受け、千葉県警は知人の市橋達也のマンションへ向かう。

警察はマンションで市橋と鉢合わせするが、取り逃がしてしまう。

市橋が住むマンションのベランダに置かれた浴槽内部から被害者の遺体が発見される。

市橋は逃走後捜査員に発見されて捕まりかけるが、ここでも逃げ切る。

 

警察は捜査網を強化して容疑者を探すが、一向に見つからない。

マスコミも連日この逃走劇を伝え、容疑者逮捕までそんなに時間は掛からないだろうと思われていた。

公的懸賞金制度の適用を受けて100万円の懸賞金が付き、手配ポスターが配布された。

(のちに、懸賞金は1000万円に引き上げられた。)

被害者が英国人で加害者が日本人ということもあって、国際的にも話題となった。

被害者の家族が来日し、マスコミに登場して容疑者の男を早く捕まえてくれるように訴えた。

しかし、その後全く市橋の情報は入ってこなかった。

 

1年が経ち、2年が経つと、「もう、どこかで自殺しているのだろう」との噂も流れ始めていた。

2009年の11月、ついに大阪南港のフェリーターミナルで市橋は逮捕された。

 

市橋達也が書いた「逮捕されるまで」はちょっと変わった本だ。

通常、加害者が書いた本には自分の生い立ちや家族のこと、犯した罪への懺悔、被害者への思いなどが綴られているものだ。

ところが、この本は犯した事件や罪のことに一切触れられていない。

逃走した時から捕まるまでの、経路や生活を淡々と綴られているだけ。

申し訳程度に、感謝という気持ちを知ったとか、被害者への感情を思い出す場面があるが、

終始捕まりたくないと繰り返し、日本中を逃げ回る内容が並べられている。

 

この本が出版されたのはまだ公判が始まっていない時期だった。

2年7カ月の期間、逃亡者としてどのような生活を送っていたか、社会の関心は高かっただけに、本はかなり売れた。

裁判が始まる前に、印税は1000万円以上になったという。

市橋はその印税を遺族に渡したいと表明していたようだが、遺族側は受け取りを拒否し、結局国庫に入ったようだ。

 

殺人を犯した逃亡者を褒めるのはどうかと思うが、逃走への執念と動物的な感には驚かされる。

たとえば、逃走中、大型スーパーに入って焼き鳥を買い、それを路上で食べるのだが、歩道橋は誰も通らないだろうと、歩道橋の上で隠れて食べたと書いている。

確かに、横断歩道の上に作れられている歩道橋はほとんど人が通らないものだ。

また、防犯カメラに映ることにかなり神経を使い、コンビニやスーパーで行動は細心の注意を払っている。

 

逃走中、テレビで指名手配の犯罪者がどこにいるか推理する番組が放送される。

市橋はその番組を解体業の飯場などで見ている。

番組では超能力者という外国人の女性が出演し、「自殺で有名な東尋坊へ行った」と推理するのだが、市橋自身東尋坊に行ったことなどないと書いている。

また、他の番組では、「犯人は事件後、新宿歌舞伎町のゲイの町に行き、そこで男相手に身体を売って、お金を貰っていた」と説明し、「市橋を抱いた」と主張する男も出演させていた。

事実とは全く異なる放送を見て、市橋は憤慨したと書いている。

テレビがいかにいい加減な番組を放送していたかが解る。

 

市橋は千葉地方裁判所で無期懲役の判決を受け控訴するが、東京高裁で棄却され、無期懲役が確定している。

事件からかなり時間が経っているが、殺人者が書いた書物としては異色で興味深い。

 

 

また、この本は「I am ICHIHASHI 逮捕されるまで」という題名で、2013年に映画化されている。

この映画の監督をし主役の市橋を演じたのが、今人気のディーン・フジオカだ。

どんな映画か観てみたいが、現在ツタヤではレンタルされていないようだ。

残念。

 

 

author:金ブン, category:読書, 11:16
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私小説の醍醐味

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胸の奥底に仕舞っているものを吐きだす。

それを文章に書き、人前にさらけ出す。

なかなか、それは出来るものではない。

戸惑ってしまう。

こんなことまで書いていいのだろうかと。

やはり、自己表現の根底に、自分を良く見せたいという気持ちがある。

だから、自分を切り刻む時に身から出てくる悪臭を、ぶちまけるのに戸惑うのだ。

 

久しぶりに、西村賢太を読んだ。

「疒(やまいだれ)の歌」は初めての長編小説だ。

相変わらず、生々しい私小説だ。

 

中学を卒業して家を離れ、独り住まいを始め、造園会社でアルバイトして暮す日々が描かれている。

 

母親や姉への家庭内暴力、負の遺産(父親が性犯罪者)の呪縛、孤立した人間関係など、自身の体験を通じて、心の奥底に蓄積している泥のような感情を書きなぐっている。

そこには、卑屈な人間が放つような苦さは感じられず、むしろ、逞しさとしたたかさが感じられ、私は爽快な気分で読み終えた。

 

「こわれた人間は面白い」

ある番組で、タレントの大竹まことがゲスト出演の西村賢太を評していた。

まともな語り口なのだが、どことなく危なっかしい雰囲気が漂っている。

時折放つ、ぶっ飛んだ会話が視聴者に受けているようだ。

 

芥川賞受賞の会見で、記者から「受賞の瞬間、誰とどんなふうに」と訊かれ、「自宅で、そろそろ風俗でも行こうかと思っていた」と答え、衝撃的な個性を発散していた。

この会見後、特異なパーソナリティの持ち主として、マスコミ界で引っ張りダコになった。

大竹まことが言うように、「芥川賞受賞の恩恵を一番受けている作家」のようだ。

 

テレビのクイズ番組にも頻繁に出演しているが、こういう破天荒なキャラは、インタビュー番組や討論番組のほうに面白味がある。

 

https://www.youtube.com/watch?v=W27eyqcbC9E

 

自由奔放な語りはおとなの番組に打ってつけの味付けをしてくれる。

 

そもそも、私小説の醍醐味は、<よくぞ、そこまで書けるものだ>という露出度だ。

この長編小説でも如何なく発揮されている。

ちょっと、例を挙げると、

 

<そんな薄汚ない、所詮は膣口だけでなく、頭のネジの方も俄然緩みっぱなしの淫売女なぞを大金払って抱くよりかは、今現在は、脳中で佐由加をねちっこく犯しながら、己が怒漲したマラをしごき立てる方がはるかに興奮と快感を得られ、そしてそれでひとまずの満足も味わえる状況だったのである。>

 

造園会社に事務職として働いている佐由加に恋心を抱き、空想する場面だ。

 

<かの空想の中では佐由加のヴァギナは無臭であり、貫多は感極まって、彼女のその一片の糞臭さなきクリーンなアナルまでをも舐め上げるのである。すると小ぶりの桃みたいなお尻を微かに震わせ続ける彼女の方も、やがて、貫多に説き伏せられて、彼の亀頭の鈴口に、アグレッシブに舌先を這わせてくるのだった。>

(極端にエロい表現のところを引用させてもらった)

 

この小説の中で、「泥の文学碑」という小説を紹介している。

破滅的な人生を送り自殺した私小説作家、田中英光の過去を探ろうとする評論家の物語だが、その中に「作品から、作家の実生活を、ストレートに判断してはならない」という会話が出てくる。

私小説といえども、やはり小説(作り話)なのだという安心感が大胆な表現を可能にする。

 

平穏な生活を求める者には、日常生活で感じていることをありのままに表現することなんて、とても出来そうにない。

様々なしがらみの中で、摩擦を恐れてしまうから。

家族や友人は要らないし、結婚なんてしないという孤高の生き方を選んでいる人間が持つ特技なのだろう。

 

さて、愚妻が日常生活を私小説で書くとしたら、こんな風に書くのだろうか。

 

<頭頂部が禿げてみすぼらしく変貌した、ハズバンドと称するこの男は、薄汚れた雑巾のような風体を晒しながら、退職して有り余った時間を料理に浪費し、台所を占有するのである。時折、冷蔵庫の食材を取り上げては舐めるように注意書きを見定め、意地汚い視線を向けながら、「賞味期限が切れているじゃないか」と、慇懃な表情で戯言を抜かすのである。>

 

嗚呼、恐ろしい。

author:金ブン, category:読書, 17:13
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終わった人
JUGEMテーマ:読書

主人公の俺は東大を卒業し、大手銀行に入行した。
着々とキャリアを積み上げ、出世街道を駆けあがる。
しかし、突如子会社への出向を命じられる。
こんなはずじゃないと思いながらも役員として働き、やがて転籍となる。
そして、63歳で退職する。
 
退職すると、何もすることがない。
年寄りじみた生活に抵抗を覚えながらも、図書館やフィットネスジムに通ってみる。
しかし、そんな暮しに馴染めない。
職探しをしてみるが、現役時代に武器にしていた高学歴やりっぱな職歴が邪魔をする。
 


題名に惹かれて、内館牧子の「終わった人」を読んだ。
小説は<定年って生前葬だな。>で始まる。
 
これから、団塊の世代が次々と定年退職していく。
退職後をどのように暮していけば良いのか、多くの人が戸惑うのだろう。
会社に縛られていた時間が、自由な時間として与えられるのだ。
何をするにも、自らの意思で選択することが出来る。
束縛するものは何もない。(金銭面以外)
 
ところが、この自由を扱うのは案外難しい。
会社に束縛されているほうが楽なこともある。
生き方の選択肢をたくさん与えられると、返ってしんどいということだろう。
 
エリートの道を歩んできた主人公にとって、過去は栄光のように輝いている。
そんな思い出から抜け出すことが出来ない。
<思い出と戦っても勝てねンだよ>と、登場人物のひとりがいう。
 
主人公は東大法学部卒で大手銀行マンという、バリバリのエリートの設定となっている。
それゆえに、華やかな思い出から抜け出せないでいる。
まだまだ、社会で十分通用すると、自信をのぞかせる。
だが、「終わった人」なのだ。
 
私は退職して、9ヵ月が過ぎた。
63歳になった。
辞める時、若干の不安があった。
することが見つからず、退屈するのではないか、と。
だが、そんな心配は無かった。
何かしら、することがあった。
忙しいなんてことはないが、自分がしたいと思う事で、時間を埋めていく。
退屈さを感じることは全く無かった。
 
でも、好きなことをして過ごしてきたが、どこか物足りなさを感じる。
 
気楽な生活なのだが、ひとつ欠けていることがある。
誰かに必要とされているという気持ちだ。
自分がどこかで役立っているという思いだ。
今まで、それは職場の中にあった。
 
週に2,3日、働いてみようかな、と思い始めた。
 
そんな折、市の広報誌に、募集記事が載っていた。
貸館や講座をしている会館の受付事務の募集だった。
土日を含む週3日の勤務で、8時45分から17時30分まで。
ただし、募集人数は1名だけ。
応募する気になった。
 
履歴書送付と書いてあるので、パソコンで履歴書をダウンロードした。
40数年前に就職活動して以来、履歴書を書いた記憶がない。
 
学歴・職歴・資格に続いて、特技・趣味を書く。
自己PRを書くのに、一番時間がかかった。
 
総務の仕事をしていた時、たくさんの履歴書に目を通した。
採用までの第一関門だけに、行間に熱い思いがにじみ出ている。
自分がいかにこの会社に適しているかを切々と語る。
応募者にとっては、この自己PRが一番選別の要素だと考えるからだろう。
 
私も自分の長所を飾って書こうと、筆に力を入れる。
どんな人間を必要としているか、を考えてみる。
そして、その仕事がさも自分に適していると主張する。
 
自己PRを書きながら、ふと考える。
はたして、この募集広告は私のように定年退職した老人を対象にしているのだろうか。
会館の受付事務に、年老いたオジサンが適しているとも思えない。
やはり、ある程度社会経験のある女性が適任なんじゃないか。
本来、応募する側も、若い女性を求めているんだろう。
募集要項には男女別や年齢を掲載できないから、応募対象が幅広く見えるだけだろう。
 
それでも、一縷の望みに賭けて、履歴書を送ってみた。
 
案の定、1週間もしない内に、<厳正なる選考の結果、誠に残念ながらご希望に添いかねることとなりました>との結果通知が送られてきた。
 
自分はまだ、社会に十分通用するのではないか。
そんな幻想が頭の隅に残っている。
しかし、そんな世界では、もう「終わった人」なのだ。
 
小説の主人公は、社会に通用する自分を思い描く。
IT企業のオーナーとの出会いから、主人公の運命は思わぬ方向へ動き出す。
その結末は吉と出たか、凶と出たか。
(これから読む人のために、これ以上書かない。定年後の生活という暗いテーマだが、ストーリーの展開が変化に富んで、楽しく読めた。特に、ひとり娘の現実主義な言動が辛らつで、面白かった。)
 
小説のあとがきで著者は、ある国際学者が国家を論じた言葉を持ち出して、<重要なのは品格のある衰退だ>と語る。
一線を退いた人に対して、<衰え、弱くなることを受けとめる品格を持つこと>だと、忠告する。
 
「終わった人」は「始まった人」でもある。
新しい世界があるし、新しい出会いがある。
今は、経験したいと思えるものに、出来るだけ首を突っ込んでいる。
その内、私を必要とする誰かが現れると思いながら…。
(ただ、若いオネエチャンに必要とされることは無さそうだが)
author:金ブン, category:読書, 18:09
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2015年を振り返って(本と映画)
JUGEMテーマ:読書
 

今週、2015年の漢字が京都の清水寺で発表された。

予想通りで、全然面白くなかった。

私としては「道」と書きたい。

そして、今年の流行語大賞は「生まれ変わったら、<道>になりたい」としたい。

 

冗談はさておき…。

 

2015年は戦後70年の年だった。

特に今年は、「あれから○十年」という表現がよく使われていた。

 

30年前の1985年はどんな年だったのか?

日航機の墜落事故があった。

阪神タイガースが優勝し、日本一になった。

バック・ツー・ザ・フューチャーが封切りされた年でもある。

 

20年前は神戸の大震災があった。

当時、阪神間の災害状況を目の当たりにした時、「一体、20年後はどんな状況になっているのだろう?」と思ったものだ。

それほど、被災した街は衝撃的な姿を晒していた。

今年も何回か神戸の街を歩いたが、大震災のつめ跡はほとんど見ることが出来ない。

つくづく、人間の営みは逞しいと思う。

 

また、日本中を震撼させた「地下鉄サリン事件」から20年目に当たる。

首謀者たちは死刑囚となって、今も刑務所にいる。

 

10年前は悲しい年だった。

この年、息子がガンで亡くなった。

 

そして、2015年は、私の人生にとって転機の年。

長年勤めていた会社を退職し、新しい生活が始まった。

退職後張り切り過ぎて、ひざを痛めたり手首の腱鞘炎を患ったりしたが、今のところ毎日が新鮮だ。

 

さて、今年の読書だが、読んだ本は44冊だった。

退職して、出回ることが多かったので、勤めていた時より少なくなった。

意外と、通勤時間に読むことが多かった。

 

本で印象に残っているのは、小説では「昨夜のカレー 明日のパン」、「サラバ!」。

「昨夜のカレー 明日のパン」は、表現されている言葉がやさしくて心にしみる。

<人は変わっていくんだよ。それは、とても過酷なことだと思う。でもね、でも同時に、そのことだけが人を救ってくれるのよ>

ほのぼのとした気持ちにさせる小説だった。

昨年の本屋大賞で2位にランクされた本だが、1位の「村上海賊の娘」より印象深かった。

 

そして、直木賞作品の「サラバ!」。

イラン・エジプトの海外での生活、壊れそうな家族、その中で迷いながらも逞しく成長していく主人公の視線が、幼い頃の自分の視線と重なり、スラスラと読めた。

結末がちょっと残念だったが…。

その他、「その女アレックス」や「後妻業」が面白かった。

 

ノンフィクションでは、「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」と「捏造の科学者」が印象深い。

チャリティ・ソングの金字塔といわれる「We Are The World」が録音されたのは1985年、今からちょうど30年前だ。

テレビでプロモーションビデオが放映され、メイキングムービーとしても放映された。

当時の人気ミュージシャンたちが一堂に会したセッションはまさに奇跡だった。

音楽に精通していた訳ではないが、出演していたミュージシャンの多くは知っていたし、かれらのヒット曲を一度は耳にしたことがあった。

 

「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」とは物騒な題名だ。

参加したミュージシャンの何人ンかが録音後不幸に襲われたというのだ。

シンディ・ローパー、スティービー・ワンダー、ライオネル・リッチー、ビリー・ジョエルらはその後ヒットに恵まれなかったとか。

プロデュースしたクインシー・ジョーンズは録音後、うつ病を患ったそうだ。

マイケル・ジャクソンの悲劇は言うまでも無い。

こじ付けっぽいところが気になるが、「We Are The World」をアメリカのポピュラー音楽史のエポック・メイキングな曲として紹介し、ポップスの歴史や意義なども詳しく書いてあり、楽しめた。

 

「一体、あの騒動とは何だったのか」という好奇心から手に取ったのが、「捏造の科学者」だ。

あの騒動とは昨年起きた<スタップ細胞事件>のこと。

新聞やテレビで報道されていたが、何が原因で前代未聞の事件が起こったのか、さっぱり解らなかった。

そこで、じっくり本で読んでみようと試みたが、万能細胞の証明実験過程や論文の不正を明らかにしていく流れは、私の弱いオツムには難解だった。

ただ、何とか真実に近づきたいという、科学担当記者の熱心な取材態度には感心した。

立花隆の「田中角栄の研究」や「脳死」を読んだ時、ジャーナリストの執念に感心したものだが、その時の感動に似ている。

 

どんなに優秀な科学者が集まっても、思い上がりや思い込みから、信じられない杜撰な行為やとんでもない不正を見逃してしまう。

そんな空しい現実があった。

<くさった丸太を皆で渡って、たまたま折れずに渡り切ってしまったようなもの>という表現が的を得ている。

ひとりの科学者の「小保方さんは相当、何でもやってしまう人ですよ」という言葉は不気味だった。

最初にネイチャーに投稿した時「あなたは過去何百年にわたる細胞生物学の歴史を愚弄している」と酷評されたことを小保方氏が語っていたが、結局日本の細胞生物学を愚弄する結果となった。

 

その他、「最貧困女子」・「差別と教育と私」・「自閉症の僕が跳びはねる理由」が印象に残っている。

 

映画鑑賞は、毎年100本は超えていたが、今年は62本と少なかった。

少なかった理由のひとつに、海外テレビドラマ「ウォーキング・デッド」にハマってしまったこと。

突然ゾンビに支配されてしまった世界で、生き残りを賭けて戦うグループを描く。

毎回ゾンビの頭を潰すシーンが必ず登場するが、怖い物見たさでシーズン3まで観てしまった。

「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」「ミスト」(どれも私の好きな映画)のフランク・ダラボン監督が企画しているだけに、並みのホラー作品ではない。

現在も継続して放映されているが、いつも海外テレビドラマの人気ランキングトップを保っている。

 

印象に残っている映画はふたつ、「セッション」と「おみおくりの作法」。

「セッション」はジャズドラムの激しいリズムとともに、オープニングからラストシーンまで終始興奮させられた。

鬼教官役JK・シモンズの迫真の演技と、追い詰められていく主人公役マイルズ・テラーの表情に息を飲む。

「おみおくりの作法」は孤独な死を遂げた人を孤独な役人が見送るという地味な物語だが、観終わった後にじんわりと心に残る映画だった。

 

その他、「マダム・イン・ニューヨーク」・「ビリギャル」・「0.5ミリ」が印象に残っている。

 

今年もいろんな人から、本や映画を紹介してもらった。

良い作品に出会えた時は、本当に幸せな気持ちになる。

 

来年は、50冊以上の本、100本以上の映画を鑑賞したいと思っている。

author:金ブン, category:読書, 12:01
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切腹

さぞ、痛いだろうに。

いや、痛いなんてものではない。

その激痛に、七転八倒するようだ。

 

終戦の年、陸軍大臣の阿南惟幾はポツダム宣言の受諾を拒否して、切腹自殺している。

夜中に腹を切り、早朝に絶命する。

介錯人はいない。

つまり、一晩中激痛にもだえ、苦しみ抜いて死んだ。

想像するだけで、恐ろしい。

戦争継続を主張する軍人の無責任さに、腹立たしさを覚えるが、切腹を貫いたという行為に、ある種尊敬の念さえ抱いてしまう。

 

自分で腹を真一文字に切り裂く。

とても、自分には出来ない。

武士にとって、切腹は名誉ある責任の取り方なのだ。

武士の世に生まれなくて良かったと、つくづく思う。

 

小学生の時赤穂浪士の映画で、浅野内匠頭が切腹するシーンを見たことがあった。

それは遠い時代の話で、ドラマの中の出来事だった。

実感が無かった。

切腹が現実のものとして、私の前に現れたのは「三島事件」の時だ。

 

高校3年の11月、事件の報道を聞いた時、気持ちがどんよりと灰色になった。

作家の三島由紀夫が自衛隊の東部方面総監部に乗りこんで、自衛隊のクーデターを呼び掛け、挙句の果てに割腹自殺した事件だ。

写真週刊誌には、現場となった総監室の生々しい光景が掲載されていた。

胴体だけの遺体が並んでいた。

 

三島由紀夫はみごとに切腹を貫いたという。

その際介錯を務めたのは楯の会の森田必勝で、緊張のためか3回失敗する。

恐らく、その後切腹する予定だったので、気持ちが上ずっていたのだろう。

それに比べて森田の切腹はかすり傷程度で、出血はほとんどなかったという。

介錯は楯の会の古賀正義が行い、一太刀で介錯したと報道されていた。

 

三島のように切腹できる精神は、まさに異常な状態なのだ。

考えられない程の、強固な意志が必要だ。

武士であろうとなかろうと、森田のような切腹がまともな精神を持った人間の行動だ。

常人のほとんどは、介錯に身をゆだねるのではないか。

 

以前、赤穂浪士の映画を観ていて、ホッとしたことがあった。

討ち入りを終えた浪士たちは、細川家、水野家、毛利家、松平家に預けられる。

討ち入りの行為は、江戸の武士たちに義挙として称賛されるが、評定の結果将軍綱吉は浪士たちに切腹を命ずる。

浪士たちはそれぞれ預けられた大名屋敷で切腹する。

形式は武士の名誉のための切腹ではあったが、みごとに腹を掻き切った者はほとんどおらず、斬首に近いものだったようだ。

 

映画では、ひとりずつ順番に切腹するため、庭に呼ばれる場面があった。

順番を待つ若い浪士が「切腹を上手くする自信がない」と、老いた浪士に呟く。

老いた浪士は、「腹を突き刺すふりをして、首を差し出したら良い」と応えていた。

私はそれを観ていて、「やっぱりそうやろうな。なんぼ武士といっても自分で自分の腹を切るなんてことが出来る訳がない」と、安心したものだ。

 

切腹が登場する本や映画はたくさんある。

乙川優三郎「生きる」は家老から追腹を禁じられて、身内や家中の非難を浴びる中で生き続けなければならない苦悩を描いていた。

浅田次郎 の「壬生義士伝」では、波乱の戦場を生き抜いた新撰組隊士吉井貫一郎が旧友であった大野次郎右衛門から切腹を命じられる。

海老蔵が主演して話題になった「一命」は、生活に困った武士の「狂言切腹」を題材にしていた。

そういえば、古いところで大島渚の「戦場のメリークリスマス」にも、兵士が切腹する場面が出てくる。

武士道をテーマに据えると、必ずこの「切腹」が登場する。

武士の精神性を表現するのに、「切腹」は格好の題材なのだ。

 

「本当は斬首というところだが、お主の名誉のために切腹を言い渡す」

時代劇によく出てくるセリフだ。

罪を償うために切腹することは、武士にとって名誉なのだ。

もし私が武士で、「介錯はしないから、潔く腹を切れ」なんて言われると、絶対嫌だ。

介錯なしで腹を切って絶命するなんて、そんな恐ろしいことは絶対に出来ない。

罪人と同じで良いから、斬首にしてくださいとお願いするだろう。

 

最近読んだ山田風太郎の「切腹禁止令」に、私と同じ考えの武士が登場している。

 

主人公の小野清五郎は、誤解から友人の神保を切腹させてしまう。

そして、誤解の元凶だった悪党を切り捨てたのだが…。

「いや、切腹とは、相当なものだな」

小野は切腹の凄惨さにショックを受ける。

「神保はあれだけ痛がり、あれだけ苦しんだ」

それにしても…。

けがらわしい悪党の苦痛は一瞬のことで、友人の切腹の苦しみとは比べ物にならないくらいに軽い。

そうかといって、悪党に切腹させるわけにはいかない。

「あのとき神保に、せめてもの情けとして切腹させてやる、といった。つまり切腹はさむらいの名誉ということになっており、身分いやしき下郎、あるいは武士にして武士にあるまじき罪を犯したやからは斬首ということになっておるのだが、よく考えて見るとこれはおかしい」という。

「上位の処刑の方が大苦しみで。下等の刑罰の方の苦痛が少ないとは理屈にあわない。量刑不当だ」

 

その考えから、主人公の小野清五郎は維新後、新政府の公議人となって熱心な切腹禁止論者となる。

この物語は、不条理な生き物である人間に対して、山田風太郎独特の滑稽なオチを用意している。

主人公が切腹して終わるのだ。

 

何はともあれ…。

切腹のない時代に生まれて良かった。

author:金ブン, category:読書, 14:35
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平成25年の本・映画

今、青木理の「トラオ」という本を読んでいる。

トラオとは徳田虎雄のことだ。

猪瀬都知事への献金問題で、その姿をよくテレビに見た。

現在、ALS(筋委縮性側策硬化症)に罹り、闘病中の身だ。

ALSは原因も判らず、治療法も無い。

 

全身の運動機能が徐々にと衰えていく。

食べ物を咀嚼することが出来なくなり、胃ろうをする。

呼吸する力が無くなり、人工呼吸器を付ける。

筋肉の機能が最後まで残るのは肛門の筋肉で、最終的にはその筋肉を収縮することで会話を行うと、立花隆の「脳死」で読んだことがある。

実に、恐ろしい病だ。

 

現在、徳田虎雄は目の動きで会話している。

胃ろうをし、人工呼吸器をつけ、目の筋肉だけが動いている。

文字盤を目で追い、介護者がその目の動きで言葉を読み取る。

その様子がテレビに映されていた。

その映像を見ていると、徳田虎雄という人物について知りたくなった。

 

興味を持つと、それに関する本を読むことにしている。

今年読んだノンフィクションは32冊。

最も印象に残っているのは、「消された一家」だ。

2002年に北九州で起きた監禁殺人事件を詳細に取材している。

犯罪史上稀にみる猟奇事件で、7人の肉親たちが殺し合った密室殺人を事細かく描写している。

人間はどこまで残忍になれるのか。

ページをめくるたびに、考え込んでしまった。

この本を読むきっかけは、尼崎で起きた監禁殺人事件だ。

主犯で刑務所で首つり自殺した角田美代子は、私と同じ中学で4年先輩だった。

 

事件物では、その他に、宅間守 精神鑑定書」「どん底」「加害者家族」が印象に残っている。

高山文彦の「どん底 部落差別自作自演事件」は友人から薦められた。

被差別部落出身の嘱託職員に誹謗中傷するハガキが送りつけられるのだが、送り付けた犯人が実は嘱託職員本人だったという事件。

ずいぶん昔の、遠い世界の話と思っていた部落差別が今も厳然と残っている事実に、やりきれない気持ちになった。

 

その他、震災当時福島第一原発の所長だった吉田昌郎の奮闘を取材した「死の淵を見た男」も印象深い。

 

小説は24冊読んだ。

新聞の書評で目に止まった本や友人から薦められた本など。

直木賞受賞作(ホテルローヤル、等伯など)や本屋大賞も、図書館で予約して読んだ。

 

「半沢直樹」で話題を集めた池井戸潤の作品「七つの会議」が良かった。

不祥事を隠ぺいしていく会社の体質が身につまされる。

「空飛ぶタイヤ」にしろ、「下町ロケット」にしろ、池井戸潤の企業小説はハズレが無い。

 

吉田修一の「横道世之介」は物語の展開が上手く、一気に読み終えた。

また、中学生の時友人から突然殴られて、理由も解らずまま絶交された経験を持つ私にとって、村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は共感を持って読むことが出来た。

でも、友人から、「この小説は何が言いたいのか?」と尋ねられたが、答えられなかった。

 

本屋大賞に輝いた「海賊と呼ばれた男」は自慢話ばかりを書き連ねた伝記で、むしろ退屈だった。

他、奥田英朗は5冊読んだが、「無理」と「最悪」は、不眠症の夜長を癒してくれた。

 

もうひとつ印象に残っているのが、林真理子の「野心のすすめ」。

書籍案内には「“高望み”で、人生は変わる。駆け上がってきた時代を振り返りつつ、人生は何度でもリセットできることを説く、著者初の人生論新書」とある。

この本の出版をきっかけに、最近頻繁にテレビに出演している。

以前、恋愛小説は良く読んだが、恋愛における男と女の狡賢さを表現させたら、実に上手い作家だと思う。

 

こんなエピソードが書いてある。

ある日、夫と原宿で食事をしていた。

その店に偶然作家の渡辺淳一がやってきた。

仲良く夫と食事している林を見て、「女性作家たるもの、夫と夕食を伴にするとは!」と、渡辺淳一は叱ったという。

健康的な日常生活を送る人は小説家になれないと書く。

その言葉を信じるなら、西村賢太は小説家に向いているのだろう。

西村賢太の新作「歪んだ忌日」も、相変わらず面白かった。

 

映画は102本鑑賞した。

やはり、「鍵泥棒のメソッド」が一番良かった。

私の好きな映画「運命じゃない人」を監督した、内田けんじの作品。

「半沢直樹」で話題になった堺雅人と香川照之のコンビが、偶然に人生が逆転してしまった2人の男性をコミカルに演じている。

日本アカデミー賞の脚本賞を受賞しただけに、ストーリーの展開が実に巧みだった。

また、「ライフ・オブ・パイ」も、アカデミー賞の監督賞、撮影賞などの4部門に輝いた作品で、CGの映像が見事だった。

 

10年前に公開された映画だが、「ジョゼと虎と魚たち」も印象に残っている。

伊丹の郷土作家田辺聖子の短編小説を映画化したもの。

大学生と足に障害を持つジョゼとの恋愛物語だが、ラストで突然妻夫木が座りこんで泣きだすシーンが甘酸っぱく切ない。

 

このブログを書き始めてから、少し手を止めて、「トラオ」を読んだ。

もうすぐ、読み終える。

猪瀬直樹が徳州会グループから5000万円の献金を受け、その真相を隠し続けた理由が何となく判る気がしてくる。

それは医療グループ徳州会の理事長徳田虎雄が持つ「人間臭」に影響されているからではないか。

徳田虎雄は、目的のために手段を選ばない。

その目的は、時に世間から私利私欲であると評されるけれども、一途で純粋だ。

スローガンは「生命だけは平等」。

モットーは「年中無休、24時間オープン」、「患者からの贈り物は一切受け取らない」、「困った人には健康保険の3割負担も免除する」など。

公職選挙法に抵触する強引な選挙活動を考えると、こんなモットーなんて、眉唾ものだと思うだろう。

でも、ALSという難病に侵されながら、病院経営や医療改革に取り組み続ける生き様神々しささえ感じてしまう。

徳田と会った人たちはその人間臭に魅了されてしまう。(敵も多いが)

著者青木理は、そんな徳田虎雄に教祖のような宗教臭さえ感じると書く。

 

人間の行動はなんと不可思議なものなのか。

様々な事件や特異な人間の生き様を読んだり観たりすると、つくづく感じる。

そして、これからももっと知りたいと思うのだ。

 

好き勝手にブログを書いてきたが、平成25年はこれで終了。

来年も、よろしくお願いします。 
author:金ブン, category:読書, 14:40
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