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薬疹

JUGEMテーマ:健康

 

還暦を迎えるまで、ほとんど薬を服用することがなかった。

風邪に罹っても、出来るだけ薬を飲まないようにしていた。

薬の副作用が気になった。

それでも、若いころは薬に頼らなくても、体力で回復したものだ。

 

歳とともに、薬に頼らないといけない状況に陥ってくる。

 

定年前、会社の健康診断で喉元の腫れを注意され、甲状腺の医院で橋本病と診断されてから、毎日チラーヂンという薬を飲み始めた。

薬とのお付き合いの始まりだった。

それも1年ぐらいで数値が改善したので、薬の服用をやめた。

 

退職すると今度は血圧が高くなりだしたので、血圧降下剤を飲み始めた。

両親も血圧が高かったので覚悟はしていたが、血圧計は140〜150の数値を指すようになると、薬嫌いと拒否するわけにはいかない。

医者は「心筋梗塞や脳梗塞のリスクが高くなりますよ」と脅すようにいう。

 

さらに、特定健診の血液検査ではコレステロール値が高いとの指摘を受けた。

コレステロール値が高くなると、「心筋梗塞や脳梗塞のリスクが高くなりますよ」と再び言われ、コレステロールを下げる薬を飲み始めた。

 

血圧とコレステロールの薬は老人の多くが服用していると、医者は言う。

「歳を取ったから仕方がないか」と、毎朝一錠づつを飲み続けることになった。

 

今年に入り、さらにいろんな病気に見舞われた。

3月突発性難聴に罹り、多量のステロイド剤を1週間服用することになった。

何とか耳が聞こえるようになると、今度は胃腸が悪くなり、胸やけ・膨満感・ムカつきが付きまとい、ゲップが頻繁に出るようになった。

胃カメラの検査をした結果、内科医から逆流性食道炎と言われ、胃薬を飲み始めた。

 

7月には脳梗塞の症状が出て1週間入院。

退院してから、血圧・コレステロールの薬に加えて、血液をサラサラにする薬を毎朝飲み始めた。

 

2週間前、股関節の治療で神戸の整形外科を訪ねると、2週間のロキソニンを処方された。

痛みを抑える薬はあまり気が進まなかったが、股関節の炎症を抑えるために服用してくださいというので、仕方なく飲み始めた。

1週間が経った朝、起きると身体のあちこちに虫に噛まれたような痕が出来て、痒いのだ。

何かの虫に刺されたのだろうと思っていたが、数日すると体中に発疹が広がっていた。

 

急いで、皮膚科で診察を受けると、「薬疹」だというのだ。

薬の影響からの発疹だ。

医者にお薬手帳を見せた。

すると、「その時の体調に影響されるのでどの薬とは特定できないが、ロキソニンが疑われる」と、いう。

そして、塗り薬とともに、飲み薬を与えられた。

数日後、発疹はほとんど消えていた。

 

身の回りにいるお年寄りたちに聞くと、ほとんどが何らかの薬を飲んでいる。

94歳の父親も毎日、10錠以上の薬を服用している。

父親のような長生きを望んでいるわけではないが、とにかく健康のままでコロッと天国へ行きたい。

 

食事療法や運動などで健康を保てればと思うのだが、現実は厳しい。

加齢とともに、さらに薬のお世話になるだろう。

author:金ブン, category:健康, 09:45
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1964のオリンピック

JUGEMテーマ:ニュース

 

小学生の4、5年生の頃だったか、学校の行事でローマオリンピックの映画を駅前の映画館に観に行ったのを記憶している。

ローマの町を裸足で走っている「はだしの英雄、アベベ」の姿が脳裏に残っている。

次回のオリンピックが東京で開催されるので、オリンピック熱が徐々に高まっていたころだと思う。

映画鑑賞の帰り、私はクラスの列から離れて迷子になってしまったので、そのころのことをよく覚えている。

 

1964年、東京オリンピックの年は小学校6年生だった。

体操の遠藤、柔道のヘーシング、女子バレーボール、重量挙げの三宅、マラソンのアベベと円谷幸吉、水泳のショランダー…。

開会式や閉会式を含めて、競技のいろんな場面が未だに思い出される。

 

もうひとつ、鮮明に覚えているのがレスリングの競技シーンの映像だ。

私はこのテレビ映像を、小学校の校長室で見た。

 

小学校の昼休み、私は友達4,5人と校庭の花壇辺りで戦争ごっこをしていた。

戦争ごっこは花壇の畝に転がっている土の塊を投げあうものだった。

遊びに飽きたころ、友達のひとりが石を学校の塀の外へ投げた。

「ボコッ」という音が鳴った。

それが面白かったのか、みんなで塀の外へ向かって石を何度も投げた。

投げる石はだんだんと大きくなった。

外に車が止まっているという想像力が全く働かなかった。

しばらくして、誰かが車が停まっているのに気付いたのだと思う。

 

その後のことで覚えているのは、学級委員だった私が校長室に呼ばれたことと、母親と車の持ち主のところへ謝りに行ったことだ。

校長室で立たされていた私の脳裏には校長室のテレビに映っているレスリングの試合の風景だった。

 

先日放送された、NHKスペシャル「東京ブラックホール供廚蓮卩鵬と創造の1964年〉の副題で、前回の東京オリンピックが開催された日本を振り返っていた。

1964年の日本は新幹線が開通し、東京オリンピック開催に向けて国民が歓迎し、大いに盛り上がっていると思っていたが、現実は夢のような話ではなかったようだ。

 

その年の1月にNHKが行った東京都区部の世論調査の「あなたが近頃どんなことにいちばん関心をもっていらっしゃいますか」という設問に「オリンピックへの関心」と答えたのは、たった「2.2%」にすぎなかったという。

 「オリンピックを開くのにたくさんの費用をかけるくらいなら、今の日本でしなければならないことはたくさんあるはずだ」に賛成は「58.9%」で、オリンピック募金への寄付は「61.6%」が行わず、オリンピック記念切手は「76.8%」が買わず、オリンピック記念メダルは「94.4%」が買わず、オリンピック開・閉会式の入場券への申し込みは「81.1%」がしなかったという。

 

私の家では東京オリンピックの記念硬貨を何枚か買っていた。

ただ、私が持っていた記念硬貨は泥棒に入られた時に取られて失ってしまった。

 

とにかく、そのころの日本は東京一極集中が進み地方と都市部の貧富の差が広がり、スモッグに覆われ、闇社会がはびこり、若者が集団就職で都市部に集まり、ホワイトカラー急増して労働時間は今よりも600時間も多かったという。

そんな社会の状況を知らない小学生の私はオリンピックで活躍する日本選手の姿に熱狂し、日本の力に誇らしく思っていた。

 

東京オリンピックの思い出のシーンとして、よくテレビに登場するのが日本の女子バレーでのソ連との決勝戦だ。

大松監督の厳しい練習風景とともに、優勝を決めた歓喜の映像はチーム競技に強い日本の姿が映し出されていた。

 

ところが、その時の参加チームは現在と比較にならないほど少なく、たった6チームだった。

それも、オリンピック開催前に参加を表明していた北朝鮮が不参加を表明して帰国してしまって5チームになったので、急遽韓国が参加することで6チームになったという。

突然参加することになった韓国は他チームとの力の差が歴然で、ソ連との試合では3セットのうちの2セットが0対15と完封されている。

 

さて、今週オリンピックのゴタゴタ騒動が連日ワイドショーを賑やかせた。

マラソンが東京から札幌で開催されることが決まったが、何かモヤモヤとしたものが残る結末だった。

関西に住む私には遠いところでの出来事のように感じるのだが…。

author:金ブン, category:社会ネタ, 10:03
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スポーツ障害

JUGEMテーマ:日記・一般

 

<梅さんこと梅塚英吾は、二年前の試合で脊髄を損傷し、首から下が麻痺。、電動車椅子での生活の中、家族に支えられながらリハビリを続けている。>という記述が、ラグビー小説「不惑のスクラム」に登場する。

 

スポーツにはケガはつきものだが、ラグビーほどケガの多いスポーツはないだろう。

巨漢の選手たちが思い切りぶつかり合うのだから仕方がないと言えばそうなのだが、今回のラグビー世界選手権を観戦していても、包帯やサポーターをしている選手がやたらと目に付いた。

生傷が絶えないようだ。

 

高校の友人I君が話していたことだが、I君はラグビーをしていた友人にお金を貸したそうだ。

その友人がラグビーの試合中に脳震盪を起こし、一時的に記憶を失い、金を借りているのを忘れてしまった。

知人は友人のご両親に事情を話し、お金を返してもらったという。

 

今回の世界選手権でも、頭を強く打った選手は一時的に退場させて、治療する処置が取られていた。

脳障害は後から身体に影響が出てくる。

ボクシングにしろ、ラグビーにしろ、そんな危険なスポーツなど止めたらいいのにと思うのだが、吹き出てくる汗から得られる感動はそのリスクよりも大きなものなのだろう。

 

ラグビー日本代表でスクラムハーフを務めた田中史朗は大会直前に「命がけで戦う」と妻の智美さんに宣言していたという。

日本代表で最も背が低い小兵田中にとって、巨漢の対戦相手から強烈なタックルは命の危険さえ伴うのだ。

そんな田中は「もし俺が死んだら新しいいい人見つけてな」と、智美さんに言ったというから、相当の覚悟で大会に臨んでいたのだろう。

 

南ア戦の敗退で日本のラグビー熱は徐々に静まってきたが、激しい戦いから生じた障害のケアはこれからの選手たち日常に続くのだろう。

 

先週、神戸の整形外科を訪ねた。

主にスポーツ障害を扱っている病院だ。

股関節の不具合がなかなか治らないので、インターネットで私の症状に合った治療をしている病院を探していて、見つけた病院だ。

少年から老人まで、幅広い患者が治療に訪れていた。

リハビリ治療が多く、たくさんの理学療法士が患者を診ていた。

 

身体を動かすのが好きな方だったので、若いころはいろんなスポーツを経験した。

健康にも良いからスポーツをすると思っていたが、それなりのリスクが伴う。

やはり、適度なスポーツが良いのだろうが、高みを目指そうと思えば無理をしないわけにはいかない。

 

私の場合、退職して自由を得たことに舞い上がってしまい、急にテニスをやり過ぎてしまった。

ほどほどに頑張れば良かったと、大きな後悔をしている。

author:金ブン, category:スポーツ, 09:47
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集中力の欠如

JUGEMテーマ:家庭

 

「妻の地雷を踏まない本」が売れていると、朝の情報番組で紹介されていた。

番組の中で、“妻の地雷”踏む夫ランキングが紹介されていた。

 

・妻が具合が悪い時の「夕飯どうするの?」

・毎回物の在り処を聞く夫

・何時に帰ってくるの?

・スマホに夢中で食卓に来ない

などが5位から2位に並んでいた。

 

そして、1位は「ボーッとして妻の話を聞かない。」という。

私はうなずく。

どこの家庭でも、地雷のあるところは似ている。

私も妻からよく注意を受ける。

 

私としては、「テレビで興味がある話題に見入っている時に限って、妻は話しかけてくる」と言いたいところだが…。

 

といっても、「集中力の欠如」は、私の一番の欠点であることを自覚している。

学生の頃から、一つの事に脳を集中させるのが苦手だった。

勉強していてもスポーツをしていても、それに集中できず、すぐ他の事を考えてしまう。

授業中、窓際の席で外を見てボーッとしていて、先生に怒られたことが何度かあった。

 

以前(20年前)、行政書士の試験に挑戦している時、自分に集中力が低いことに気が付いた。

筆記試験は一般常識と法律の択一問題が50問あり、2時間の時間制限があった。

一般常識には国語の読解力を試す問題があり、長い文章を早く読まなくてはならなかった。

なかなか時間内にすべてを解答するのは難しいと感じられた。

 

そこ頃、「速読法」なるものがテレビや雑誌で紹介されていて、話題になっていた。

長編小説が数時間で読破できるというような…。

通信教育が新聞に出ていたので、試しに受けてみた。

だが、挑戦したものの、通信教育で到底速く読める技術が得られるとは思えなかった。

そこで、速読法の体験教室が開かれているのをチラシで見て、体験してみた。

パソコンの画面に映し出される文字を追ったりする訓練を1時間ほど受けたが、これも速読する力が得られるとは感じられなかった。

当たり前のことだが、速読する前に「集中力」が必要なのだ。

 

話がずれた。

とにかく、私の頭の中には雑念が多いのだ。

妻と話をしている時も、余計な考えが去来し、妻に「私の話、聞いてる?」と地雷を踏むことになる。

 

歳を重ねた今、「集中力の欠如」はさらにひどくなってきたようだ。

会話をしていてもずっと集中できず、話の内容を聞き逃してしまうことが多くなった。

聞き直すのが面倒なので、口かずが少なくなったりする。

 

とりあえず、妻の話に集中し、日々地雷を踏まないように努力していく所存でありまするぅ。

author:金ブン, category:家庭の話題, 09:55
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ラグビー観戦の思い出

JUGEMテーマ:ニュース

 

学生の時、西京極球場に2回行ったことがある。

1度目は関西六大学野球の入れ替え戦で、わが校と京都産業大学が対戦した試合を観戦した時。

2度目はラグビー観戦だった。

大学ラグビーの観戦じゃなくて、近鉄の試合だった。

 

ラグビー好きの友人がいて、授業が終了後に誘われて、もうひとりと一緒に3人で西京極へ出かけた。

その時の私はラグビーのルールも解らず、ただの暇つぶしで付いていった。

だから、グラウンドを吹き抜ける風の冷たさしか覚えていない。

試合観戦が終わって、ラグビー好きの友人が選手の通用口まで選手を見に行くというので付いていった。

すると、友人が「あ、坂田さんがいる」と言いながら、通用口近くの椅子に座っている選手に近づいて行った。

友人は握手を求めると、その選手は気軽に応じてくれた。

私ともうひとりの友人も誘われるままに、選手と握手をした。

その人物が「世界のサカタ」と言われるほどに有名な選手であることを友人が教えてくれた。

その後、ラグビーのテレビ中継で、その人物が解説するのを見ると、初めて観たラグビー観戦の時を思い出す。

 

それから、松尾雄治が活躍した新日鉄釜石の7連覇や神戸製鋼の平尾誠二が活躍した時代、1月に放送される日本選手権を時々観戦した。

日本での試合だけを観戦していると、チームプレーが重要なスポーツには日本人に適しているので、さぞ世界でも闘えるだろうとと思っていたが、世界では全く通用しなかった。

以前、テレビでオールブラックスとの試合を観た時、余りの力の差に失望してしまった。

 

今回のワールドカップはその差が確実に縮まっているのが感じられる大会だ。

いよいよ、明日は運命のスコットランド戦だ。

まだまだ、かなり実力差があるような気もするが、二度目の奇跡が起こるかも。

 

昨夜から「不惑のスクラム」を読み始めた。

西京極に一緒にラグビーを観戦した友人から薦められたラグビーの本で、NHKのドラマになった小説だ。

江戸川のほとりで自殺しようとしていた男が中高年のラグビーチームに誘われるところから始まっている。

 

とにかく、前期高齢者になった私は、こころ踊るドラマに渇望している。

author:金ブン, category:スポーツ, 09:57
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