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推薦図書

JUGEMテーマ:読書

 

学生の頃、私は塚本にある菓子メーカーの工場でアルバイトをしていた。

アルバイトはちょっと変わった作業だった。

アーモンドチョコレートを作る過程で、小さな金属が入った可能性があることが判明したという。

そこで出来上がったすべてのアーモンドチョコレートをパッケージから出して、検査機に通す作業をすることになった。

その単純作業を、学生相談所を通じてアルバイト学生に依頼したのだ。

パッケージから出すのは女子工員たちの仕事で、私は包みから出されたアーモンドチョコを検査機に流す役目だった。

一日中やっていても、金属片を感知する音は鳴らなかった。

単純な作業の繰り返しは5日間程続いたと記憶している。

その時、アーモンドを運んで来るひとりの女子工員と親しくなった。

恐る恐るデートに誘うと、快く受けてくれた。

 

難波の喫茶店で差し向かいになったが、あまり会話が進まなかった。

彼女も緊張してと思う。

苦しまぎれに趣味を訊くと、「読書」だと言っていた。

デート後に工場で会った時、私は少し前に読み終わっていた本を渡した。

その本は石川達三の「稚くて愛を知らず」だった。

幼いころから両親の溺愛を受けて、全く世間知らずの清らかな少女に育った主人公が結婚生活の中で現実に向き合い、思わぬ行動を繰り返す物語だった(ように思う)。(内容はうる覚えだが)

結婚の本質を追求した内容で、主人公が結婚生活の中で繰り広げる非常識な行動が面白かったのを覚えている。

 

気に入ってもらえると思っていたが、数日後、「私には無理です」と本を返された。

後日社員食堂だったと記憶しているが、本を読んでいる彼女を見つけた。

彼女の読んでいた本は「ハーレクインロマンス」だった。

石川達三の小説とは描く世界があまりにもかけ離れている。

甘党好きに激辛せんべいをあげたような…。

 

相手に本の贈り物をするときは、相手の趣向を踏まえないといけない。

そんな当たり前のことを知らない若造だった。

 

今、私はボランティアガイドの会の会報を編集している。

編集していると、記事と記事との間に空間が生じる。

その空間を埋めるため、簡単な紹介記事を書いて推薦図書を紹介している。

紹介する本は会の目的に合った、郷土の文化財やゆかりの人物などになる。

ネットや図書館で、読みやすそうな歴史本や偉人伝などを探している。

 

人に薦める本を見つけるのは難しいと感じている。

author:金ブン, category:読書, 10:08
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私と犬

JUGEMテーマ:日記・一般

 

直木賞受賞作「少年と犬」を読んだ。

野良犬となった犬がさまざまな境遇の人と出会い、その人たちの運命に関わっていく短編集。

本のカバーに書いてある、「人という愚かな種のために、神が遣わした贈り物」がぴったりの心温まる小説だ。

 

私はこれまでの人生で、数匹の犬と暮らした経験がある。

 

私の母は動物が好きだった。

私が幼いころ、スピッツを飼っていた。

スピッツはよく吠えた。

家族や家で働くパン職人にはよくなついていた。

しかし、知らない人には吠えて、噛みついていく。

スピッツは騒がしい犬だ。

今思えば、小さな犬小屋に入れられて、哀れな犬だった。

やがて、スピッツが死んで、母親は2匹の猫を飼い出した。

 

私は犬を飼っている人と結婚した。

犬種はプードルで、名前はハニー。

義父は動物園の世話をする仕事をしていたので、動物園から引き取った犬だったようだ。

動物園内のイベントで芸を披露していただけに、大人しく賢い犬だった。

結婚前、妻の実家に通っていたころ、私はよく散歩させた。

散歩という言葉を発するだけで、すぐに玄関口に飛んでいった。

結婚後すぐ義父が亡くなり、義母と犬は私の家の近くに引っ越してきた。

すでに、年老いていた犬は数年後亡くなった。

 

阪神大震災で家が半壊し、自宅を建て直した。

それを機に、尼崎でパン屋をしていた私の両親が同居することになった。

パン屋を辞めて、仕事が無くなった母親は老人鬱となり、認知症の症状が出てきた。

そんな母を心配した私と姉は母が好きだった犬を飼うことにした。

岐阜にいた姉が買ってきた犬はウェルシュコーギーだった。

ウランと名付けたコーギーは人懐っこい犬で、母にとても懐いていた。

やがて、両親はスポーツ用品販売の商売をしている姉の家へ引っ越していった。

母の認知症を遅らせるために、商品の値札付けなどの簡単な作業を手伝ってもらうことにしたのだ。

ウランは我が家に残り、私たち家族で可愛がった。

 

突然、息子の身体にガンが見つかり、放射線や抗ガン剤治療をすることになった。

免疫力が低下して感染症に罹る心配があるので、ウランを娘の婚約者のKさん宅に預かってもらうことになった。

Kさんの家には祖父母、両親、Kさん兄弟が住んでいて、ウランは家族全員から可愛がられた。

 

1年後、息子が亡くなった。

ウランはKさん家族との生活に慣れて、Kさん家族にとってかけがえのない存在になっていた。

娘がKさんと結婚することで家族同士になるのだからと、ウランは正式にKさんの家族になった。

それから十数年の時が過ぎ、ウランは後ろ足が動かなくなり、徐々に体力が衰えてきた。

2年前、ウランはKさん家族に看取られて、亡くなった。

Kさんの両親はしばらくの間、ペットロスで寂しい日々を過ごされたようだ。

 

現役時代の先輩、Sさんはしばらく連絡が取れなかった。

退職後も時々メールが届いていたのだが、急にメールが来なくなった。

何度電話をしても、不在通話だった。

心配になり、隣の西宮市の自宅を訪ねた。

すると、Sさんは自宅におられた。

携帯が壊れて、連絡ができなかったという。

Sさんの家にはダックスフンドの犬クッキーがいた。

クッキーはとても人懐っこい犬で、私が行くといつも足元から離れず、クンクンと鼻を鳴らしていた。

Sさんとクッキーとの出会いは偶然だった。

夫婦で買い物に出かけた時、池の中にはまっている犬を見つけた。

Sさんは助け上げて、近くの交番に届けた。

交番の巡査は保健所に連れて行くと言い、もし飼い主が現れない場合は殺処分になるだろうと告げられた。

Sさんは不憫に思い、自宅に連れて帰った。

それ以来、Sさんにとって、クッキーはかけがえのない家族になった。

 

私が訪問した数日後、Sさんは自宅で倒れ、救急車に運ばれた。

脳出血だと判り、緊急手術をした。

2か月間入院して、自宅に戻ってきた時、奥さんからクッキーが亡くなったことを告げられた。

それ以来、Sさんはペットロスで、傷心の日々を送っている。

私は時々電話をして、ペットロスを慰めている。

 

高い値段で、犬や猫が売られている。

見ていると、飼ってみたい衝動に襲われる。

横にいる妻も、愛らしい犬を見ている。

 

「かわいいな。飼ってみるか」

ペットショップに立ち寄った時、ガラスケースに入れられた犬を見ている妻に言う。

妻は首を振り、「いや、やめとくわ」と返す。

そして、「ハニーの最後の姿が忘れられない」と。

 

ソフトバンクの白い犬がテレビに映るたびに、私は「飼いたいな」と思うのだが…。

author:金ブン, category:人生, 09:24
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長寿

JUGEMテーマ:日記・一般

 

先日妻と買い物に出かけている時、知らない番号の電話が掛かってきた。

わが市の局番だったので、電話に出た。

すると、「警察のものですが、Sさんはお父様ですか」と父の名前をいう。

「はい、そうですが。何か」と尋ねると、警察官は自転車に乗った父が赤信号を無視して、交差点を渡ったという。

父は私の電話や住所を書いた紙を持っていたので、警察官は私に連絡してきたのだ。

父はボケてはいないが、耳が遠く会話はぎこちない。

警察官は父の生年月日を聞いて、驚いていた。

95歳が自転車に乗って、喫茶店コメダに出かけているのだから。

「信号無視で検察から自宅に書類が届きます」と私に告げ、「気を付けてあげてください」と言い残して、電話を切った。

父曰く、青信号で交差点に入ると途中で赤に変わったが、急に自転車を止められずそのまま渡ってしまったと。

 

正直なところ、父がこれほど長生きするとは思わなかった。

還暦まで、晩酌はいつもビールと酒を飲んでいたし、タバコもハイライトを2箱吸っていた。

(今は酒もたばこも嗜んでいない)

ウォーキングや体操など、健康的なことをしていた記憶は全くない。

 

70歳代と80歳代で、2度脳梗塞で入院している。

70歳代での入院の際の脳検査では脳幹の近くに血管の詰まりが見られた。

脳幹は生命維持に重要な部分なので、医師から突然死のケースもありえると告げられた。

80歳代での入院の際、MRI検査では首のあたりの血管がかなり詰まっている状態だと、医師から告げられた。

医師の診断を聞くたびに、そろそろ見送る心づもりをしておかないといけないなぁと思ったものだ。

 

それ以来何事もなく、10年近く経ち95歳を迎えた。

2週間に一度、近くの内科で診察を受けているが、医師が「健康ですね。ご立派です」と、感心ばかりしている。

毎日自転車でコメダまで通っているというと、医師は「100歳は大丈夫ですよ」とか、「120歳まで頑張ってください」と、励ましを込めて言う。

 

父の長生きの秘訣は、マイペースを貫いていることだと思う。

ひとりで淡々と生きている、そんな印象だ。

人との関わりを持つことを嫌い、心を許すような友人がいたという記憶がない。

家族にも深く関心を抱くような様子を見せることが無かったし、他人のために一生懸命汗を流すこともなかった。

とにかく、他人とのコミュニケーションを嫌っていた。

 

そういえば、私にとって、父は父性を感じにくい人だった。

父との思い出も少ない。

そうかといって、父は家族を大切にしない訳ではない。

経済的に家族を困らせたことはないし、父を重荷に感じたこともない。

怒られた記憶もなければ、褒められた記憶もない。

淡々と家族に接し、空気のような存在だった。

その反動で、私は母性にのめり込んでいた。

 

そんな父親は最近、「もう、いい加減に死にたいなぁ」と呟く。

95歳も生きれば、そんな気持ちにもなるだろう。

また、「どうやって、死んでいくんやろう」と言って、死に方への不安な気持ちを覗かせている。

父は人生を終えることを恐れているのではない。

悲惨な末路を迎えるのを恐れている。

それは、病院のベッドにつながれたまま、苦しみや悲しみの気持ちを発散できない状態だ。

まさに、母がそうだった。

寝たきりの状態で、7年間過ごして亡くなった。

 

誰もがスーッと、眠るように、最後を迎えたいと願っている。

だが、神様はめったに安楽な死を用意してくれない。

ほとんどの人がもがきながら死の時を迎え、あの世へ行く。

 

現在、父は「身体に痛いところはどこもない」と言い、100歳まで生きる勢いだ。

「自転車は止めたほうが良い」と注意するのだが、聞いてくれない。

1日に一度、自転車に乗って喫茶店でコーヒーを飲みたいという。

 

そんなマイペースな父親に、安らかな死が与えられるように望むばかりである。

author:金ブン, category:人生, 09:34
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ハンコ文化

JUGEMテーマ:ニュース

 

高校生の時に観た映画「太陽がいっぱい」はアラン・ドロンの出世作だった。

ニーノ・ロータの主題曲はもの悲しいメロディで、サントラを買って何度も聴いていた。

物語は貧乏人のアラン・ドロンが金持ちの道楽息子を自殺と偽装して殺害し、その男になりすまし金を奪おうとする内容で、最後に失敗するどんでん返し見どころだった。

映画の一場面に、アラン・ドロンが小切手を偽造するため、道楽息子のサインを練習するシーンがあった。

外国ではサインで個人認証していることが何か不思議な気がした。

日本映画なら、アラン・ドロンはハンコを偽造するのだろう。

 

会社勤めをしていたころ、ハンコは必須の道具だった。

とにかく、書類には必ずハンコを押していた。

書類によっては、見ても見なくても、とにかく押しているものもあった。

(昔はよく「めくら判」とか言っていたが、今は禁句になっている)

 

親会社から仕事を受注した時のことだ。

急ぎの仕事なので、早く作業に取り掛かりたかった。

ところが、相手先の部署からなかなかゴーサインが出ない。

決裁の稟議書がまだ戻ってこないと、担当者はいう。

漸く戻ってきた稟議書を見せてもらって、驚いた。

稟議書の表紙にはハンコ押印の一覧があり、20人近くのハンコが並んでいた。

大会社は大変だ。

決裁に時間が掛かるのも無理はない。

日本中の会社では多かれ少なかれ、ハンコを押す書類が机を埋め尽くしている。

 

子会社に勤めていた私も毎日ハンコを押していた。

管理する立場になると、さらにハンコを押す書類は増えてくる。

ハンコは書類を確認したとして押印するものだ。

だが、分厚い書類の付いた稟議書となると、いちいち確認することなんてできない。

パラパラと書類を流し読みしただけで、ハンコを押すことも多かった。

 

会社には暇な上司がいる。

その上司はあり余る時間を使って、書類をチェックするのだ。

「おい、ここの記述が間違ってるやんか」と、香辛料のように嫌みを含んだ言葉を振りかける。

本筋の内容とはあまり関係のないところを、さも寝首をつかんだように指摘する。

そして、言う。

「あんた、ハンコを押してるやんか。ちゃんと書類を見てるのか」と。

 

家の中の引き出しに、たくさんの認印がある。

中には生命保険を契約するとき、保険会社がわざわざ用意してくれた印鑑までも。

どれがどの銀行の印鑑か分からないものや、何の目的で作ったのか分からないものも。

先日定期預金を延長する時に印鑑を持っていくと、「この印鑑ではありません」と言われ、再び家で銀行印を探すことになった。

 

行政改革に取り組む新政権が各省庁での事務処理の効率化を表明し、ハンコ押印がやり玉に上がった。

早速、結婚届や離婚届の押印が不要になった。

今回の騒動で、全日本印章業組合連合会や印章業協同組合など、印鑑の文化を保護する団体があることや日本の印章制度・文化を守る議員連盟(自民党はんこ議連)なるものがあることを知った。

ハンコ文化は根付いているのだ。

 

コロナ禍で自宅自粛していた時、パソコンを教えている人たちに、「電子印鑑とつくろう」という動画送った。

パワーポイントを使って、印鑑を作る内容だった。

生徒さんのひとりが、「これって、使う時があるのかな」という。

生徒さんはみんな、70歳以上の人たちだ。

答えに窮してしまった。

おそらく、何の役に立たないだろう。

author:金ブン, category:社会ネタ, 09:31
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股関節の痛みが続く

JUGEMテーマ:健康

 

身体が思い通りに動かないと、不安ばかりが増してくる。

 

コロナウイルスは大変なことだが、私にとって股関節の故障は四六時中頭から離れない。

もう、4年以上痛みを引きづっている。

その痛みは股から膝あたりに達している。

股関節といっても、加齢に多い変形性股関節症とは違い、足の付け根で恥骨筋の横が痛むのだ。

筋肉が固くなり、歩きにくい。

無理して歩くことはできるのだが、10分ほど歩くとさらに歩きづらくなる。

その後も、じんわりと痛みが残る。

そのため、文化財のボランティアガイドもお断りしている。

 

これまで、整形外科、整骨院、整体などに通ったが、良い結果は得られなかった。

自力で治すしかないと、リハビリで教えられたストレッチや筋トレを繰り返したが、全く効果はない。

4年もこの状態が続くと、もうこの違和感から死ぬまで逃れることが出来ないのじゃないかと思えてくる。

 

先月、4年前最初に診察を受けた近所(自宅の隣)の医院に、再度訪問した。

妻や義母が信頼している医師で、いままで診てもらった医師では一番親身になって話を聞いてくれる。

しかし、リハビリ担当の医学療法士がいないので、長く診察してもらうことがなかった。

どこの整形外科に診てもらっても、返ってくる診察はいつも同じなので、原点回帰となった。

 

私は現在の症状を説明すると、医師は4年前のカルテをじっくりと見ていた。

「とにかく痛みの原因を知りたい」というと、医師は少し考えていた。

そして、詳しく調べるなら、市民病院を紹介するという。

スポーツ系か脊髄系かの専門医のどちらが良いかと言い、もともとスポーツが原因なので、スポーツ系の医師に紹介状を書いてくれた。

 

市民病院のスポーツ系医師は女性だった。

MRIとレントゲン撮影をしてから診察してもらった。

結果、股関節にも膝にも異常は見当たらないという。

「異常がないと言われても、痛いのです。他に原因は分かりませんか」と食い下がる。

3年前に撮った脊髄のMRI画像では脊髄の4番と5番の椎間板がヘルニア状態になっているのが映っていた。

(椎間板ヘルニアとは、背骨の腰部の椎骨と椎骨の間でクッションの役割を果たしている軟骨(椎間板)が変性し、組織の一部が飛びだすことをいう。)

女医は「たまに、脊髄のヘルニアが神経を圧迫して、股関節に症状が出ることもある」という。

 

今週、再び椎間板のMRI画像を撮って、診察してもらった。

椎間板ヘルニアは3年前より少し進行していて、脊柱管狭窄症になっている箇所もあるという。

これが原因かどうか分からないが、その可能性はあるとも。

 

神経障害性疼痛・線維筋痛症の疼痛に効くというリリカを服用することになった。(女の子の名前のような薬だが)

リリカで効果が出ると、椎間板ヘルニアが股関節の痛みを生み出している可能性が高くなる。

リリカは3年前にペインクリニックで処方されたことはあったが、その時は効果が無かった。

女医は、3年前の服用は少量だったので効果が無かったのではと言い、もっとリリカの増量を試してみても良いと診断する。

副作用が気にかかるが、もう後ずさりできない。

結局、痛み止めの薬と一緒に、量を増やしてリリカを服用することになった。

 

すると、飲んだ翌日から股関節の痛みが少し和らいだ。

副作用の浮動性めまいは少しあったが、すぐに治まった。

久しぶりにホッとして、眠った。

来週も診察を受けるが、効果が見られたというと、次はリリカを倍の量に増やすようになるだろう。

それで痛みが治まればいいのだが、効かないならば次には脊髄への硬膜外ブロック注射を試す方法があるという。

これはかなり痛そうで、恐ろしい。

 

今はリリカちゃんが効くのを祈るばかりである。

author:金ブン, category:健康, 09:36
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